27.救済者になろう
◇
『ハンゾー:やーやー久しぶり。元気でしたー?』
『セオ:まあまあですね……。あ、須上さんが入院したこと、知ってます?』
『ハンゾー:あ、聞いた聞いた。お見舞いとか行かないの?』
『セオ:服部先輩が思ってるほど、あいつとは仲良くないですよ』
『ハンゾー:んー? 腐れ縁なのに珍しいよね』
『セオ:そうですか?』
『ハンゾー:……話題変えましょうか。神ゲーって知ってますか?』
『セオ:ドラクエのことですか?』
『ハンゾー:いやいや、都市伝説ですよ。神になれるゲームっていう』
『セオ:怪しくないですか』
『ハンゾー:どうですかねぇ』
『ハンゾー:以前の私なら、飛びついてますけどね』
◇
そこは、まあまあ活気のある町だった。
宿屋や武器屋があり、たまに町人が歩いている。
しかし、彼らはどことなく無機質。
「なんつーか……」
空も、地面も、木も、建物も、自分の体もカックカクだぜ。
クリアとかリアルだとはお世辞にもいえない。何これ。パソコンで画面見てた方がマシだったんじゃないか?
装備品らしき腕輪には小さくyuinaと書かれていた。そういや、俺があいつの分身を借りたような状態だったか。ひょっとして顔も女のキャラになっているのだろうか。変な気分にならないうちに、考えるのを止めよう。
「とにかく視界……というか画質……というか世界が汚いんだが」
「心波のコントロールにもコツとかセンスが必要なんです。ユイナは上手に通信出来ているみたいですけど、その、瑞樹さんの場合はあまり……」
天の声。というかアルスの声が聞こえる。
姿はどこにも見当たらない。当たり前か。
「あまり……何だよ。ダメって言いたいのかコノヤロー。つーか、どっから喋ってる?」
「マイクからです。他のプレイヤーにはこの声は聞こえません」
「聞こえないというか、そもそも他にプレイヤーいねぇけどな……」
町のど真ん中にいるのだが、辺りを見渡しても人の気配はない。といっても俺が見ることができるのは精々一〇メートルくらいだが。
俺の頭のスペックって、そんなに低いのかよ。
「大体、何で見え方がパソコンの画面と違うんだ? FPSじゃねーかこれ」
俯瞰する第三者……神の視点ではなく、プレイヤーそのものの視点。
これが、ゲームの中に入る、ということなのだろうか。
「それは謎としかいえませんね。あの主催者もこのゲームのことをよく分かっていないようでしたし。……現実と同じ視点なんですから、むしろ好都合なんじゃないですか?」
「そうでもない。処理の遅いパソコンで、重いゲームを動かす感覚だ」
視界だけでなく、体の操作もなかなか思いどおりにはいかない。脳と体が遠いからか、ラグが酷い。戦闘中なんか、命取りになるんじゃないか?
「……何と言うか、何かもう何か三大欲望に帰宅欲を追加して四大欲望にすべきな訳がないだろ馬鹿野郎ぉぉぉ!」
「はぁぁ!? 情緒不安定ですか!? しっかりして下さいよ!」
アルスの慌てる顔が、声だけで想像出来た。しっかりしたいけど、こんな場所で冷静でいられる訳がないだろうがと開き直ることにした。
「八つ当たりしたい気持ちも分からなくもないですが、ユイナが危機的状況な今、あまり無駄に出来る時間はありません」
「そりゃそうなんだけどな……」
情けないとは分かっているが、生憎こんな場所で平常心でいられるほど常識知らずじゃない。
「RPGは序盤が危険なんだ」
「いや、序盤じゃないですよ」
「……え?」
「瑞樹さんは新規でアカウントを作ったわけじゃありません。ユイナのアカウントをちょっと借りているだけですから」
「マジか」
試しに荷物の中を覗く。強そうな武器に、効きそうな薬草。
充実している。ある程度の強敵と戦えるくらいには。
……強くてコンティニュー状態か!
「ガンガン行くか」
「急に元気になりましたね。死なないこと、早めに言っておけばよかったですね」
「全くだ」
歩き出す。
そして町を出ようとして、門付近で少女と目が合った。結菜と同じくらいの彼女はうずくまり、ちょっと涙目で俺を警戒するかのように睨みつけている。
すぐに分かった。他の無機質な町人とは違う。プレイヤーだ、こいつ。
女の子は震える声で言った。
「……どこやねん、ここ……!」
◇
『セオ:そういや、服部さんは最近どうですか?』
『ハンゾー:私ですか? バリバリ引きこもってますが』
『セオ:ごめんなさい』
『ハンゾー:……いや、謝られると逆にくるものが』
『セオ:罵倒する訳にもいかないので』
『ハンゾー:ちなみに今、とあるやっさしー後輩が片付けに来てくれてましてねー。無料で』
『セオ:介護……的な。ホームヘルパー的な感じですねそれ。ホント早死にしそうですよね服部先輩』
『ハンゾー:そういや関係無いけど、ハルカちゃんはどうなったんですか? 私の仲間入りルートですか?』
『セオ:分からないです。何度も言いますけど、ユイナもハルカもあんまり仲良くないんです』
『ハンゾー:そうですかー。まあ、何とも言えないですけどね』
『ハンゾー:あ、でも一つだけ』
『ハンゾー:もし、ずっといなくても、忘れないであげて欲しいなー』
◇
それなりに大きなマンションの一室。
大きなテレビ、立派なパソコン、高そうなソファー。それらを台無しにするかのように玄関には無数のゴミが散らかっている。
「ちょっとは隠そうとしろよ……。何で玄関に置くんだよ?」
ジャージ姿で片付けモードの剣が言った。
「一番使わないスペースですからねぇ」
部屋の主は目線をパソコンに向けたまま、ヘラヘラと答えた。他人事のような言い方。
「魚の骨が玄関に転がってるって……」
「凄くないですか? 私が魚を調理して食べるなんて」
「アンタが堕落し過ぎなだけだっつーの……っと、メールが」
剣はゴミを片付ける手を休め、携帯を開き、
「瑞樹がゲームの中!? どうなってんだあの兄妹!」
従弟から届いたメールを見て、心底驚いたように叫んだ。
「瑞樹くんらしいねぇ。楽しそうなことになってるじゃないですかー」
「楽しいって……」
「私も入りたいですよ、ゲームん中」
腰まで伸びた真っ白い髪と、黒い甚平。細い体と白い肌。パッと見は雪女。名を、服部清子という。
彼女は引きこもりである。……特にダメなタイプの。
コミュニケーション能力はむしろ高い方で、外にいれば居場所くらいいくらでも作れるくせに引きこもり、面倒臭がりで、更生する意欲も無く、生きる気力もなく、見兼ねた知り合いに頼んでもいないのに助けられている。
そして悩もうとしない。開き直っている。そして「仕送り以外では親に頼ってない」と誇らしく言ってしまう。本人も時々クズを自称している。
本当にクズなら助けようとはしない。
……と、少し前までの剣は考えていた。
だが、時間が経つにつれ、自分が何故このどうしようもない人の世話を焼いているのか、分からなくなることも多くなってきた。
少なくとも剣から見た服部清子は、本物のクズであった。
「はい、手を休めないで。ボーっとしてたら終わりませんよー?」
「……手伝えよ。自分の家の片付けだろ?」
動くはずはないと諦めながらも、無駄な頼みを呟く剣。
「勝手に押しかけてきて、頼んでもないのに片付けを始める人が言えることですか?」
ヘラヘラした態度を保ったまま、清子が言う。
「……悪いな」
剣は少しだけ表情を曇らせ、トッポの箱を乱暴にゴミ袋に突っ込んだ。大したことは言われていない。腹の立つ態度はわざとだ。
苛立ってどうする。相手をしなければ良い。適当に流して、とりあえず死なないだけの、最低限の支援をすればそれでいいだろ。
だが、鬼狩りが現れ、従弟が地球を壊そうとし、結菜が入院し……。
剣も疲れていた。
「俺じゃ、先輩を助けられませんか?」
彼女にしては珍しい、しょげた声。
――自分の力なんかじゃ、誰も救えない。地球どころか、知り合いの引きこもり一人、動かすことができない。
客観的に見る清子には、剣の感情を知ることができない。表情を見れば、不安定な精神状態を想像くらいはできただろう。
しかし、清子の目は、相変わらずパソコンの画面から離れない。
……不完全なコミュニケーション。
「結菜も、瑞樹も、光村や透生や先輩も。俺じゃ助けられないんですかね」
口元の震えを隠し、剣は静かに言った。どうかしている自覚はあったが。止まらない。清子に甘えてしまっていることに自分で呆れながらも、剣は自身を制止することができなかった。
「ふむ、キレるタイミングが急でしたね」
ようやく目線を剣に向け、茶化すように言う清子。
「未熟ですな」
「……何もしてないアンタに何が分かんだよ!」
へらへらと笑っていた服部にそう吐き捨てると、剣は玄関を飛び出した。
マンションから出る際に剣とすれ違ったおっさんが、何事かと言わんばかりに剣を二度見した。彼女がよほど怖い顔をしていたからだろう。
――後悔。下らないことで暴走してしまった。
おかしい。
どうかしている。
今日の自分はらしくない。
行き場のない怒り。だが、それも長くは続かない。
頭の中に残ったのは、子供じみていて滑稽な、数分前の自らの姿。
「――糞」
自分に。清子に。透生や光村に。……全部に向かって吐き捨てる。
歩きながら、頭の中で無意味な葛藤を繰り返して、子供みたいだと惨めな気分になりながらも、仕方ないと妥協する。帰る気にもならず歩き回り、辿り着いたのは小さな公園だった。ベンチに座り込み、さっきまでいたマンションに目を向ける。
清子のあのへらへらした笑いが浮かんできて、少しおかしかった。
守れないのか。
守らせてくれよ。
自尊心を保つためかもしれない。自己満足したいだけと言われたら否定できない。それの何が悪い?
――守りたいんだよ!
「お悩みですか? 珍しいですね、鬼なのに」
声がした。光村雫の声。
「……何か用?」
「桃太郎が、鬼と友達になると思いますか?」
「なろうと思えば、なれるんじゃねーの」
「なろうと思いませんから」
相変わらず人形のような目をした彼女の考えが、剣には分からない。
鬼を殺してどうなる。世の中にはもっと悪い奴だっていくらでもいる。それなのに何故、執拗に自分達を狙うのか。
「……私怨だろうが」
全て聞いて、全否定して、説いて、納得させてやりたい。
剣の中の凶暴で勝手な正義が、収まった負の感情を再燃させる。本当に自分らしくないと、剣自身、少しだけ戸惑いながら。
「まずは自分の首を切り落としやがれ。お前は、自分が何者なのか知っているはずだろ」
「レシピどおりに進めないと、料理は完成しないのでね」
光村は一本の金属バットを握っていた。
銀色に光るそれは、見様によっては鬼の武器……金棒だ。
「……存在そのものが皮肉だな、お前」
剣は飛び跳ね、相手と十分な距離を取ると、我流の……我流だからこそ個性のない、よくありそうな構えを取った。
「今晩くらいは本気で相手してやるから、覚悟しな」