24.正義VS正義 2
砕け散ったガラスが、夕陽を反射する。
病院と接する駐車場の、建物の陰。
サイキック団団長、瓜生正義は、目付きの悪い少女を押し倒したまま、語り始めた。
「僕が須上結菜を殺そうとするのには、理由がある」
「知るか」
「黙って聞いとけよ……」
いちいち反抗的な態度に、瓜生は半分呆れていた。
――何なんだよ、こいつ。
ただの人間ではないとして……じゃあ、何だ?
彼は、改めて少女の顔を観察した。
特徴的なのは、やはり強い眼差し。何かを追い詰めるような、冷たく底の見えない目。だが、それは同時に、彼女自身が何かに追い詰められているような。そんな風にも見えた。
――さっさと語ってしまおう。
告白や懺悔というより、野良猫に愚痴でもこぼすくらいの気持ちで。彼は再び口を開いた。
「先月の激しい雷が落ちた夜。僕は自室でパソコンを触っていた。そしたら急に画面が止まって、死神みたいな少年が映ったんだ。彼は隕石を落とすとか何とか言っていた。狂っているみたいだったな」
「少年と、隕石……? いや、いい。続けろ」
――手応えありか? このまま順調にいけば、ひょっとしたら助かるかも。
瓜生は無意識に表情を軽くしながらも、強気な態度を意識しながら続けた。
「隕石とか、雷とか。時間帯が遅かったこともあって、僕は夢のような現実のような。妙な気分で画面を見ていた。そしたら急に激しい頭痛がして、立っていられなくなって……。そして、僕は未来を見た」
「未来?」
殺気。理解できなくなると、彼女はいちいち敵意を発する。その威圧感が彼を縛る。恐怖で包む。手が震える。
……それでも自分が正しい。それを説明しなければならない。
自分を奮い立て、瓜生は続けた。心臓が邪魔くさかった。落ち着かない鼓動。震える体。それらをどうにか制し、言葉を発する。
「何故、それが未来だと分かったのか。何故、僕にだけ見えたのか。謎は多いけど、本当に嘘ではない。未来の世界は、一人の少女に滅ぼされていたんだ」
笑われても仕方のないような話ではある。彼自身、自らの発言が妄言にしか聞こえない。もしも他人がこの話をしていたら、彼とて笑い飛ばしていたはずだ。
だが、彼は大真面目だった。
「――その少女の名は"スガミユイナ"」
「馬鹿な」
「その後、実際に現実に、近所にその少女がいることを知った。……そいつが暮らしているのを、黙って見ていられるはずがないじゃないか。僕はあの子を消して、未来を変えなきゃならない。だから、キタガワ……キタムラだっけ……あいつや他の仲間と共に、あの子を殺そうとしていた」
「妄言だ」
冷たい声。冷たい眼差し。スガミユイナより、目の前の少女が世界を滅ぼしてしまいそうだった。
「……それでも。気が狂うほど悩んだ結論がこれなんだ」
犯そうとしている罪は、世界を救う為。だから悩んだ。そして、その結果が今だった。
だが、何を言っても少女は理解してくれそうもなかった。その歯がゆさに、瓜生は悲しみを感じていた。
「……殺人は悪、なんて単純な話ではダメなんだよ。自分のやっていることを見つめ直すべきなのはそっちだろ」
これはダメ、あれはダメ。そんな模範的な生き方では、何も救えない。
――もっと、やるべきことがあるはずだろ。滅びが見えるなら、変えないといけない……!
「"スガミユイナ"は、生きていちゃいけないんだ」
瓜生は、押し倒した少女の首に手を置き、言った。だが、少女の表情は変わらない。
相変わらずの否定の目。それが、彼には痛かった。
……認められない。何故。全てを捨てて世界を救う。そんな自分の行動が、どうして理解されない。邪魔が入る。キタムラだって二回も失敗した。
一人の命が失われることを、世間が良しとしない。
それはつまり、この世の中が自壊することを意味するんだぞ?
「……アンタみたいな単純な善人モドキは、ただ怖いだけだろ? 今までの絶対的な価値観が、突然現れた僕に壊されるのが怖いだけなんだよ。だけど結末を知っているのは僕だけだ。だから僕しかその解決法が分からない。僕には分かるんだよ! どうればいいのか、一番よく知っている!」
彼は叫んだ。病院中の患者が目を覚ましそうな、情けない大声。
少女は答えず、代わりに再び幾つかの青白い炎を空気中に浮かび上がらせた。
相手を押し倒したままでは、ヒトダマを避けることはできない。……というか、単にビビって飛び退くと、彼は少女の放ったヒトダマを、再び掌で受け止める。
「また掌。無敵かとも思いましたが、それならわざわざ掌で受け止める必要もありませんよね。おそらく貴方は、掌以外は凡人と同じなのでしょう」
「……物騒な奴め」
正面から向かってくるヒトダマの群れ。それらを全て掌で受け止める。
どうにか全てのヒトダマを消し去ったとき、正面には誰もいなかった。
「っ、しまった……」
――直後。背中に、車に衝突されたような衝撃が走る。
コンクリートに叩きつけられても無傷だった彼が、後ろから蹴り飛ばされ、地面に転げた。
「が、――はっぁ」
立ち上がるよりも速く、少女は彼に迫っていた。
瓜生は咄嗟に掌を構える。だが、少女は攻撃せず、そのまま後ろへ通り過ぎた。駆け引きができるほどの余裕は、彼にはなかった。相手の全ての動きに反応するうちに、どうしても新たな隙が生まれてしまう。
そして、再び背中に衝撃。
「……うぐっ」
後ろに回られ、二発、三発。明らかにまずい打撃音が鳴った。
ようやく振り向き、四発目を受け止めるも、五発目以降は目にも止まらぬ連続攻撃。実力は向こうの方が確実に上だ。二つの手では防ぎ切れない。
……力を吸収する掌。音も、熱も、どんな力でも奪ってしまう悪魔の能力。
だが、それ以外は凡人と何も変わらない。そんな彼が、人外の化け物とまともに戦えるはずもない。
「くそ、死神め!」
「正義を執行しているだけです。悪である貴方を、私は消す」
「……頭空っぽってことだな。お前も、この世界も!」
自分が悪呼ばわりされている。それが、破滅へ向かう未来を変えようとした結果。
――悪は必ず滅びる。最後に残るのは正義だ。そう信じてここまでやってきた。なのに!
正義が、滅――。
そのとき。
「させねぇよ」
突如、透明な何かが彼の周囲を包んだ。全速力で突っ込んだ少女は、それにぶつかって倒れた。
「――おぉ……」
誰に何の目的でかは分からないが、助けられた、らしい。
気が抜けたせいか、足がもつれる。瓜生正義はその場で倒れ込み、その態勢のままで少女を見ていた。
「……これは一体」
「危なかったな」
いつの間にか傍にいた誰かが笑う。中性的な美人だった。女のようだが背は高く、風になびく栗色の髪が、彼女の雰囲気を大人びたものにしている。
彼女の右手には、何故かゴキブリが握られている。
「……だ、誰だ? そのゴキブリは一体」
「俺は須上結菜の知人だよ。このゴキブリは機械な、一応」
声は女性のものだったが、口調は男よりも男らしい。その女は膝をついた彼に向かって、無邪気に、面白がるように笑いかけた。
◇
数分前。
ゴキブリ型の偵察機が、光村雫が瓜生と名乗る男性をボコボコにしている様子を捉えた。モニター越しに見ていた剣は、とりあえず呆れた。
あのバカ、いくら何でも容赦がなさ過ぎだろうが、と。
剣としては、あまり光村雫と頻繁に顔を合わせたくはなかったが、止めに入らない訳にもいかず。
来てしまった。来て良かった。
来ないと人が一人死ぬところだったから。
倒れたまま、ぽっかりと口を開く彼に対し、剣は笑いかけた。友人のように軽い調子で。
「全部聞いてたよ。アンタ、未来が見えたんだってな?」
「ああ、まあ……」
微かに緊張感の残った声。剣がターゲットの知人であることが、ネックになっているのかもしれない。
「未来視か。面白いよな。これから起こったことが既に起こったことみたいに見えちまうなんて。……ついでに、それを変えようとするアンタも」
狐のような、にやっとした笑み。それも効果なし。瓜生は困惑と恐れの混じったような顔をしながら、しきりに口をパクパクさせていた。
「……お、おま」
「言いかえれば滑稽かな。まあ、この世の中、滑稽じゃない存在の方が少ないくらいだけど」
「お、お前は……」
「ん?」
「……お前は、どっちの味方なんだ?」
やはり、恐れるような声だった。
「どっちかの味方につかなきゃダメか?」
「……なら質問を変える。僕の敵か?」
剣は即座に首を振った。
横に。
「間違いなく味方じゃねーけど、敵でもない。ただ意見が違うだけだよ」
委縮する彼に、剣はもう一度微笑んだ。……微笑みながら、考えた。
――この男が、結菜を?
普通の、どこにでもいる、何でもないただの男じゃないか。
クラスメイトや若い教師に混じっていても気付かないような、本当に普通の青年。剣は今だに半信半疑な思いで彼を見ていた。
――何かの間違いではないのだろうか……。
「結菜が世界を滅ぼす、か」
本人に直接聞いてみた。
「嘘じゃない」
即答された。そして、瓜生が熱弁を始めた。
「あの子を早く殺さないと、世界が危ないんだよ。サイキック団を作った理由の一つは、彼女の殺害を確実に行うこと。メンバーは全員、その後の人生を捨てて挑んでいるんだ」
「あのホッキョクグマもメンバーだったな。あいつが二度も結菜を襲ったのは、そういう事情があったからか」
残りの人生を捨てて……。確かにそのとおりだった。クマは自ら鼻の長い特徴的な素顔をさらけ出していたし、目の前の彼も、変装も何もしていない。
逃げ切ることは考えていないのだろう。社会的な死は覚悟の上。それは、彼らが本気だということを強く物語っている。
「……だけど、少し焦り過ぎなんじゃないのか?」
剣は感情を少しだけ揺らされながらも、小さな文句を言った。
――自分には、未来が見えない。だから、真っ向から否定はできない。
だけど、黙ってはいられない。
冷静になれと訴えるしかできなかった。……いや、それすらする資格はないのかもしれない。
自分が冷静かどうかも分からない。本当に冷静なのは、ひょっとしたら相手の方なのかもしれないのだから。
「……」
須上結菜が世界を救うという説。
須上結菜が世界を滅ぼすという説。
どちらが正しいなんて確証は、剣にもなかった。救う方であって欲しいのは……ただの、自分の願望でしかない。
たった一人の命で、世界の平穏が維持されるのなら、確かにその一人を殺してしまうのが手っ取り早い。
――だけど。だけど? だけど……。
「悩みの種が増えちまった」
剣は溜息をついた。
ふと壁の向こうに目を向ける。光村は一生懸命に壁を叩いていた。廃車が転がっていた。
おそらく、壁を破ろうとして投げ付けたのだろう。
「……うぉおおおおお! あの馬鹿! 罪とか何とか言って、自分で器物破損の罪を犯してんじゃねぇか! のんびり話してる場合じゃねぇ!」
剣は瓜生の腹に、掌をぐっと押しつけた。
「ハァッ!? がっ――」
「治癒とか回復とかは専門外なんだけど、ひとまず、これでしばらく持つだろ。アンタが逃げれば、光村も目的を失くして帰る。だからさっさとどっか行け」
手を貸し、立ち上がらせると、剣は彼を突き飛ばした。
「痛たたた……あれ、平気だ。いやそれよりも」
「早くどっか行けって。これ以上他人の車を巻き添えにはできん」
「……良いのか? 僕を逃がして」
どことなく間抜けな顔で言う瓜生。
何となくおかしくなって、剣はもう一度、今度は本物の笑みを彼に見せた。
「殺しておかなきゃ不安で仕方のないアンタや、そこの餓鬼とは違うんだよ。俺は誰も犠牲にはしない」
「……そうか」
彼は短く返事を済ますと、言われたとおりに逃げ出した。その背中を見送りながら、剣は憂鬱な気分を溜息にして吐き出した。
「しばらく時間を稼いだら、俺も逃げなきゃな……」
壁の向こうの分からず屋を見ながら、そんな独り言を漏らす。
なぜ逃がしたんですか。彼女の口が、そんな風に動いた。
「……説明なんか、聞かないくせによ」
逃げるのも悔しくなって、剣は壁を消した。
そして、襲いかかってくる雫の背後に回り込み、首根っこを掴んだ。
猫を扱うような、手際の良い片付け方。
「あのなぁ、お前は死を身近に置き過ぎなんだよ。許さないから殺す、なんてルールはおかしい。狂ってる」
剣の言葉に、雫はいつものように反発した。
「正義に犠牲は必要です」
「……たった十七年で出した結論なんか、実行するのは早いっつーの。俺もお前も若いんだ。お互い、まだ悩む時期だろうが」
若い、という言葉に、光村の表情がさらに歪む。
「……若くちゃ駄目なんですか! 知ってますか? 歳を取るほど……若さを失うほど、正しさは見えなくなっていくんです。今見えるものが正しい。今の感情が正しい。今の私が正しい。私には今しかないんですよ!」
――今しかない。そんなことに急かされているのかよ、こいつは。
「……ただのエゴだ。正義ってのは、社会を正確に見極められるようになって初めて見えてくるものなんだ。自分のこだわりで勝手な振る舞いをしてどうなる? お前以外の誰にとっても迷惑なだけだろうが!」
追い打ち。感情に任せ過ぎたかと、剣は少しだけ後悔した。
だが、自分だって考えてきた。若いなりの自論を持っているのは光村だけじゃない。自分を曲げて、適当に返事をして帰る。そんなことはしたくなかった。
押しつけるだけの正義に、少しでも自分の力を分からせたかった。
――間違っていないつもりなんだ。瓜生だって透生だって、悪じゃない。
誰だって自分が正しいと思っている。だけどほぼ全員が間違っている。大衆の正義を代弁するヒーローにだって、間違いがある。そうだろ。
「……鬼の言うことなんか聞きません。鬼は……敵です」
「逆効果だったか」
大方、いつもどおりの流れ。分かってたけどなーと、剣は溜息とともに吐き出した。
――一貫性があるのは、確かに間違いではないかもしれない。
けど。それは考えるのを止めただけ。数式みたいに法則的な正義を作っただけじゃあ、本当のことなんか見えてこない。
若さになんか囚われるな。忘れるような正義なら持つな。
剣にはまだまだ言いたいことが沢山あったが、突っぱねられそうなので黙っておくことにした。