30.小心者と偽りの世界
◇
「何やねん、ここ……」
見たことのない変な生き物……モンスター? だらけの得体の知れない森。 手には剣を持っていた。服はそのまま。武器を持つにはふさわしくない、パジャマのままだった。
部屋におったはずや。なのに何やこれ。……戦えってことなんか……?
おそるおそる、いわゆるスライムのようなモンスターに近付いてみる。ゲームの世界とかなら、戦うところなんだと思う。……けどここはただの森。原生生物にやたらめったら攻撃しなくても……。
スライムは体当たりしてきた。腹にまともにそれを受けて、後ろに倒れるあたし。
「……このっ」
一旦距離をとって叩き斬る。剣道の真似みたいな素人の動きだったけど、スライムは動かなくなった。……死んだらしかった。
――あたしが殺した? いや、でも虫と同じようなもんや、こいつは。
いちいち気に病んでいたら、今度はウチが生きていかれんやろうが……。
森を出ると、草原が広がっていた。丘のふもとには町。モンスターは森の外にもいるらしく、町は壁に覆われていて、入るには門を通る必要がありそうだった。
と、冷静なフリをしてみても、あたしの混乱は止まらなかった。
――だって、何やこれ。安っぽい言い方やけど、こんなんまるでゲームの世界やないか。
「……行くしかない、か……」
モンスターと出くわしても逃げ切れるよう、若干勢いをつけて坂を駆け下りる。足を動かしながら。あたしの頭の中には、また一つ新しい不安が生まれていた。
――入ってええもんなんかな、あの門。いきなり余所者が入って、変な目で見られないか。そもそも言葉が通じるのか。無断立ち入りの罪で殺されたら……。
けど、外にずっといたらモンスターに襲われるし、方向も何も分からんのに適当に進んで、元の場所に戻れるとも思えない。
モンスターも人間も、どっちも怖いけども……。正直、人間の方が怖いけども、それでも現状を打破する為には町で情報を得ないと。……けど、
「……くそ、迷っとる場合じゃないやろ……!」
ずっと一人だった。だから今までずっと一人でやってきた。誰も助けてくれないことくらい理解している。自分で決断せんでどうするんや。
考えるな考えるな考えるな。ただ目の前の状況だけに集中すれば大丈夫や。先のことは考えたらあかん。そんな風に頭を麻痺させるようにして、ぐんぐんと門に近付いて、
「あれ?」
門付近に人の姿が見当たらない。
……おらん? いや、それならそれで構わんけど……。門どころか、その先から微かに覗く町の中にも、全くといえるほど人影が見当たらない。
いよいよ無人の門をくぐった。ひょっとして何かの罠かとも思ったけど、本当にフリーパスや。考えてみたら日本やったら町と町の移動に許可なんかいらんけども。でも、これでは立派な門とか侵入者を避ける壁とか、そういったものが無駄になる。こんなん、モンスターだって簡単に入ってしまいそうだ。
「行政の無駄遣いか……?」
人件費の削減で門番がリストラされた、という予想を立ててみたけど、外れらしい。人がいないのは入口だけではなかった。
……おかしい。どういう訳か通行人が全くいない。通行人どころか、町の中に本当に人が存在するのか疑問に思えてしまうくらい、音がしない。
案外近くに大量生産の工場か何かがあって、ここが極端なベッドタウンになってしまっている……と思うにしても静か過ぎる。人がいないだけじゃない。誰かが住んでいるという気配とか雰囲気とか、そういうものが無いのだ。
地面も、家も、木も草も。上手く言えないけど、本物のような気がしなかった。映画のセットのような、決して実用として使われることのない、カタチだけを本物に似せた偽物みたいに見えて仕方がない。
――偽物。カタチだけを似せた、本物でないもの。まるで、ただ誰にも認知されない空間で、何もせずに生きているあたしのことみたいだ。
……現実にとって必要の無いあたし。だから、こんなところに捨てられた?
「……いやいやいや、流石に」
そんなもん普通じゃない。普通じゃないことは有り得ない。脱出不可能な“普通”の枠の中で、傷付くことなくひっそりと暮らしていくのがウチの人生のはずや。結菜とは違う。あたしは現実を受け入れて、程良い妥協の上で生きて、これからもそうやって生きていくはずや。きっとまやかし。気のせいや。……きっと、今のこの現状も誰かが説明してくれる……。
血眼になって探し回るとは、こういうことを言うのだろうか。出来るだけ人間に会わないようにと思っていたはずのあたしは、今、何としても人間を見つけようと町を走り回っている。
誰でも良い。会話が出来るのなら誰でも。人間関係を遠ざけ、自分から一人になろうとしていたあたしがこんなことを思っている。クソが。何であたしばっかり……。
町の隅。「INN」という看板を見つけた。宿屋なら店主がいるはず。いないとおかしい。頼むから誰かおってくれよ……!
「ようこそ、ここは旅の宿屋。一晩100Gになりますが……」
「――」
おった。人が。
思わず力が抜け、あたしはその場に座り込んでしまう。安心した。
使っている言葉は日本語。大丈夫。ここは得体の知れない外国じゃない――。
「あ、あの!」
「ようこそ、ここは旅の宿屋。一晩100Gになりますが……」
「……あの……?」
去って行った不安が、再び心に湧き上がる。
何やこれ。ボケとんのか? それとも、からかっとんのか?
――何で、違和感。さっきまで町全体にあった無機質な雰囲気を、どうして人間から……。
「ようこそ、ここは旅の宿屋。一晩100Gになりますが……」
――。
「ようこそ、ここは旅の宿屋。一晩100Gになりますが……」
――――。
「ようこそ、ここは旅の宿屋。一晩100Gになりますが……」
――――――――やばい。
奇怪な状況に吐き気を催す。体の感覚が恐怖でなくなっていたけど、無理やり足を動かして、外へと飛び出した。吐いた。ついでに泣いた。
これ以上町の中にいたらおかしくなりそうな気がした。あの熱の無い機械みたいな店主みたいに、自分がなってしまいそうな気がして。……だから門に戻ってきた。でも、ここを離れてモンスターだらけの外に行くのも怖い。
……どうすりゃええねん。人もモンスターも怖くて、外にも中にも居場所が無い。夢なら早く覚めてくれよ。安心して一人になれるあの場所に、早く帰してくれよ――。
◇
しばらく門の傍に座り込んでいると、町の中から人間が出てきた。
顔もスタイルもアニメキャラみたいに完璧な、背の高いたくましい美女だった。
さっきみたいなやばい人間だろうか。人間を見るのは、ようやく二回目。
「うお」
彼女はあたしと目が合った瞬間、自然な動きで驚きの意を見せた。……自然だった。人間らしかった。宿屋の店主とは明らかに違う、表情の変化。動き。人間。
「――あ」
人間。――――人間だった。
探し回っていた存在が、今、目の前にいた。
「…………――――――――っ」
瞬間的に喜びや警戒心が溢れてきて、次にすべき行動が見つからなくなる。
美女はあたしを確認するように見つめると、
「プレーヤーか、こいつ」
誰か別の人に確認するように言った。ウチとこの人以外、誰かがこの場にいるのだろうか。……いや、そんなことはこの際どうでも良くて!
「ど、どこやねん、ここ!」
震える声で聞いてやった。
……同時に、相手が怖くなる。人間味のない「無」の世界も怖い。けど、善も悪も何でもある人間一人のの「在」の世界もやっぱりすごく怖かった。
「……アルス、これって……ああ、だよな。……ということは、これから他にも犠牲者が増えるかも知れないってことか……」
見た目は美人だったけど、彼女の口調は完全に男のものだった。あたしとは別の誰かに喋りかけているみたいだけど、通信機の類を持っているようには見えなかった。……それとも、精神を病んでいるのかも知れない。この世界に長居すれば、おそらくどんなに意思の強い人でも壊れると思う。
「……そういや、そうだったな。ちょうど、何で変な目で見られているのか気になってたところだよ」
美女は面倒臭そうな顔で溜息をついた。そして、あたしを見て何か考えるように唸った。
いきなり襲われることはない。……と、断言は出来ない。こういう何も無い世界で、若い女はそれだけで商売道具としての価値がある。捕まえられても不思議じゃないし、怖いのは、それを今、他の誰も目撃してくれないこと――。
まだ襲われた訳でもないし、相手が敵だと決まった訳でもない。けど剣を構えずにはいられなかった。剣を構えた手が震える。情けないけど、この醜態が今のあたしの全力の威嚇だった。
そんなあたしを見て、美女は困惑し、もう一度溜息をついた。
「えー、あー。……まず、大丈夫か?」
相変わらずの男口調。悪い奴に見える訳ではない。けど、分かり易い悪党よりも、こういう一見害にならない人からの暴力が一番怖い。あたしにとっては。
「……まず落ち着けよ」
怖い。怖いから隙を見せたくない。
「……なあ、どこなんや、ここ! 早ぅ教えろや……! 早ぅ!」
ひとまず、それさえ分かれば安心出来る気がしていた。たとえそれの安心が蜃気楼だったとしても、絶望するよりはマシだ。
「……あー。びっくりしないで聞くなら言うけど、無理だろ」
――びっくりするような場所なんかい。
既に一番隠すべき部分を言ってしまっている彼女だが、本人がそれに気付くことはなさそうだった。……からかわれているのかも知れない。何に対してか良く分からないけど、漠然とあたしの中に苛立ちのようなものが生まれる。
「っ……馬鹿にすんなや」
「震えを止めてから言えよ」
「…………」
反論出来ない。そんなあたしにまた溜息をつくと、とうとう美女は一歩踏み出し、あたしに襲いかかる……フリをした。
「……っ」
それで、びっくりして腰抜かして尻持ちつく自分はあまりにも情けなかった。
美女はかすかに笑っていた。
「悪ぃな。嫌がらせじゃねぇんだ。ただ、度胸試しというか」
「ええから教えろや! ここがどこか! その先はアンタが心配することとちゃうやろ!」
何回か声がひっくり返った。相変わらず怖くて、喉が上手く動いてくれない。
「んー……そうだな、とりあえず、お前どこから来た」
……部屋から。か? そんな馬鹿らしいことを言ったら笑われるか、怒らせてしまうかも知れないけど……。
他に答えようもない。素直にそう言うと、案外リアクションは薄かった。
まさか、この世界ではそれが当たり前なんか?
「自分の部屋から来た。ってことはあれだ。これは夢だ。だから起きれば良いんだ。けどまあ、夢の中だからって怪我すんのもよろしくないよな。だからしばらく町に引きこもってるのがベストだと俺は思うぜ」
「…………」
片手間に、自分の意見だけまくしたてられた。
「……え」
それだけ? いや、確かにこの世界そのものの存在を夢と言われれば、あたしが部屋からこの世界に来たことの説明もつくけども。けど何やそれ。こっちの意見も希望も何も聞かんと、美女はさっさとあたしから背を向け、どこかへと進んでいく。
「ホント危ないから町の外出んなよー」
「……は、はぁ」
美女が去っていくのを、あたしはしばらく呆然と眺めていた。森とは反対の方向。彼女の向かう先には、大きな川が見えた。
……おいおい。ここが夢っていうのは納得出来ん訳でもないけど。
でも、気味の悪いこの町に引きこもるなんて無理だ。体の前に心が壊れる。忠告に歯向かうことにはなるが、彼女のように外を散策している方がマシだ。
……ウチやて、森を抜けてきたんや。大丈夫。モンスターは人間よりは怖くないから。
◇
の、はずだったのに。
今まで見てきたモンスターはボーリングの球くらいの奴とか、子供くらいの身長くらいしかない奴とか、全体的に小さい奴ばかりだった……のに。
おかしいやろ。ちょっと町から離れたくらいで、少なくとも高さ三メートルはある獅子が出てくるなんて思わない。この都合の悪さは、ここがゲームの世界なんかやない。という証拠かも知れない。
……クソ、こんなに怖いのに、何であたしは冷静なんだろ……。
「……絶望したんやな、きっと」
そうか。保身さえ考えんかったら、結構人間たくましくなれるんやな。
自分を捨てて、あとは潰されるのを待つだけの現状で、ようやくあたしは自室以外の場所で、「ウチ」を捨てて、あるがままの自分になれている……。
「――ま、最期だけでも嘘つかずに済むなら悪くないか。あたしの人生」
諦めた……というか、覚悟を決めたよ。剣を置き、目を閉じる。
敗因はきっと、自分を大事にしすぎたこと。守り過ぎたあたしは、外気に対する免疫が無かった。
――もう少し早く気付けたら良かったのに。それともこれが夢なら、明日から頑張れるんかな……。無理か。こんな世界の記憶、きっと起きた瞬間に忘れてしまうから。
さよなら、あたし。……もしくは、あたしの人生。
獅子は凶悪な目をあたしに向け、
「っけぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
「え」
無粋な声が、あたしの最期を台無しにした。目を開けると、その獅子の腹には大きな槍が刺さっていた。……獅子は凶悪な顔のまま、起き上がろうとしなかった。……即死、か。
「……マジかいな」
この獅子があの一瞬で。しかも近代的な兵器などではなく、刺すという原始的な手段で仕留められたんか……?
しかも。この獅子を仕留めたあの声の主は、あたしの聞き間違いでなければ……いや聞き間違うはずもない。
「……アンタなんか? 今のはアンタがやったんか!?」
「へ? その声って春風? 何で?」
場違いなくらい、いつも通りの調子で。
獅子の上からひょっこりと、須上結菜が顔を出した。