33.ミドルセカンドシンドローム
昼頃。
和を感じさせる戸が、ドバーンズビャーン! と断末魔の叫びのような感じみたいな勢いっぽい悲鳴を上げて開いた!
ぐらいの勢いで、星野剣が現れた。
「――ぇ。ええぇ?」
突然の来訪者に、部屋の主、透生は驚きを隠せない。
「……バ、てめ、ノックくらいしろよ馬鹿!」
「障子破っちゃいそうだし」
「だからって黙って入んなよ! というか、何でここにいんだよ。学校は? 今日は月曜だろうが」
「うるせぇ! サボったんだよ察しろ!」
「何で!?」
「ここに来る為にに決まってんだろ!」
「いや、だから何でだよ!?」
透生は、困惑の色をさらに濃くした。
変だ。従姉がここに現れることも不思議なのだが、自分に対する態度が普段と明らかに違う。
普段はもっと、腫れ物に触わるような態度で自分に接してくる。だが今回はどうだ。まるで八つ当たりでもするような、激しい口調と態度。
別に、それでも構わない。優しかった姉さんが厳しくなったからといって、動揺したりはしない。
だが、精密機械が破壊されることは非常に困る。
「……暴れんなよ、俺の部屋で」
内心ヒヤヒヤしながら、透生は言った。
「隕石が落とせなくなるからか?」
「……それもあるけど須上だよ。この機械が壊れた時、あいつにどんな影響があるかが分かんねぇんだ。下手なことは避けるべきだろうが」
「なるほど。なら、暴れんのは止めとくか」
……リスクがなかったら暴れてたのかよ!
相手の感情を無視して、なりふり構わず解決の糸口を掴もうとする。
――従弟より地球を選ぶ。その覚悟が出来たということだろう。
「とうとう、殺りにきたってところか? 何事もなく終わらせる為の、一番簡単な解決法は、俺の存在を消すことだからな」
そして自嘲的に笑った。彼自身、いつかそんな状況になることは理解していた。
驚きは薄い。……いよいよこの時が来た。それだけだ。
「……殺すんだろ? 世間にとって、俺は死ななきゃいけない存在なんだろ!?」
元々、存在価値のない人間だ。引きこもりで、特に必要ともされない、世界に影響の無い存在。……危険な思想というデメリットまで付いてきたら、廃棄処分されるのが自然だ。
――隕石を落とすと決めた時から、きっと無理だという諦めも付きまとっていた。
原因は、従姉である星野剣の存在。彼女は自分には太刀打ち出来ない、最強の鬼。
自分の野望は、いつか従姉に消される。星熊透生という存在を犠牲に、地球が救われる。
予想とかいう次元じゃない。そんなシナリオは、ちょっと目を閉じるだけで浮かんでくる。……だが、無抵抗に終わることだけは嫌だった。
――させるかよ。誰に邪魔されようと、この世は終わらせる。正攻法で来ない限り、俺は絶対に譲らない。
「姉さんがその気なら、俺だって本気で抗う」
たとえ従姉を消してでも、曲げてたまるか。透生は拳を固く握り、構えた。
理解されない。普通じゃない自分の考えなど、誰にも受け止められないまま、ただ否定されて消されてしまう。
――俺みたいなのは、大衆派には負ける。何をどう訴えたところで、下としてみなされる。
だから抗う。全力で遠ざけてやる。……よくある殺人事件の犯人って、こういう心境なのかもな。
最愛の従姉を失う覚悟があることを、知らしめてやる。
「アホか」
デコピンされた。
「――ハ?」
「物騒な考えは消せ。……決めたんだよ、お前も地球も全部救ってメシアと並ぶ救世主として未来永劫語り継がれる存在になるってな」
大真面目な顔で、剣は言った。……冗談でも冗談とは言えない態度で冗談みたいなことを言われて、透生は一瞬混乱した。
「……はぁ……? マジで……真面目に、そんなこと思ってんのかよ?」
「大真面目にな」
本当に大真面目な顔だった。思わず毒気を抜かれる。というより、毒など持っていても意味が無いように思えた。
だが、戦意は手放せない。
――半端な気持ちでは、今日の姉さんとは話せない。気を抜いたら説得される。
剣の透生に対する扱いが緩かったとはいえ、話し合いの機会はこれまでにも何度もあった。透生にとっては「甘え」であり、剣にとっては「チャレンジ」だった。そして、そのチャレンジが成功することはなかった。
原因の一つは、剣が逃げ腰だったということだった。
「……全部救うっつったな。その中には、俺も含まれてたな」
「ああ」
「だったら、姉さんに外国の子供達、全部救えるのかよ」
外国の子はお腹いっぱい食べられないんだから、嫌いなピーマン食べなさい並のむちゃくちゃな理屈ではある。別に、外国の子供が救えないからといって、この星や自分を救ってはいけないという決まりはない。全部は出来ないから一つもしない、というのは極論である。
……が、今までの剣なら、それが通用した。全部救いたいという本人の願望と、力不足で叶えることが出来ない現実とのギャップ。それが精神的にキてしまうんだろう。
だが、やはりいつもとは違った。
「――救ってやる。たとえ救えなくたって努力はする。何なら命だって捧げてやるさ。……それが俺の正義だ。昨夜決めた」
「……昨夜?」
「喧嘩して、バット砕いたり相手に説教してるうちに出た結論。……やりたいことが何なのか、はっきりしたんだ」
――それで、この自信か。険しい表情。怯むことのない、愚直の文字が浮かんできそうな目。本気の顔だった。怒りや敵意のない、充実感の漂うような……。
だが、負けられない。透生はその目を強く睨みつけた。
「……守ってどうすんだよ」
「感謝されてメシアと並んで未来永劫」
「……そういや、そうだったな」
――欲望に忠実かよ! これでは良心に働きかけるような責め方は通用しない。「結局は自分の為なんだよ!」と言ったところで、「そうだ!」と返ってくるに違いない。
だったらどうする? 何も言えねぇ! 何をどう突っ込んでも、強引に自分の考えを突き通すに違いない。
透生は悟った。……相手の考えを否定するやり方は無理だ。
――だったら、こっちも自論で行く。馬鹿にしやがって。決心が固いのは自分も同じなんだよ!
「……姉さんは、俺が隕石を落とすこと、ただの八つ当たりと思ってる?」
「……まあ、どちらかと言えばな」
普通の意見だった。
「最終的には、そうだと思ってる。他の誰にも分からない原因が本人に渦巻いて、それが八つ当たりとなって表に出る。楽しくない、上手くいかないって、その憤りを大袈裟な行動で示す。よくあることだろ。俺も時々あるし、特に思春期にはさ」
――若さ故……ってか?
結局、この従姉は正常だ。
狂人の思い描く正義になど、気付いてくれない。誰も理解してくれない。悪は自分勝手だと、勝手に決め付けられている。
――もし、気付いてくれる奴がいるとしたら誰だろうな。……可能性があるとしたら、須上くらいか。あいつも狂ってた。普通とは違った。辺境の地の真ん中で、たった一人で叫び続けているような痛々しさがあった。
透生は想像した。……もしも、この部屋にある機械達の持ち主が須上結菜だったら、この星はどうなっていただろう。
――多分、俺と似たようなことをしたはずだ。それとも、もっと派手で盛り上がる方法で、嬲り殺していたかも知れないな。
おそらくだが、絞め殺しの木に「宿主を殺す」という意志は無い。いや、意志があったとしても、そこに悪意や殺意は無いはずだ。生きる為の本能によって成長していき、気付いたら宿主を殺している……。
イノセンス。それはきっと、透明とは違う。光さえ無い、おぞましいくらい完璧な黒。
「……全部守る、か」
「ああ」
守る。それは表向き、聞こえの良い「善」だ。だが……。
「じゃあ守るって何だ? 命を救うことか? いつまで? 百歳を越えた年寄りも守るのか? 誰も死なない世の中を作るのか? 新しい命はどうなる? 人口問題からはどうやって守る? それとも守るっていうのは幸せにする為に手伝うことか? 幸せって何だ? どこまでいきゃ幸せなんだ? 犠牲を伴わなきゃ幸せになれない奴は? どこまでいったら終わりが来る? 永遠に守り続けるのか? 守ってもらう民は堕落するだけだぜ? なぁ、守るって何なんだよ。姉さんは何がしたいんだ? 自己満足で守ることが、誰かを傷付けることに繋がるかも知れねぇのに、それでも守るのか? 姉さんの能力が嫉妬を生み、誰かを不幸にしている場合だってあるし、俺達みたいな非凡な奴のせいで、平凡な奴が不幸を感じてるかも知れねぇ。キリがない。守るってのは意味も終わりも何もかもあやふやなんだ。それを、姉さんは理解してんのか? 全部守るってのは、全部を今より少しだけ苦しませることだって、分かってんのか?」
透生は、思い付くままに疑問を並べた。全ての答えを聞く気など、無かった。剣も、全てに答える気などなかった。
「……俺は守りたいように守る。努力すんだよ。命を救うことでも、幸せにすることでもない。俺がやりたいのは」
「現状維持……だろ。つまり、未来に対する逃避でしかないんじゃねぇのか?」
――幸せな誰かが、その幸せを失わないように。不幸な奴が、これ以上不幸にならないように。生きた誰かが死なないように。これまでの倫理に固執して、変化を嫌い、このままでいられるよう努める。……それが、守ることなんじゃないのかよ。
「……んー」
剣は、肯定とも否定とも取れない相槌を打つ。引きこもっていただけの従弟が自論を持っていたこと自体が、意外だったのかも知れない。
――人一倍時間もあって、人一倍孤独な存在。そんな奴が、頭空っぽのままで隕石なんか降らせる訳がないだろうが。
透生は考えた。考え過ぎるほど考えた。自分のことが中心ではあったが、鬼と人、倫理観や常識、ルール、生死、宇宙……。気の遠くなるようなことを無駄といえる程に考え続けた彼の結論は、「消」だった。
「……現状維持。だとしたら俺だって賛成だよ。俺だってそれが最善の救済法だと思うぜ。……だけど、姉さんは時間に逆らおうとはしない。何も変わらないことこそが唯一の絶対的な救済であるはずなのに、姉さんは老いを許している」
「……どういう意味だよ」
「そのまんまの意味に決まってんだろ。姉さんの守るは適当過ぎる。本当に守る為にはさ。……終わらせるんだよ、命のサイクルを。勝も負も正も負も若も老も無い、零。……俺は、それが地球救済法だと思う。どうせいつか人類が滅ぶなら、いつか来るその日を、明日にでも迎えりゃいい」
愛は消えるが、憎しみも消える。
幸せは消えるが、苦しみも消える。
生は消えるが、死も消える。
最初から何も無ければ、何も変わらない。永遠に続いていく静寂。それこそが、理想。
剣はわずかに動揺したように目を逸らした。……迷っているのだろう。感情の言語化に、わずかながらラグを要した。
「……いつか来ることなら、待てばいい話だろ。お前がやる必要はないと思うけど」
透生の思想は、はっきりとは否定されなかった。
彼女に先程まで満ちていた自信も、透生には少しだけ薄れていたように思える。……別に、だからといって透生の勝ちという訳ではない。迷いが完全に払拭出来ていないのは、透生も同じだった。
「俺が完全な善人だったら、待てばいいと思えたんだろうな。……けど、俺の為でもあるんだよ、これは。全部壊す直前、サタンと並ぶ大魔王として、一瞬だけ全人類の耳に俺の名を刻む。……いいだろ。メシアになるより楽だしな」
そうしないと、自分は無意味に終わってしまう。
悪名でも何でもいい。人の生は、認識されていないと意味が無いから。
――あとは、ゲームの中を彷徨っている須上がどんな結論を出すか、だな。あいつだけは、俺よりも正しい答えを見つけてくれそうな気がするから。