35.現と夢の間
◇
『ハンゾー:占いとか未来視って信じますかー?』
「……占いとかって信じる?」
「は? 何の話や?」
「ちょっと知り合いに声掛けられてね。……ひょっとして起こしちゃった?」
「いや、意識はあったけども。……あの、瀬尾さん? 何で普通にウチのパソコン使ってんの?」
「あ。……ごめん、半分無意識に。何ていうか、癖なのよね。パソコンを見ると触らずにいられないというか……」
「……まあ、別にええんやけども……」
『セオ:突然ですね服部さん』
『ハンゾー:私は信じてませんよ』
『セオ:知りませんよ……』
『ハンゾー:例えば未来視を使って、相方がこれから振るサイコロの目が何になるか、相方に告げたとします。実際に振って出た目は四。正解。未来見ちゃったキャッホースゴーイ! チートだやった! これなら別に問題は無いです』
『セオ:何でそんなに頭の悪いキャラクターなんですか……』
『ハンゾー:でも、じゃんけんの直前に未来視を使って、相手の出す手を知ったとします。告げます。けど、告げた時点で駆け引きが始まります。サイコロと違って、出す手には相手の意思が絡んでいますからね。……未来、変わりますよね。なら、さっき見た未来って何ですか? パラレルワールド? というかそもそも、未来が見えるのなら相手に結果を告げる自分の姿が見れないとおかしいじゃないですか。相手が出す手よりも先に、相手が何を出すかを告げる自分が先です。チョキを出す前に、チョキを出しますと告げる自分が見える。その先にチョキを出す相手がいる。もう訳分かりませんよね』
「……光村さん、これ」
「何だ?」
「どういう意味だと思う? いや、分からない訳じゃないんだけど」
「八つ当たりだろう」
「なるほど」
『セオ:八つ当たりですかこれ』
『ハンゾー:占いはまあ、導くという体だったりするから、タチは悪いですけどまだ許せます。問題は未来視ですよ、未来視。じゃんけんで『あなたはチョキを出します何故なら私は未来が見えるのよー』って言われてチョキ出しますか? 出しませんよね? それを利用してパーで攻められるっていうこともありそうですけど、そんなに勝負にこだわる状況でない限り、絶対にチョキは出しませんよ! 言いなりになってチョキを出して、『ほらチョキ出したー』なんて言われて、それって未来視じゃありませんよね?』
「そもそも、ハンゾーさんって誰やねん」
「あれ、知らなかったっけ。昔、神童って呼ばれた人でね。生まれた瞬間に喋ったとかいう伝説を持つニートよ。……何て返そうかな」
『セオ:私でストレスを発散しないで下さい』
『ハンゾー:見た未来を胸のウチに秘めているならいいんです。未来を見ることによって未来を変えるということが起こりませんから。……でも、未来や予言を簡単に誰かに伝えるのって、おかしいと思いませんか? 突然現れた何者かに、あなたは将来何かすごいことしますよ、世界救っちゃいますよ……なんて言われてどう思います? 私の感情は!? ってなりますよね!?』
『セオ:救いますよって言われて、やだ。なんていうひねくれ者は稀だと思いますけど』
◇
街はいつでも夜。闇をネオンが照らす、やっぱり浮くほど現実的な街。
社長室は崩壊。現実だったら裁判とか何かこうややこしいことになってんだろうなー、とか思いながら、上部がボロボロになったビルを後にする。
あの黒いヒーローと戦っている時は、現実に立ち向かってみよう、つまり帰っても良いと思えてたんだけどさ。
「……やっぱ、現実には帰りたくないな……」
何だかんだいっても、この世界の方が落ち着くんだよね。まるで、自分の本拠地にいるみたいだから。
出来ることなら、永遠にこの世界にいたい……なんて思ったり。透生くんの管理する、この不思議な世界にさ。
なんて思っていると、ふと、アルスくんが歩くのを止めた。
「アルスくん?」
「いや……、パソコンに繋いだマイクが、瑞樹さんの声を拾った」
「へ?」
何のこっちゃって感じだった。
「……えっと?」
「瑞樹さんが学校から帰ってきたんだ。一度、僕はこのゲームから抜けるよ。……それから、きっと瑞樹さんは君を説得しようとする。けど、君の本気の気持ちを伝えれば、きっと大丈夫だから。それじゃ」
最後の方を早口で言うと、アルスくんは光に包まれ、シュイーンと音を立てて消え去った。
また一人か。ちょっとした静けさと寂しさが、一瞬頭をよぎった。けど、アルスくんの操っていた『ユイナ』はすぐに戻ってきた。
「……アルスくん?」
「いや違うけど、分かんねぇか。この格好じゃ」
少女の表情は、心なしか尖って見えた。聞き覚えのある口調。これはまさか……。
「星野先輩……?」
「ボケじゃなくて、本気でそう思ってる顔だなコラ」
ギャグ漫画みたいな怖くない怖い顔で言われた。
「……消去法で、兄貴?」
「何だよ、そのどうでも良さそうな感じは。……まあいいか。一日やそこらで見つかるとは思ってなかったけど、久しぶりだな」
声に、いつもより重みがある。あまり、機嫌は良くなさそうだった。得体の知れない世界なんかをほっつき歩いている妹に対して、ニコニコして話せる訳もないかも知れんけども。
「……久しぶり。何? 連れ戻しに来たの?」
だったら、敵。……と一概には言えないけど臨戦態勢。帰る気もあるけど、帰りたくない気もある。何というか、その揺らぎに介入されるって、子供扱いみたいで嫌じゃんか。決定権は私にあるはずなのに。
「……まあ、連れ戻しにだな。俺だって時期さえ違えば、もう少しだけ寛容な判断が出来たんだが」
「時期さえ違えば?」
「ああ。今はヤバい」
意味が分からなかった。
どういうこと? 単純に危険だとか常識的に何とかかんとかだったら、別に時期なんて関係無いはずだけど……。
「……何が言いたいの」
「まあ、何つーか、簡単なことなんだけどな。つまりその」
少しだけ言い難そうに目を逸らすと、兄貴は気だるそうに言った。
「七月の頭。明日から――――――があんだよ」
◇
「――――」
……目の前が揺らいで、視界は闇に包まれた。
天地が引っくり返るような感じ。……とまで言っちゃうと大袈裟だけど。
最後に。そして最初に。
私は、後頭部を支える枕の感触を知った。
「……………………」
不安と焦りが、私をどこかへと押し込んでしまう。
勉強。赤点。留年。自宅警備員。財政。生存。戦争。受験。進路。逃避。現実。夢。犯罪。正義。英語。言葉。海外。国内。独身。結婚。妊娠。愛情。友情。死亡。誕生。葬式。墓場。宇宙。時間。電波。凡骨。平凡。普通。特別。
色んな不安が浮かんで、飛んでいく。
眠れない夜と覚めない夢の終わりって、似てると思う。
心臓が、犯される。
不安に揺らされ、心が動く。
――明日から、期末テストがあんだよ。
たったそれだけなんだけどさ。
……それは、頭を現実へ引きずり戻すには十分だった。
――。
目を開くと、現実味のない現実が、うっすらと映し出された。
天井は、白い。ここがどこか疑うと、同時に私が誰なのかも疑わざるを得なくなる。だって私が須上結菜なら、須上結菜の知らない場所に私がいることについて説明がつかないじゃんか、とか思ったけど。
ここが病院だって認識した瞬間、色々と納得した。ついでに現実が現実味を帯びて、私という心に浸透してきた。望んでもないのに。
「……」
すべきことは分からない。分かっても、したくない。
とりあえずその白い天井を眺めていたけど、すぐに目を閉じた。……ここが私の住むべき世界だってことを、否定したかったから。
……ふざけんなよ。
私が。特別なことをあれほど切望していた私が、期末テストの一言で、簡単に夢の世界から遮断された。
死ぬことさえ平気に思えていたのに、常識外れになるということに恐怖してしまった。社会から逃げたいのに、外れ者になることを恐れてしまった。
平凡が嫌なのに、普通でなくなることを拒否した。
――くそったれ。
現実。日本。高校生。期末テスト。犯してきた失敗。晒してきた醜態。低能な人々と同じにされたくなくて抗っても、結局何も出来ない自分。無力で何も出来ない私の存在が、現実を私の脳に認識させる。
長く眠っていたからかな。学校のことを考えたら、怖かった。
家に帰るのも怖かった。人に会うのが怖かった。動きたくなかった。生きることにさえ、前向きになれない。どうかしちゃったみたいだ。
起きることって、そんなに辛かったっけ。
現実って、こんなにも重たいものだったっけ。
生きることって、こんなに束縛だらけだったっけ。
……怖い。嫌だよ。縛られたくない。子供みたいで情けないけど、今すぐ消えてしまいたいと思った。
死じゃなくて消滅。溶けるように消えてしまいたい。
須上結菜という存在が、始めから無かったことになればいいのにさ。……きっと、それが本音なんだろうね。
今。社会から生き残る為の鎧が無い。
枕の上で、私の心は世界一素直になれている気がした。
きっと、今こそが私なんだと思う。肉体や名前の束縛を逃れた、現と夢の間。
――須上結菜。それが私の名前だ。その名前があるからこそ私は私であって、私が須上結菜じゃなくなれば、私はきっと今の私ではなくなってしまう。
じゃあ、変化を望んだら。私が須上結菜を大嫌いになって、清算したいと思ったら? 今までの自分を捨てて、新しい私になれたらきっと幸せ。けど、社会はそれを許さない。名前は私を私たらしめる、社会の為のナンバリングだから。
名前という束縛。それが、現実の私を形作っている。私は、須上結菜から逃げられない。
――十七歳。それが私の年齢だ。今の私と過去の私、未来の私を区別する、時間の経過とともに変容していく数字。これが変わってしまえば、私はきっと今の私ではなくなってしまう。
じゃあ、変化を望んだら。私が若さに絶望して、思いのままに数字を変えたいと思ったら? 今までの自分を捨てて、別の私になれたらきっと幸せ。けど、時はそれを許さない。年齢は私の体の価値を示す、自然によるナンバリングだから。
高校生であるということ。女であるということ。人間であること。生物であること。地球上にいるということ。存在するということ。全部が絶望的に大きなスケールで、私を追い詰める。
それらは私に妥協を迫る。地球上の人間社会の一員として、妥協して歯車になって生殖して何も成さずに死ねって囁いてくるんだ。
妥協。諦め。死ぬまで無価値でいますっていう宣言。いてもいなくても同じだって認めること。そんなもん、生きていたって酸素と食料と家族の出費の無駄になるだけだ。なのに死ぬ人は稀。誰かの為に生きてるんだって言い訳してさ。
そっちの方が楽なんだ。けど、嫌だ。妥協なんかしたくない。高校の低能どもとは違う。特別であると信じたいのに、なのに体が邪魔をするんだ。
私は私を辞めたい。嫌だ。埋もれるのが怖い。私が私でなくなることが怖い。いつか妥協してしまいそうな自分が怖い。時が怖い。
起きたくない。生きたくもない。夢の世界に依存して、二度と目覚めたくない。
もうどこにも行きたくない。私を認めようとしない社会に戻りたくない。須上結菜というこの存在に戻りたくないんだよ。
……現実が押し迫ってくる。圧迫感に、頭を上げることが出来ない。
消えろよ、私ごと。どうせ放っておいたって、何千年前から何千年先へと無駄な命のサイクルを繰り返して、星と共に宇宙の塵となるちっぽけな存在。何で生きるのか、誰も説明出来ないくせにさ。
――今この瞬間なら、隕石大歓迎だった。私もろとも、地球を無かったことにしてしまえ。
幸せを捧げるから、絶望を消してよ。
未来を捨てるから、今、この瞬間も燃やしつくしてよ。
生まれなきゃ良かった。私はきっとふさわしくなかった。
私という人格は、きっと「須上結菜」に向いてなかった。……もっとさ、普通の女が出来る魂に任せれば良かったんだ。
……本物の私は、きっと今なんだ。
枕から頭を離せば、それだけで私はプロテクトされる。
自分に嘘をつくな? それこそ嘘だよ。
ただ起きる。そんだけで、こんなに自分の感情が圧縮されるのにさ。
◇
パンドラの箱って言葉が、頭の中に浮かんだ。
何かこう、無理やりにでも比喩でパンドラの箱を使いたいから使ってみる的思考で妄想。
目覚めることって、パンドラの箱を開けることに似ていると思う。わざわざ災厄だらけの世界に飛び込む。……心の中に、希望を残して。
看護士さんやら先生やらと話しているうちに、私の心は人向けの仮面によってプロテクトされましたよ、ええ、もう。
現実は、まるで心の麻酔。程良い緊張感が、私を普通たらしめる。
私の起床という出来事は、医者達にとっては不思議な出来事だったっぽい。いや、どっちかというと起きたことよりも、今までずっと眠っていたことが……か。
体の方はもう健康そのもので、意識が戻った今、もうすぐにでも退院オッケーな状態ということだった。一応検査を受けて、明日には退院……みたいな流れらしい。まあ、いつまでもベッドの上だと心が持ちそうにないから、それで丁度良いのかも知れない。
期末テストはまあ、多少は学校も融通を利かしてくれると思うし、明日は休んでも大丈夫。……既に現実的な考えで塗り固められている心。あん時の私に言わせりゃ、今の私は嘘付きなのかね。
目覚めた直後。情緒不安定過ぎる私と、覚醒した今。人向けの私。
……どちらも同じ「須上結菜」という名称を冠する存在。それは、少し不思議なことに思えた。
◇
『ハンゾー:大体、私が四十五歳で結婚っていうのがおかしいんですよ! 四十五まで生きてるんですか私! 四十五でようやく結婚するなら、早死して悲しまれつつ伝説の死を遂げる方がマシです! 私は山田かまちみたいな生き方がしたいんです!』
『セオ:なれませんから。大体、死を望む人が死んだって悲しまれませんよ。惜しくないですし』
『ハンゾー:いやいや。ネット上ではちょっと有名ですから、全国的に悲しまれますよー!』
『セオ:単なる失踪扱いにしかならないと思いますけどね……』
「何の話や、それ」
「私が聞きたいわよ。引きこもりだから、誰かに愚痴でも言わないとやってられないのかも知れないけど……」
「そんな人でも、四十五以上生きるんか……」
「日本も、四十五年は安泰そうね」
「……マヤ文明とか、完全無視やけどな。こっちの占いは信じるのに滅亡は信じんって、何か不思議やない?」
「……まあ、ね。だって私達、希望が無いと生きていけないもの。都合の良いことに救われる。結構なことじゃないの?」
「……希望、か」