19.紅蓮の貴公子 1
時は数分前に遡る。
須上結菜から二〇〇メートル以内にある、どこかの公園。
◇
「……鞄の中かな、これ」
雨は止んだが、曇っていて夕陽は見えない。
携帯ゲーム機……のような受信機に映った闇を見つめ、アルスは溜息をついた。ゴキブリ型尾行マシンは闇を映し続けている。ユイナは教室にいる間は、外を覗ける程度の隙間を作ってくれていたが、今は密閉状態。おそらく無意識のうちに閉じ切ってしまったのだろう。
むしろ、問題は音声の方である。
「タイラント北極タックルぅぅぅぅぅ!」
ユイナと会話していたらしき男は、そんな奇声を上げた。
「一体、ユイナの身に何が起きているんだ!」
タイラントは暴君。北極は地名で、タックルは……スポーツ?
まさか戦いの最中? しかし、友達との談笑ということも考えられないことではない。ふざけ合った結果の取っ組み合いとかかもしれない。
気にはなるが、自分が向かっていいのだろうか……。アルスは悩んでいた。
そのとき。
どん。
受信機が音を伝える。何かがぶつかり合ったような、鈍い音だった。
ばっしゃん。飲んだ? 浴びた? 叩いた? いや、川に叩きつけられたような音。ユイナの通学路に川があったことをアルスは確認していた。彼の心に嫌な画が思い浮かぶ。その、些細な想像でしかなかったものは、
「サァ、そろそろトドメデス!」
その一言で、確信へと変わった。
……戦っているんだ。何者かと、川の付近で。
「何をやってんだ僕は!」
下手にユイナの世界に介入するべきではないとか、文化や常識に影響を与えてはいけないとか。それはそれで事実だ。けど何よりも優先しなければいけないのは、この星と、それを救うユイナの安全じゃなかったのか!
地面に軽く爪先を叩きつける。瞬間、彼は炎に包まれた。この星に降り立った際にも使用していた乗り物。燃えて、飛んで、倒れたユイナと対峙する、白いクマを敵と認識。
「行っけぇえええええええ!」
打原始的でシンプルだが、だからこそ効果的な攻撃手段。
ヒーローの如く、急降下しながら敵を蹴り飛ばす。
「ゴボェェェェェェェ!?」
クマは五メートルほど吹き飛ばされると、上体を起こして辺りを見渡す。おそらくまだ状況を掴めていないだろう。燃え盛る少年を見つけても尚、困惑の表情を浮かべている。
「い、今のハお前の仕業デスカ!?」
「忠告です。できれば戦わず、急いで僕から逃げて下さい」
ユイナが倒れている。のんきに戦っている場合ではない。
一刻も早くここから連れ出さなければ……。
しかし。
「そういう訳にもイキマセン。オレは組織の為、そしてこの世の為に、そこの娘を亡きモノにシなければナラナイのです」
「……この世の為? 何を言っているのか分かりませんが、彼女の身に何かあれば、そちらも無事では済みませんよ」
早く終わらせないと。だが、その方法が見つからない。
クマは臨戦態勢を崩さない。
「そウか、この女の仲間か。しかシ、おマえがどう言おウと、オレはコの女ヲ始末しナけれバならナいのデす! 時間稼ギで勝てルのなラ、それで構わナい!」
ホッキョクグマが、どこか卑猥な笑みを浮かべる。
「卑怯だとは思わないんですか!」
「頭脳プレイと言って下サイ」
「だったら僕から仕掛けますよ!」
アルスは「乗り物」を左手に集める。風が、熱が。そこに集まる。
「――火を投げます。燃えたくなければ逃げて下さい」
「逃げヌぅぅぅぅ!」
「何ですか、その――変な声は!」
振り被って投球。宣言どおり、アルスの左手から火の塊が放たれる。
「避けレバ済む話じゃないデスカ」
「まあ、そうですね。最後まで避け切れば、そちらの勝ちでしょう」
「ナヌ!?」
ホッキョククマは思わず振り返る。炎はブーメランのように曲がり、クマの身体を呆気なく捉えた。奇しくもそれは、クマの体当たりと同じ動き。
「な、そンナ馬鹿ナ! 炎ガ曲がルなド!」
「この世界の先入観に囚われていては、僕の攻略は不可能も同然です」
炎はクマを焼き、再びアルスの左手に戻っていく。
「これで王手ですね?」
返事はない。とりあえず戦意は奪っただろう。
アルスは安堵する。
「と、安心しちゃダメだ」
とにかくユイナを助けなければ。
だが彼に医学の知識はない。魔法が使える訳でも、特別な薬を持っている訳でもない。怪我人の前ではただの人間だった。
「……ユイナ、ユイナ!」
意識は無い。水に浸かっていた為、体温は分からない。
神などいないと知ってはいるが、それでも神に祈りながら心臓を調べ……。
「駄目だ、死んでる」
「心臓は左側ですよ」
後方から声がした。
「誰だ!」
「大袈裟です」
道路から川を眺める少女が一人、冷たい目でアルスを見ていた。どこか目付きが暗く、まるで人形のような表情。
「ユイナの同級生か何かですか?」
「うむ、そんなところだ」
彼女は川に飛び降りると、結菜からアルスを引き離し、それから結菜の息や脈を調べ、呆れたように溜息をついた。
「見た目より重体だな。何があった」
「……本人にしか分からないことです」
「よほど強い衝撃を受けないと、こんなに酷くはならないと思うがな。骨折、内臓の損傷、内出血……外部がここまで綺麗なままのは見事だな。だが、須上さんは悪運が強いようだ。私なら手助けできる」
「……何者ですか?」
あまりにも都合の良い話に、アルスは疑いの目を向ける。
少女は軽く溜息を吐き、
「光村雫、魔法使いだ。決して鬼ではない」
「魔法使い?」
「疑うのなら証明してやる!」
「何でそんなに必死になるんですか」
「しばらくそこで見ていろ。応急処置程度のことしかできないが、治療できる程度には治す」
そう言うと、自称魔法使いはかざした掌に力を込め、光を起こした。アルスのいた世界でも、魔法や超能力は存在した。
だがそれは、身近なものではなかった。
よりによってこんな状況で、彼の好奇心が刺激される。
「おお、凄い……! こんな高度な力を、まさかここで見れるなんて。これは……時間を巻き戻している……とか、そういうことですか?」
「治癒力を爆発させているんだ。念を押すが、これは魔法だ。決して鬼の力なんかではないからな」
詮索を嫌がっているようでもあった。
「……それより、覗いていないで背中を頼めるか?」
「背中?」
振り向くと、そこには異様に鼻の長い男が立っていた。
トレンチコートに身を包んだその姿は、見る者に清潔感を与える……が、鼻のせいで顔の印象は悪い。
「だ、誰だ」
「分かレぇぇぇ! 貴様にやらレたホッキョクグマデスヨ!」
「その訛りは! なるほど、納得しました。しかし、あの炎を食らってまだやろうとは!」
「アレくらいデ果てるモノか断じて! モウ許しまセンよ。サイキックで三人とも葬って差し上げまショウ!」
異世界人と自称魔法使いと超能力者。
通常とは異なる存在……異常者とも言える三人の戦いは、その存在感にふさわしくない、ただの川の傍で始まるのであった。
◇
増水した川から、アルスは炎を纏って数センチほど浮いていた。
対する長鼻の男も、超能力で川面よりも数センチ高いところにいる。
謎の少女は陸へ上がり、ユイナに話し掛けている。
一度止んだ雨が、再びポツポツと降り始めた。
「……悪者は引っ込んでいてください」
「こチらも善のつモりなのデすがネ。まア、ヒーローの座ハ譲っテあげまショウ」
一度負けているにも関わらず、男は強気に話を進める。
「メイドの土産に名乗ってあげまショウ! オレの名はキタムラ!」
「この国の名字ですよね? じゃあ、その訛りは一体!」
「ハーフデスヨ。広い世界を見テきたオレは、お前達のヨウナ狭い世界に生キル若者トハ格が違ウのデス!」
キタムラが一歩、アルスに詰め寄る。
――時間稼ぎは不可能。相手の行動が予測できない以上、先手をとられるのはまずい。
アルスは先程と同様、左手に「乗り物」を集める。
彼の左手から放たれる炎の塊。それを、
キタムラは避けない。――直撃。
「自分から突っ込んだ!?」
アルスは動揺を隠せない。無事では済まないはずだ。しかし、捨て身の覚悟というような表情には見えなかった。
「……何をしたっていうんですか」
煙の中、男は何事も無かったかのように立っていた。
「芸がなイでスネ」
「ちょっとでも凝ると、文明を狂わせかねないのでね!」
再び。今度はバレーボール大の火の塊が、アルスの左手から放たれる。炎は川の中を蛇行し、キタムラの足元から胸へ、生き物のように襲い掛かる。ホーミング性能のある、絶対不可避の攻撃。……だが。
「ダから効きまセンヨ。学習しまシタか?」
キタムラに触れた瞬間、炎は消えてしまった。
「一体、どんな手品を」
「いいデショウ。教えてあげマスヨ」
高慢な笑みを浮かべ、キタムラは言葉を紡ぐ。
「オレの超能力ハ、トリワケ変身と温度変化に特化してイマシテネェ。熱ヤ冷気を利用シタ攻撃は、ヨホドノものでナイ限り、オレにハ通用しまセン。……次はこちらカラ行きますヨ?」
キタムラは川に飛び込むと両手を川に突っ込み、呪文のようなものを詠唱し始めた。
「I can do it.I can do it.I can do it……!」
「何だその呪文は!」
「いや、あれは自己暗示だと思うぞ……?」
ユイナを治療しながら、少女が言った。
「……待てよ、温度変化? 川の中って、絶好の狩場じゃないか!」
「I can do it.I can do it.I can do it……! アハハハハ、オレごと固まれ! アークティック!」
四つん這いの状態で、キタムラが叫ぶ。同時に、叫んだ本人が……いや、叫んだ本人「も」、氷漬けになった。
「くそ、やっぱりそういう類か!」
川が凍っていく。冷たい雨が雪に変わり、辺りは銀世界へと変貌する。凍った川は触手のように伸びて、アルスを捉えようとする。
「うわ、何だこれ!」
乗り物で飛び回り、触手の追撃を躱す。隙を見て一本の氷に体当たりを仕掛けるが、氷は溶けず、炎のほうが消えてしまった。
遠くでサイレンの音が聞こえる。高くまで飛んでみると、周囲とこの場所の風景の差に改めて驚かされる。この町で、この場所だけが冬。
「これだけの力の持ち主だったとは! あなたはこの場で倒さなければ!」
相打ち覚悟で、キタムラへ突進するアルス。しかし、
「そんな野生の鼻は放っておけ!」
少女が炎の玉を三つ、放つ。
アルスを追っていた触手に直撃。触手は溶けてしまった。
「悪はそのうちに私が消してやる。だが、今は他にやるべきことがあるだろう」
「……そうでしたね」
アルスは彼女の側に着地した。
「付近に呼んであるが、その炎で運べるか?」
「この乗り物は一人用です。……僕が背負っていきますよ」
そう言って、アルスはユイナをを背負った。体から鳴るゴポゴポという音が、地球そのものの生命活動のように思えた。
「名を聞いておこうか」
「……坂本龍馬ですよ。偽名ですけどね。……そちらは?」
「光村雫、だ。偽名だがな」