36.負け犬の遠吠え
◇
突然、意識が戻りました……と。
病院の人々に奇妙に思われながら、ひとまずは無事退院。
そんでもって先生の配慮とかもあって、数日後、休んだ分のテストを受けて。
◇
うん。「ようやく、私こと須上結菜のいつもの日常が戻ってきた!」と言いたいところですが。
「ハァー。結菜、返ってきたテストがオール八十超えか……。いつ勉強しとったんや、アンタ」
「不思議なものよね。敗北感を通り越して感心するわ」
「古文だけは私が勝っているがな」
「アハハ……えと。……えーっと」
……こんなだったっけ。教室の風景って、こんなんだったっけ。
休み時間って、こんな感じでしたっけ!?
何となく落ち着かなくて。そわそわ。暑さとは関係無く汗が出た。
日差しの差し込む七月の午後ですよ。涼しげな女子、暑苦しくも爽やか男子。それでも暑いぜ夏が来るぜ。別にそれは良いけどさ。
春風は隣の席で、光村さんは反対側。瀬尾さんは私の正面。見下ろす形で机に体重を支えていた。おかしい。主に正面がおかしい。
頬を伝って、顎から汗が落っこちた。
「この中では、暗記科目は全部結菜がトップか」
「はは……だねぇ。えっと、あれちょっ」
「数学もすごいわよね。暗記は一夜漬けで済むかも知れないけど、計算は理解していないと出来ないし……」
「いや、うん、あの、家に兄貴がいるからさー。時々リビングで勉強してる時とか、横で見てるだけでも頭に入ったりするんだ。うん。ちょっと待てちょっと待て。ちょっと待てぇぇぇアンタらぁぁぁ!」
何ちょっと違和感なくやり過ごそうとしてんだぁぁ! 入院前に春風と基本二人だったこの貧弱コミュニティが、何で四人になってんだぁぁぁ!?
いや、光村さんは席も近かったし、こうなるのもまだ分かるよ、ええ! けど、何で瀬尾さんが何食わぬ顔でここにいるんですかって話ですよ。少なくとも、あんまり良好な関係って感じではなかったじゃんか。何これちょっと。何があったの!?
「あのさ、一体これどういう経緯が……」
「キャー!」
叫び声は男女混合集団から! タイミング悪いなぁ! 私の質問は、台本でも用意されていたみたいに綺麗にかき消されてしまったよチクショー!
次いで、そのグループからこっちに向かって手招きする女子が一名! 前に星野先輩に告白した子、通称GL(ギャルって読んでね)子! 適当に命名!
「夏鈴、ちょっとこれすごい! 珍しい採点ミスよ!」
何じゃそりゃ! 珍しい採点ミスって何!? 珍しい解答とはまた別のものなのかよ説明しろよぉぉぉぁぁぁぁあああああ元気だなぁ今日の私は! 何だかんだで教室が久しぶりで、同級生がいっぱいいるこの環境にちょっとテンション上がってるっぽいですよ! いわゆる緊張感からくる暴走!
要するに空回りだよ……。気疲れか。自制する気力が無い分、勢いがコントロール出来てないのかも知れない。
「かーりん!」
「はいはい今行くわよ! あ、えっと、春風。ごめんけど私、ちょっと見に行ってくるわ」
急かされた瀬尾さんは、春風に断りを入れると、その集団の方へと向かって行った。見送る私と、興味無さそうに自分のテストを眺める光村さんと、
「おう、気をつけてなー」
そう言って小さく手を振る春風。……何に? そう言いかけて、止めといた。
あの辺りのグループは自信満々だから、声もデカイ。何か盗み聞きしてしまう私。
「ほら、これこれ!」
「あっはは、確かに珍しいわ。三角? なの?」
「多分そうなんだけどねー。丸描こうとして変更? したのかな。何でパックマンになっちゃったんだろうねー。しかも普通に点数入ってんの。丸扱いなんだよー、これ」
盛り上がってるなー。何というかそんな面白くも無いのに。
対してこっちは灯油の無くなったヒーターみたいに、温度が普通になっていく。落ち着く。いつもの涼しさ。暑いけどさ。
今度こそ、「私こと須上結菜のいつもの日常が戻ってきた」だね、うん。
「……ただいま、春風。光村さんも」
何か臭い言葉だなーと思いつつ、言ってみた。
「……ああ。おかえり、結菜」
「私も入っているのか」
春風は少し照れくさそうに、光村さんは相変わらず無感動な顔で言った。
「って和んでる場合じゃなくて!」
自分で流れ作っといて何だけど、こんなことしてる場合じゃねぇぇぇぇ!
「えーと、せやな。……えー、せやな……説明するほどのことも起こってないんやけど、説明せなあかんよな……
春風は苦笑いを浮かべ、私から目を逸らした。……とは言ってもちょっと茶目っ気のある、和やかな感じでね。でも、それが逆に違和感。
……春風って、こんな表情を自然と出来ちゃうタイプだっけ? 小さなズレ。何か違う。
一ヶ月前よりも、何か幸せオーラに包まれてますよ。世界が。……何かが変というかさ。
私一人が置いていかれているような感覚。シーラカンスが浅瀬に迷い込んだらこんな心境なんですかね。
「――せ、説明するほどのこと起こってるでしょこれ!」
別に事態は好転している訳だし、そんな焦って聞き出す必要はないかも知れない。けど、聞かなきゃ納得出来ない。空白を補完しなきゃ。
「……せやな。正直、ウチにも何でこうなったんか分からんけど……何か、何やろな……。ただ、少しだけ素直になれるタイミングがあって、それでこう、自然と普通に話せるようになったというかな」
「……ほうほう」
無意味なジェスチャー付きで、身振り手振りで普通のことを聞かされてる。
「まあ、そんな感じや」
「あー、まあ、いつ友達になったっけみたいなこと、中学の時なんかはあったけどさ」
うん。
…………………………ありゃ?
――まさか、以上? 終了? ちょっと。
「何かまあ、あれや。瀬尾……さんも別に悪人って訳でもあらへんし、仲良くなれるに越したことないやろ? ちょっと今日は強引に馴染ませようとし過ぎたけど、これから、少しずつでも四人で……」
「四人だと? 勝手に貴女ら三人でやってくれ私は」
「まあ、別にそっから五人になっても六人になってもええんやけど、その……」
「いや私は」
「なあ、結菜……。ウチら、今が変わるチャンスやと思う。何というか、その……今なら、誰にも邪魔されん。いや、ひょっとしたら今までも多分そうやったんやけどな、その……」
普通にスルーされた光村さんがちょっと不憫だったけど、それはさておき。
「……変わるチャンスねぇ……」
そう吐いて、私は春風の表情に目をやる。春風は、ちょっと不安気に頷いた。……春風なりに、考えた末の結論なんだろう、きっと。
で、その顔。私が受け入れないかも知れないっていう不安。私が簡単にんな状況を受け入れるはずがないって、春風も分かってんだろうね。
同じ境遇なら、私もそっちに行くことにしたかも知れない。だけど、春風と私の孤独のレベルは違った。春風より私の方が、若干余裕があったというかさ。
本当の飢えを知らないせいもあるんだろうね。……変なプライドが捨て切れない。簡単に動くほど、切羽詰まってはないんだ。甘ちゃんだな、我ながら。
変わりたくないって思ったり、カッコイイ私になる為に変化しても良いかなって思えたり。色んな思考を一人で転がしていたら、何か転機なるものが降ってきた訳ですよ、今。
リア充になるチャンスだぜ、って悪魔が寄ってきて、
友達増やすチャンスだよ、って天使が寄ってきて。
頭ん中は満場一致で「レッツゴー」となって、春風、瀬尾さん、まあGL子辺りも視野に入り、友達出来て「やっぱこの世界サイコー! 隕石なんかどっかいけー」ってなった私が世界を救う。
そんなシナリオも、何か違う気がするんだけどさ。
ねぇ、これって変わるチャンス? 私が今以上の私になる為の、プラスイベントなのかな。
それとも、考えるのを止めて、都合の良い道を選ぼうとしているだけ? 目先の希望で満足するだけの、ただの堕落への案内かな。
……良いのかなぁ。甘い香りの言いなりになって。
良い気もしたけど、何か……違う。何が違うのか、分からなかったけど。
◇
帰りにわざわざコンビニに向かった。一人で。
基本的に帰りは即帰宅という真面目ちゃんな私だけど、こう、時々こうして街とかコンビニに寄ることで、「いや、たまに寄り道してるよ?」と言い訳を作ることが出来るというか。……何かなー。私もなかなか往生際悪いなー。何となく、瀬尾さんみたいな普段話さない人との接点が出来ると、不安で色んな言い訳を用意するのですよ、うん。
店内の客の数がそんなに多くないことを確認し、自動ドアを進む。店員は若い男の人とおばさんの二人。知り合いがいないことにひとまず安心。
若い男の店員さんは爽やかスマイルで、
「いらっしゃ………………………………………………………………」
……ありゃ?
若い男の店員さんが固まってしまった。
……思わず一歩退く。いや怖いって。こっち向いたまま固まる男とか怖いって。
別に、「店員の態度が最悪でした~」みたいなこと言うクレーマー女子高生ではないけどさ。流石にこれは困るって。おばちゃんの方も困ってるって。若い男の店員さんは、しばらく私のいる方向に向かって、何となく殺気だったような目をしていた。怖い。
「……いませ」
そして、我に返って目線を下に落とした。汗酷い。何事だろ。体調でも悪かったのかな。そうに違いない。あんまり深く考えたらいけない気がしたからそう結論付けたけど、やっぱりというか何と言うか頭からそいつのことが離れなかった。
……おかしいよね! しかも何か視線感じる気がするような感じがしないでもないですよ!? くっそ、私が自意識過剰なのかなこれ。
何となくあんまり長居したくもなくなって、とりあえず迅速に買物を済まして出ることを考える。欲しいのは「コンビニ寄りました」という事実のみ。商品に特にこだわりなんかないのだアッハッハ。何か虚しいなぁ。何やってんだ私。
雑誌やら何やらの側からU字に進み、パンのコーナーでメロンパンを一個鷲掴み。値段も見ず、それをレジに置いた。
「お願いしまーす……」
おばちゃん店員の方に行けば良かったかも知れないけど、こんな時に好奇心発動。自分でもびっくりしたけど、私がいたのは変な彼の前だった。
「……あ、ありがとうございます」
店員さんの顔がひきつった。何で? レジに向かってお願いしますって言うの、やっぱ変なのかな? どうなんだろ。
もう何か店員が変なのか私が変なのか分かんないね。私の顔が変とか? 汚いものでも付いてんのかな。
「えー、一〇五円ですね……」
声が震えてるよ何でだよ。何かに怯えているような感じ。私か? やっぱり私なの? 私が原因なの? 分からん。
一〇五円。ちょうど。小銭を握って手を突き出す。受け取る彼の右手は震えていた。新人なんて言葉で片付けるにしても、幾ら何でも動揺し過ぎだよね。……それとも、そんなものなのかな。一概に相手が変なんて言えるほど、私の中に確固たる自信はありません。
お釣り無し。思わずレシートを受け取って、お互いに軽く頭を下げる。
「あ、ありがとうございました」
「ども……」
顔を上げる一瞬、彼の胸元の名札を確認してみた。直後、ちょっと後悔した。
瓜生。……いや、別に知り合いとかじゃない、全く何の心当たりもない他人なんですけどもね。
案外珍しい名前だし、これじゃあしばらく頭から離れないじゃんか。何だたんだろうって感じで、何かちょっと思い出しちゃう訳ですよ。
……まあ、話のネタにはなった訳か。
元の目的を考えれば、付加価値までついておいしかったのかも知れない。
「ありがとうございましたー」
最後だけ何か普通の声に送られ、帰り道をふらふらと歩いて行く。
何で買ったんだろ。という疑問をちょっとだけ持ちながら、一〇五円の化けたメロンパンをもっちゃもっちゃ噛んで歩く。結局いつもの帰り道を、何やかんや一人でさ。
頬張ると鼻唄は歌えないので、脳内再生でパラレルワールド。PVの逆さになった都心の風景が浮かんでくるのは、曲を知ったのがYouTubeだったからなんだろうなーとか思いながらさ。
いつもの風景。いつもの音。サラサラと聞こえる川のせせらぎ。名前も知らない虫の声。
昼間は暑い訳だけどさ。夕方はすんごい楽。
何にも変わらないこの場所で一人。そのまま一人でいさせてくれれば良かったのにさ。
途中、見知らぬカップルとすれ違った。
私と同い年くらいの、他校の男女。幸せそうにくっついて、特に女の方は自信に満ちた顔で周囲を見下してるというかさ。自意識過剰なのは分かってるけど、劣等感で俯く私。くそ。何でだろね。何でこう、悔しくなるんだろうね、くそ。
羨ましいとはそこまで思わなかった。けど、何だろ。反吐が出る。
――どうせ、結婚なんかしないんだろ。今が良ければそれで満足なんだアンタらは。
飽きたら分かれて、次の相手を見つけて、アクセサリー代わりにお互いを持ち歩くんだ。馬鹿馬鹿。くそ、馬っ鹿ども。
羨ましくないって思ったけど、嘘。別に恋人はいらないよ。けどさ。
その自信は何なんだよ。堕落した平凡な、世界一愛し合ってるつもりなだけの「只の」カップルでしょ!? なのに、何で……!
黒い感情が、心を埋めた。「私」防衛隊。……自尊心ってやつ。
――絶対に私は、アンタらより優れてる。
醜いのは分かってるけど、自信の無さはそれで補うしかなかった。
だから……許してよ。醜いこの感情を許して。別に誰に見られてる訳でもないけど、そう言っとかないと穢れる気がしてさ。
――私の方が絶対に聡明なんだ。私を見習えよ。
ちょっとは悩んでみろよ。何かあんのかよ悩み! 無いだろ! どうせ空っぽなんだろ! 満足なんだろ! どうせ今の二人の関係を保つことで頭いっぱいなんだろうが!
何で見ず知らずのカップルに切れてんだ私は。馬鹿じゃんか。理性は私を止めに入った。
けどさ。分かってるけどさ。止まらないんだよ! 心の中でくらい好きなこと言わせてよ! 許してよ! 好き勝手思わせてよ、理性!
どうせあいつらは失恋ソングでも聞いて、共感して、タイミング次第では、つまり失恋直後なんかには「自分の心の傷こそが本当の悲しみだ」なんてほざいてる。ふざけんな! とっかえひっかえの関係に、いちいち振り回されるなよくそったれ!
伝われよ。
崇めろよ。
アンタらに出来ない「悩み」をやってのける私を尊敬しろよ。
認めてよ……。じゃないと一生自信なんて持てない!
誰か私の顔でも成績でも性別でも歳でもない、名前や体さえ取り払った「私」を認めろよ! 認めて、許してよ! 存在していても良いんだって思わせてよ……!
……ふと。
気付けば、そこは車道。横断歩道の真ん中。歩行者信号は、赤。
「――ぁ」
嘘でしょ。何やってんの私。しかも目の前にはトラック。逃げなきゃ。車道に逃げなきゃ。死ぬ。死ぬ死ぬ死ぬ。
んな時に限って足がすくむ。白いクマより黒いヒーローより、普通の色したそれが、一番死に近い気がした。
死って、きっと特別な色はしてないんだよ。
空の青とか、机の茶色とか、血の赤とか、そんな感じなんだよ、きっと。
すぐそこにあるんだなー、終わりってさ。
――風が過ぎて行った。
死も、通り過ぎて行った。かなり危ない運転だったけど、うん。
「バッカ野郎! 気をつけろ小娘ぇ!」
対向車線が空いていたこともあって、トラックのおっちゃんは叫びながらもギリギリで私を避けたのだ。
……私はしばらくその場で硬直。生きてる。だけど、ひょっとしたら死んでたかも知れない。
――おかしいな。死にたいと思ったこともあったのにね。……怖いな。怖過ぎて足が動かないよ。
「――――――――死ぬのか、私」
いつか、絶対。
いや……私だけじゃない。分かったように通り過ぎるあいつらも、いつか絶対死ぬんだ。なのに。
恋愛なんか、
勉強なんか、
引きこもってなんか、
ゲームなんか、
書類整理なんか、
遊びなんか、
仕事なんか……
してて良いの?
――何で。
――何で悩まないんだよ、みんな。
瀬尾さんやGL子含めた教室の連中も、光村さんや兄貴や星野先輩、ハンゾーさんや、
今日の、希望を見つけたみたいな春風も。
滅ぼすことを疑わない透生も。
何でみんな、答えを知っているみたいに生きていけるんだよ。
悩めよ、悩めよ! もがけよ! 妥協するなよ!
八十歳になって振り返ってみろ。何が残ってる。かけがえのない思い出? 笑わせんな! そんなもん、死んだらチャラじゃん! 十代半ばで自殺したって大した変化なんか無いんじゃないのかよ!
いつか生と死の間に立った時。そんな時に後悔しない為には、この今、どっちに進めば良いのか。そんなこと考えないのかよ! 答えなんか、どうせ見つけてないんだろ!?
「……クッソォ……!」
春風が向こうに行ったら私一人だよ。
そりゃ、もしそうなったら春風に連れてってもらって、私もあの普通軍団の一員になることだって出来るかも知れないよ。そうなったら、私はきっと救われるよ。明るい青春が待ち受けてますよ! 救われて、一時的な幸せに浸れる。いつか思い出せる、素晴らしい過去が手に入る。
だけど、真価はそんなところにないね。断言出来る。
青春なんか幻想だ。数年持続する麻薬みたいなもんだよくそったれ!
クラクションが鳴り響く。私への文句も飛び交う。
そりゃそうだ。車道の真ん中で、信号が黄色になるまで女子高生が通せんぼしていたら、文句も言いたくなる。苦情も飛び交ってる。私の存在を認めない言葉さえ聞きとれた。
……それを否定出来ないのが怖い。
自分が存在不適合者かも知れないって思ってしまうのが怖い。別に、発言者はそんなことまで思ってはいないはずなのにさ。
おかしいな、今日の私。
何でかな、気持ちが落ち着いてくれない。
現実って、こんなんだったっけ?
つまらなくないのかな。皆。
拍手、感想、ありがとうございます。




