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ユイナの地球救済  作者: 大塩
善人
26/52

25.weak student 2


 メールの返信は無い。

 多分、見られてもない。

 それでも送り続けた。毎日、内容を変えて。

 ――そろそろ起きたか?

「……何通くらい溜まったかな」

 そんなことを思ったら、途端に何か恥ずかしくなってきた。


 正確なデータは知らないけど、二階建てに住む奴が多い気がする。最近ではマンション暮らしの同級生も、それなりにいる。けど、平屋に住んでいる同級生の話はあまり聞かない。そこに引きこもる人の話はもっと聞かない。

 そう考えると、案外あたしは希少種らしい。割と少ない、珍しい類。

 ……自尊感の回復を狙っての連想だったのに、返って疎外感を深めてしまった。



 あたしは、引きこもりとなった。

 本来ならあたしは高校二年生だ。いや、今もそうだ。

 だけど、そんな気がしなかった。まるで部屋の中だけ世界と切り離されているような、そんな感じがするから。だから学校のことなんて考えられない。まるで異世界にでもいる気分だった。

 ここはあたしだけの世界。誰にも邪魔されない。だからここにいたかった。学校をサボりたい訳ではない。サボりたいのは人間関係だ。今のあたしは、人に会う為のエネルギーが不足しているから。

 だからガラス戸を閉め、できあがった自室で孤独になった。木で出来たこの家は意外と隙間だらけで、密室というほど閉鎖的でもないけど。……だけど、居場所なんて他にないから我慢した。

 一日中そこにいたら、いつの間にか午後六時。学生の帰宅時間。窓の外を覗くと、中学生達がチラホラと目に付いた。

 考えないようにしていても、浮かんでくるのは学校のことばかりだった。解放された快感と、切り離されてしまったという疎外感。「行かない」という道を選んだのはあたしのはずだろ。なのに……我儘。

 デジタル放送を受信できないブラウン管は、一昔前のアニメを流している。DVDだ。暇潰しになるものを、と親に頼んだら、借りてきてくれたもの。

 正義を語る主人公が悩みながらも頑張って悪を倒す話。……あまり好きな内容ではない。

 正義が好戦的。悪が、悪でしかない。悪が滅んで、誰も悲しまない。親の子供っぽいセンスに任せたのも、失敗の一つだったのかもしれない。

 今、エピローグみたいなのが流れている。悪が滅んでしまったというのに、どうしてこんなに幸せそうな終わり方なんだろう。

「……いなくなって喜ばれる悪、か」

 あたしはどうなんだろう。いなくなったことを、みんなに喜ばれているのだろうか。だって目障りだったはずだ。結菜以外とは会話もなかったし。……自分で言うのも何だけど、一部では嫉妬されていたし。

 邪魔なものは悪。大勢にとって邪魔なものは、大勢にとっての悪。クラスにとって邪魔なものは、クラスにとっての悪。

 その考え方でいくと、あたしは悪になってしまう。

「……クソが」

 クラスも、社会も、間違ってる。勧善懲悪なんかただの差別だ。こんなアニメ、世間に流通させるなよ!

 結局、正義なんて多数派なだけじゃないか。少数派は問答無用で悪呼ばわり。始末される。

 ふざけてる。最低だ。こんなのが社会にあるからいけないんだ。

 屁理屈なのは自覚してる。けど、誰かのせいにしたい。

 だから――!

「……全部、お前らのせいだ!」

 違う? それくらい知っている。情けないのだって自覚している。あたしの発想の全てが小物じみた言い訳だってことも分かっている。

 けど、それだって元を辿れば社会のせいだ。もっと違う環境で違った生き方をさせてくれていれば、こうはならなかったはずじゃないか。

 いつかはマシになれると思っていた。なのに、蓋を開けてみれば不登校だ。こんなことになるなんて、あたしだって思わなかった。一体、何が私をこうした?

 親? 友達? 学校? 社会? ……原因は分からないけど、きっかけは一人の友達。

 クラスメイトの一人が入院して、そいつが学校に来なくなったという、ただそれだけのことだった。

 それだけ。本当に、たったそれだけのことなのに。


 なのに。


 それだけで、学校に行くことすら怖がってしまう自分。同級生も先生も信じることができずに、親を頼って、部屋に籠った。

 他に行くところがなかった。外に出れば、いつ同級生と出くわすか分からない。

 もしできるなら、自分のことを誰も知らないような新天地へ行きたい。でも無理だ。引っ越せなんて親にも言えないし、転校して一人暮らしをしていく自信もない。お金もない。そもそも口だけで、そんな冒険をするつもりは微塵もない。

 まず安全なのはここしかない。だからここにいる。

 言い訳を頭の中に幾つも並べて、たまに涙を流した。

 笑えることがあっても、暗い顔をしないと理解されない。だから笑ってはいけないと自分に言い聞かせ、自分の描く「不登校」を二週間以上、演じている。

 こんなはずじゃなかった、と言いたくても、こんなことになってる自分がいる事実。正しいとか正しくないとか、得だとか損だとか、将来とか進路とか、そんなことはどうでもいい。ただ生きる「今」が苦しくて、安住の地に逃げ込んだ。それが間違っていると言われたら、もういっそ自分で死ぬしかない。

 もしもゲームみたいに、それぞれに適合する場所というものが人間に設定されているのだとしたら、多分、あたしの場所はここ……自室だと思う。

 力を抜いて、自分という存在を芝居の鎧で守らなくても良い空間。怖がらなくても平気な、ただ一つの場所。

 楽しくもないのに毎日頑張っていたのは、この部屋へ帰る為。

 できることなら永遠にこの部屋に居たい。寂しくなんかない。こうしていれば、家族が守ってくれるから。

 顔で人を選ぶような軽い男達の標的でも、クラスの残念美人でも、疎外された教室の落ちこぼれでも、芝居がかった大阪弁の「ウチ」でもない。


 「あたし」。素のままの「桜木春風」。


 この部屋にいる時だけ、あたしは自由でいられる。



 クソつまらないアニメのエンディングが終わった。と、ちょうどそのタイミングで。

 親は仕事でいないのに、玄関のチャイムが鳴った。インターホンはない。チャイムが鳴るだけだ。

 一瞬、出ようかどうか迷う。けど。

「……これは、無視やろ」

 架空のもう一人の自分と相談して、無視することを決める。居留守だ。いくら不器用でも、あたしにだってそれくらいの嘘は吐ける。

 だが、相手が誰か分からないままなのも気味が悪い。わたしはカーテンの間からそっと目を出し、ガラス戸から外を覗いた。

 外を見て、一瞬悲鳴を上げそうになった。

 そこには一人の同級生が。……瀬尾がいた。

「――ハ?」

 血の気が引く。体温が数度下がったような気がした。頭の中を学校のことが駆け巡る。脈打ちが早くなる。いやいやいや、確かにウチはあいつのことが若干苦手やけども。せやけども!

「……くそが、落ち付け。緊張してどうすんねん」

 自分に言い聞かす。二重人格ごっこをしたところで、ただちょっと恥ずかしくなるだけやった。

 どうしよう。いや、どないしよう。ああもう、何を悩んでるのかさえ分からない。いつの間にか関西弁の殻を被っている。心の中の呟きでさえ関西弁になりかけている。やっぱり部屋の外は駄目だ。あたしがウチになってしまう。いや違う。ウチにならなきゃ。クラスメイトの前で、本当の自分なんか出しても気味悪がられるだけやんか。でも居留守するって決めたんじゃなかったのか。ああ、もう!

 確かに二週間も不登校をしてたら、誰かがプリント届に来たり、様子を見に来るということも有り得ない話ではない。それに、友達の少ないあたしにとって、瀬尾はこの家を知る数少ないクラスメイトだったりする訳だが。

 それでも、何で瀬尾。

 不登校の原因を作った悪者に仕立て上げられないうちに、謝って済まそうという魂胆……とか? 勝手な被害妄想かも知れんけども、見当違いだとは思えない。だって仲良くなかったやんか! 近づく理由が他にないやんか!

「落ち着け落ち着け落ち着け……!」

 やっぱり居留守は中止にして出てみようか。というか、出るしかないか。「休んでる間、あいつは家を出て外で遊んでる」みたいな誤解を生みたくはない。

 大丈夫。ちょっと相手すれば終了やないか。そう自分に言い聞かす。

 今逃げることのは……瀬尾にびくびくするのは、情けなさ過ぎる。

 足がちょっと震えた。泣きそうになった。でも、結菜がいなくなってすぐの教室よりは楽だ。楽なはず。そう思いこめば大丈夫。

 喋れないほど喉に力が入って、心臓の音で思考がサビたみたいになる。でも、もう前しか見ない。数秒、数分なら我慢できる。

 泳げないのに泳ごうとする感じで。さっとサンダルを履いて、勢いのまま玄関を開ける。

 ガラガラ、どん。

 スライド式の玄関の乱雑な物音に、背を向けかけていた瀬尾は驚いたように振り向いた。

「あ……。いないのかと思っちゃった」

「……よう」

 決まり悪そうな瀬尾と、そんな瀬尾を見れないウチ。お互いに視線を逸らしている。何だか妙な状況だった。

 一瞬の沈黙。本気で居心地が悪い。

 重たい雰囲気に、逃げ出したくなる。玄関を閉めたい。早く部屋に戻りたい。そんなことばかり考えていると瀬尾が歩み寄ってきて、厳かに喋り出した。

「……あの、プリントを持ってきたのよ。休んでる期間が長いから、机の中に色々溜まってて」

「あ、ああ……うん」

 山積みとまではいかないけど、それなりの量になるであろうプリント類を受け取る。受け取って、……黙ってしまう。それで、すぐ後悔した。

 関西弁の中で、「おおきに」はまだ使ったことがない。

 別に、「ありがとう」を使うということではない。感謝の言葉を伝えるという何でもないことが、あたしは物凄く苦手なのだ。

 理解できない人からすれば、あたしはどうしようもないぐずとか、酷ければ障害を持った子に思えるかも知れない。けど、脳から送り出した「ありがとう」という一言が喉を通り抜けるその一瞬、いつも恐怖心がこみ上げてきて、喉と舌が上手に機能しなくなってしまう。

 結局、今回も言えず仕舞い。音ゲーみたいに、タイミングは本当に一瞬で過ぎ去ってしまう。

 気を悪くしたかどうかは分からないが、瀬尾が録音した言葉を再生するみたいに喋り出す。

「宿題は嫌ならやらなくても良いって、先生が言ってたから。まずは出席が大事だから、頑張って学校に来ることに集中するようにって」

「……そうか」

 今更といえば今更だが、完全に不登校扱いやな。嘘でも体調不良と同じ扱いが良かった。

 不登校というレッテルを貼られると余計に行き辛いの、何で分からんかな……。そんなウチの思いをさらに加速させるかのように、瀬尾は一言。

「……頑張ってね」

 仲間思いのクラスメイトみたいに、すごく気持ちを込めて言い放った。

「――ッ」

 学校のこと、先生のこと、瀬尾のこと、くだらないクラスメイトのこと。……そして結菜のこと。

 少し前まで日常だったことを思い返し、思わず泣きそうになった。それは勿論、感涙なんかじゃない。瀬尾の温かい言葉に励まされたなんてチープな涙じゃない。

 劣っているのは分かっていた。けど、頑張ってなんて言葉は、優劣をキッパリ二つに分けてしまう。

 負けている。駄目な奴。目障り。邪魔。そんなことは誰も言わないけど、それくらい自分で気付く。自信が持てない。桜木春風という存在を、自分で認めてあげることができない。

 あたしは桜木春風以外の何者かになりたかった。別の何者かとして生まれて、もっと自信を持って、もっと色んな奴と話して、結菜とももっと素直に接したかった。

 あたしの表情の変化を読み取ってか、僅かに困り顔を浮かべる瀬尾。……羨ましい。あたしだって、誰かの面倒を見れるような社会的強者になりたかったよ。

 あたしは今、どんな顔をしている? 怖い顔? 悲しい顔? 心配になる? それともアンタにとっては、こんな弱者の表情変化なんか、ただの厄介事でしかないのかな?

「……それじゃ、ね。その、色々アレだけど、たまには教室来てよね。クラスメイトが二人もいなくて、みんな寂しがってる訳だし……」

 出まかせ。あからさまな嘘。ふざけてる。

 あの連中が、ウチや結菜がいなくなったくらいで寂しがる訳がない。あたしがいない方が、教室は返って和やかなんじゃないかと聞き返したくなるくらいだった。

 けど、そんな思いストレートにぶつけられない自分がいる。嘘を嘘だと分かっていても、それを指摘できない自分。はがゆい。情けない。けど怖いから黙って見てる。

 教室での居場所が完全に消えるのが、怖い。初めからそんなものは存在していなかったかもしれないし、多分明日も教室には行かない。けど、それでも怖かった。



 部屋に戻って、格好付けた「ウチ」の仮面が外れた瞬間。「あたし」は涙を流し始めた。

 分からなかった。自分のことも、瀬尾のことも、学校のことも。

 けど、瀬尾に来られて、嘘だとしても普通に話しかけられて。少し喜んでいる自分がいた。結局あたしは何がしたいんだ。分からない。

 いじめられた経験は……あるようなないような。あやふやだ。家族だって普通に元気だし、あたし自身、健康体だ。世間に同情してもらえるような理由や過去はない。

 それはつまり、学校に行かない正当な理由がないということ。あたしはただの我儘な若者ということになる。

 違う。あたしは我儘なんかじゃない。行けなくなった理由を具体的には説明できないけど、だけど……。

 ――あたしは絶対、弱虫なだけじゃない。


 自室に戻って、少し寝ることにした。

 もう疲れた。これ以上は何も考えたくなかった。

 寝てしまえば、起きるまで逃げることができるから。ほんの少しだけ、あたしは桜木春風から離れることができるから。

 ――死にたい。そんなこと言っても誰も相手にしてはくれない。

 「甘えるな、死なないくせに」なんて。……そりゃ死なない。むしろ死なない為に愚痴をこぼしている。

 慰めて欲しいのに、訴えれば訴えるほど疎まれ、突き放されて、居場所は更に奪われていく。

 いよいよ自室以外、どこにも行けなくなった。



 ――確かに、寝たはずやねん。

 自室の布団で。一番安心出来る、独りの場所で。

 それなのに何やこれ。何でウチは森ん中におんねや。どこやこの森。訳が分からん……。

 無意識に自分が「ウチ」に切り替わる。あの部屋におらんと、例え一人でも「殻」を被らんと怖くて仕方がない。「あたし」は「ウチ」に籠って、出てくることはない。

 二重人格とは違う。単なる中二病と変わらんゆーことはたまに自覚するけども。

「……いや、夢やろ、これ」

 そうや。それしかない。けど何やこれ。何でほっぺた抓ったら痛いんや。

 まさか……現実ではないやろな。

 帰らしてくれよ。頼むから。

 頭の中では既に把握しとった。これが夢ではないこと。知らん場所に一人でおって、それは極めて危険な状況であること。

 とにかく、うろたえるしかなかった。

「……どないしよ。夢とちゃうで、これ」

 せやな、その通りや。

「……ならもう、歩くしか、ないん、かな」

 おかしいな、ちょっと迷子になっただけやん。何で……涙出てくるかな。こんなとこまで来て泣いてる自分が情けないわ、ホント。でも、怖いんや。すごく怖い。

 あたしはファンタジーなんか望んでない。ただ家におりたいだけなのに。せやのに……!

 「何やねん、ここ……!」



「もしもし、姉さん?」

「ああ。何だか今日はよく連絡してくるな。何かあった?」

「予想外なことが……いや、あいつが入れるんだから有り得ないことはないと思っていたんだけどさ……」

「は? はっきり言ってみな」

「……須上結菜以外の誰かが、ゲームの中に入ってきちまった」

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