18.異常者と異世界人 4
アルスくんに尾行されることになりました。
「どうやって?」
だって大半の時間を学校で過ごしてんだよ? 生徒でもないアルスくんが、高校の門をくぐるのは難しい。
「大丈夫。道具を使うんだ」
猫型ロボットみたいだな……。
アルスくんがポケットの中から取り出したのは、黒くて、ツヤがあり、触覚的なものが生えた、日本人にとっての脅威。
「ひょ」
びっくりして勢いよく退いて壁に頭を打った。変な声は漏れたけど、大袈裟な悲鳴とか出さないよ。むしろ絶句。
「あれ、ごめん、苦手だった?」
「苦手じゃなくてもビックリするよ」
それとも、異世界では突然ゴキブリを差し出すのも普通なのかな。
これが私を尾行すんの? 嫌だなそれ。
確かに虫なら人よりは学校に侵入し易いけど。
「一応言っておくけど、これは虫をモチーフにした機械であって、本物ではない。こいつには隠しカメラとマイク、アンテナが付いている。で、こいつの得た情報は、こっちの端末に送信される」
アルスくんがゲームボー……十年くらい前の携帯ゲーム機のようなものをポケットから取り出す。
「短所は通信距離かな。この二つが通信できる距離は二〇〇メートル程度。そして、この機械には録画機能が付いていない」
ちなみにここから学校までの距離は……まあ、少なくとも一キロはあるかな。測ったことはないけど、流石にそんな至近距離にはないですとも。ゴキブリが学校に入っても、家からでは受信できない、ということは……。
「だから、結局僕がこの受信側を持って、ある程度のところまでは尾行しないといけないんだよね」
「しょぼ! もっと便利なものあるでしょ」
「文化レベルを合わせてあるんだよ。この世界にあまりにもそぐわないモノを使ってしまうと、文化や常識を壊しかねないからね」
言い訳なのか事実なのか知らんけど、アルスくんは苦笑いしながら言った。
「君の存在自体、既に文化や常識を壊している気もするんだけど」
「僕がここに来ることは絶対必要なことだった。だけど、尾行が絶対必要とはいえないよね」
「なるほど。まあ、納得」
つっても、現代の文化ってもうちょっと進んでると思うよ……?
◇
冷たい雨が降り続く朝。家を出て通学路を歩く。
不便、しょぼい、駄目駄目……と思われたゴキブリ型のソレだけど、意外にも実用性は高いみたい。飛んでも羽音はしないし、踏まれても轢かれても大袈裟なダメージは無く、雨に濡れても平気らしい。ついでによく見たら自爆装置が付いているというオマケ付き。
目立った弱点は、この虫が地上を進むとき、カメラがどうしても下から上を見下ろす形になることくらいかな。
制作者がスケベだったとか? まあ穿いてるからいいんだけどね。
教室では、ソレは私の鞄の中に隠しておいた。カサカサ走り回られたら気付かれるっていうのもあるけど、女子高生がいっぱいいるのを覗かせる訳にはいかない。
当然だけど、教室はいつもと同じだった。瀬尾さん達が楽しそうに話していて、春風はまだ来てなくて、光村さんはつまらなそうな顔で、静かに文庫本を読んでいる。日常ですよ。
……こんな平凡な場所で、私だけが重大な秘密を持ち込んでいる。地球を救う為にゴキブリ大作戦ですよ。二〇〇メートル以内のどこかでは、鞄からの教室の風景をアルスくんが見てるんだなー。私はこのゴキブリが他の人に見つからないように頑張らなきゃ。
……いや、むしろ見つけられて「だめ、これは秘密なの! 私が地球の運命を担っているなんて言えない!」なんて展開もアリかもね。妄想は止まりませんよ。でもそんな都合の良い妄想はどうせ現実にはならず、ちょっと期待外れで一日が終わるっていうのも、私はちゃんと理解している。
……理解しているつもりだったんだけどなぁ。
ハプニングも一切なく、簡単に一日終了。
問題は動画や音声がちゃんとアルスくんに届いたかどうか。そんな味気ない心配しか残ってないのか。
サンタさんは幻なんだよ。でもちょっとは期待しちゃうじゃないですか。期待してちょっとソワソワして、落ち込む。
金曜の放課後ですよ。喜ぶべき日なんだけどね。土日は透生主催のネットゲームをやるチャンスですよ。地球救済に一歩前進じゃん。でも、それも悲しいんだよねぇ。ゲームの為に生きているみたいで。
……透生くんは頻繁にゲーセン通いしてんのかな。
案外、行ってみたら再戦できるのかも。そしたら、今度はもうちょっとマシな勝負したいなぁ……。
と考え始めたら止まんなくなって、私はゲーセンへと直行した。
「うわ、ホントにいるし……」
薄暗い場所。煙草の臭いと色んなゲームのBGMが混ざってぐちゃぐちゃになった空間にて、透生くんはゲーム内最強と謳われるキャラクターを使って、えげつないプレイで対戦相手を圧倒していた。
「うわー、容赦ないなー、主催者さん」
「……あぁ、お前か。学校お疲れさん」
労われるとは少し意外。
「普通に星熊って呼べよ。オレも普通に須上って呼ぶから」
「う、うん。っていうか君、普通に外出るんだね。……引きこもり? こもってないじゃん」
「人と話さねぇから、あんまり家ん中と変わんねーけどな。……気持ちが高ぶってるから普通に話せてるけど、普段のオレじゃあお前と話すのだって一苦労だぜ」
えげつない戦い方のまま、透生くんは勝利を収めた。
「えげつないけど、上手いなぁ。ハンデあっても勝てるんじゃない?」
「如何にして相手を苛立たせるか。それがオレの遊び方なんだよ」
「……嫌な遊び方だなー」
「弱い奴には強キャラで、強い奴には弱キャラか同キャラで挑戦して、勝つ」
「……じゃあ、今度は私が乱入しよっと」
私は彼の向かい側の筐体に回り込み、彼と同じキャラを選択した。
君の遊び方は勝つ前提。だったら私が敗北の文字を刻んでやりますよ!
勝負開始。私のえげつない攻撃が先制ヒット! そのまま連続技を……って、何だか上手く行き過ぎてるんだけど。
「ちなみに一度戦ったことのある相手には、勝ち逃げも有効だ」
透生くんは既にゲームを放置して、店の外へと向かっていた。
「……ちょーっ!」
勝負を拒否されたのとコインいっこ無駄にしたっていう二つの悔しさを味わいながら、私は慌てて彼の背中を追いかけた。
「あん? 何だよ、ゲームは放っておいて平気なのか?」
「こっちのセリフだっての。最初から君目当てで来た訳だし、別に良いんだよ」
そこまで意味のある言葉ってつもりでもなかったんだけど。
「…………んだそりゃ」
彼は小声で言って、ちょっとだけ俯いた。
……何でちょっと照れとんじゃこの引きこもりは! こっちまで恥ずかしくなるでしょーが! まあ初心なところは何か立場相応って気もしなくはないですけども!
「あ、アンタ本当に地球を崩壊に導く男!?」
「うううううるせーな! い、異性から急にそんなこと言われたらここここうなるのが普通だろが!」
「どんだけ動揺しとんじゃぁぁぁ! いや待て私もじゃんかうわああん!」
そういえばアルスくんにこの会話筒抜けなんだっけ。何かそう思うと余計に恥ずかしくて逃げたくなってきた。
「……なあ、須上」
「な、何」
「オレとお前、本当に何でもうちょっと早く出会えなかったんだろうな」
急にマジな感じになって、透生くんが言う。
「……え、ちょ、何? 告白?」
「誰がするか糞ボケ。従姉があの顔だぜ? 理想はもっと高ぇよ」
「そ、そっか」
「……」
透生くんは目線を忙しく動かしながら、どこか悔しげな声で。
「――お前と話してると迷っちまう」
そう言って、そのまま早歩きで私から距離を取った。
◇
お気に入りの川沿いに戻ってくるまで、私の頭の中では透生くんのことばかりが浮かんだり消えたりしていた。迷ってんのは私だけじゃない。彼も……というか、私が彼を迷わせてしまったのか。何かちょっと悪いことしちゃったかなーと思わんでもない。
――いつもの光景。ちょっとだけ激しい、川の流れる音。名前も知らない虫の声。緩やかなカーブを進み……絶句。
ホッキョクグマがいたからだ。
「……またか。ううん、困ったなぁ」
一人でいるときに遭遇しちゃうとは運がない。にしてもちょっと気の抜けた反応をし過ぎたかな。クマさんはどこか不服そうだった。
「仮にも命を狙われている分際で、何とも失礼な反応デスネぇ」
不敵な笑みを浮かべる白クマさん。
分かり易い、そして安っぽい悪役の笑みだよ。
「というか、何でそんな格好してんの? 人間なんでしょホントは」
「人型よりも身体能力が優れているのデスヨ。テクニックの人型とパワーの獣型。使い分けテいるとイう訳デス」
「ふーん……」
「そんナことヨリ、戦ウなり逃ゲるなりシないノでスか」
「……ごめん、色々と若さ故の悩みみたいなのが頭ん中ぐるぐる回っててさ。今日はちょっと勘弁してくんないかな」
瀬尾さんやら光村さんやら透生くんやら、色々と考えたいことがありまして。
「いいでショウ。その挑発、ノリマスヨ!」
「そうなの?」
……そうなの? とか言ってる場合じゃなかった。
すっとぼけてんな今日の私は!
「本気ヲ出しまス! 勝てるものナラ勝って御覧ナサイ!」
「ちょ、ちょっと待って、本気ってすごいの? ……すごいか」
すんごい危機的状況。超能力とか変身とか野生のパワーとか色んなものを駆使して戦う変人に命を狙われているのですよ私。
喧嘩して勝てる相手じゃないし、逃げ切る自信もない。
これはあれだ。
ピンチだ。
「タイラント北極タックルぅぅぅぅぅ!」
「ぎゃぁぁ! こっち来んなぁぁぁぁぁ!」
くまさんは勢いよく私に向かってくる。超人的アメフト選手の動きだよ多分。スピードも勢いも凄まじい。
「けど動きは直線的ですように!」
と願いながらひょいと横に移動すると、そのままクマさんは勢いよく私を通り過ぎていった。
終わり? 案外楽勝? な訳がない。
多分、前回と同じパターンだろう。
二回目。絶叫しつつ避ける。結構やばいね。近所の人が警察を呼ぶか……それか、アルスくんに期待するか。策はそれくらいしか思い付かない。
ゴキブリは鞄の中。くっそぉ出し忘れた! 携帯は……うああ、私ってば何で携帯まで鞄に入れとんじゃ!
「ハッハッハ、所詮は小娘、一人デハ何もデキナイようだナ!」
戻ってくるのをまた避ける。クマさんはもう一度、ダッシュで私を抜いていく。多分、どっちかがバテて止まるまで、この往復は止まらないんだろう。
タイラント北極タックル。名前は間抜けだけど、車くらいのスピードがある。だったらあれを喰らうのって、交通事故?
――三回目。まだいける。余裕を持って受け流す。
――四回目。運動量は少ない訳だし、集中していれば何とかなるけど、
――五回目。結構さ、終わりが見えないのって嫌なんだよね。
――六回目。それで反撃さえ出来ないんだ。
「シャトルラン、かよ、ハァ、ゼェ……!」
川があって、反対側には塀がある。
そんな狭い一本道だから、熊の射程範囲外に逃げることも敵わず。
避けて、走ってきて、避けて、走ってきて、避けて……。攻撃は終わらない。
だんだん一発ごとの時間の感覚が狭まってきて、小回りも利くようになってきている。速度も上がってトラックの如し。
一方、私は余裕がなくなってきている。疲労もだけど、この状況を打破することができない事実が精神的に重たい。
「ねぇ、ちょっと……。もう許してくれない……?」
基本的には斜に構えてないとやってられないスタンスな私だけど、流石にふざけてられない。これは、本当にヤバい。
状況を変える方法。
受け止める?
打ち返す?
モノで防ぐ?
説得?
全部駄目だ。
こんなとき、浮かんでくるのはネガティブなことばっか。
力尽きて、あのタックルを食らったらどうなるんだろう。大怪我? それとも、一発で死ぬのかな。
死?
――死んだら私はどうなるんだろ。
「……――まあ、いいか」
集中が切れたことが自分でも分かる。
死んだその先なんて知らないけどさ、それを知る術は、目の前にあった。
「――……いや、よくない」
最初とは比べ物にならない程のスピードでさ。熊の顔した絶望が向かってくるんだよ。
「――――――――……………………」
その一瞬、私の見ている全てがスローモーションになって、直後。
諦め、絶望、悔恨、悲哀。――激痛。全身を駆け巡った。
吹き飛んで、川に落ちて。
死んではないけど、死ぬほど痛かった。致命傷、かも、しれない。
「サァ、そろそろトドメデス!」
勝利を確信して、クマが川に飛び込んで来る。
私だって、強キャラでえげつない戦い方をしたい。
やっと、サンタを見つけたんだ。それなのに、私のほうが終わるなんておかしい。ふざけんな。私が地球救済者だ。
私が、この星の中心……!
「……ふ……ざ……――――――――」
ふざけんなよ神様。
情けないけど声が出ない。恐怖と痛みが激しくて、諦めが濃厚。
……まあ、いいじゃん。元々、生存欲求は薄かったんだからさ。
私は、目を閉じた。
――アルスくん、来てくれなかったなぁ……。