15.大江山伝説の余波4
まるで赤信号のように、赤く燃える炎の玉が三つ。
車道の中央。光村さんはそれらに囲まれ、無表情で言葉を紡ぎ出す。
「……星野剣さんですね」
「そうだけど」
「噂どおりの美人さんですね。ちょっと見惚れちゃいました」
「ちょっと、か」
「……何が星野ですか。一文字しか変わってないじゃないですか? 本名、星熊さん」
「星熊童子の子孫だって証を、一つくらい残しておきたかったんでな」
殺気のある会話だった。お互いを品定めするような感じ。一語一語が重みを持って、相手の隙を作ろうとしている。
「よく惚れられるんだけど、お前は?」
「告白しましょう。……大嫌い、ですよ」
周囲に火の玉が飛んでいるから、光村さんはただ立っているだけでも隙がない。星野先輩はだるそうに火の玉を目で追っていたけど、すぐにやめた。
「随分と規則的な動きをする炎だな。お行儀が良いだけじゃ、俺みたいな不良娘にゃ勝てねぇぜ?」
少なくとも三つ以上はある火の玉の動きを、この短時間で見切っちゃったのか……。私にゃ真似できませんぜ。先輩の成績はそんなに良くないのに頭がキレる印象は、その辺から来ているのであった。
さっすがー。先輩かっこいー。斜に構えている私は場違い感ハンパないぜ。緊張感漂う感じは、どうしても照れくさくてダメなんだ。
まあ、あんま真面目に見ると怖いし、許してもらおう。
「できれば見逃して欲しいんだけどなぁ。俺さ、九時には帰って寝ていたいタイプなんだよね。……九時どころかだいぶ遅いから、今日は勘弁」
「零時まで遊んでおいて」
光村さんが飛び上がる。もはや人間ではないジャンプ力で宙に舞うと、
「どの口が言っているんですか!」
そのまま星野先輩に急降下。もはやあれですよ。仮面ナニガシの乗者蹴。
だが先輩もやわじゃない。光村さんの蹴りを頬で受け、そのまま足を掴んで空中へと投げ飛ばした。あの蹴りを顔で受けて一歩ものけ反らないとは、流石は星野先輩。
結果、お互いにノーダメージっぽい。人外同士の対決なんだな、と今更ながら思う。光村さんは不満げに溜息を吐くと、冷静に言葉を紡いだ。
「……避けれたはずですけど。何故受けたんですか?」
「格の違いを見せるため。とか言ったら逃げてくれない?」
「御冗談を。私は貴女を本気で殺しに来たつもりなんですけどね」
思ったよりもバイオレンス。
多少電波かもしれんけど一応健全な高校生である私は、知人同士が命の奪い合いをしたり殺したり殺されたり、そういう系のバイオレンスな世界とは無縁でありたい訳で。
つまりこの展開は、穏便に済んで欲しい。
「……ああくそ、もう」
とめなきゃ。
二人の戦いを中断させられるのは、私しかいない。
いつだって独りよがりな思考に逃げて、自分の不幸とか都合の悪いことを全部周囲のせいにした。私は高度なことを考えているけど、春風も瀬尾さんも誰も私の崇高な思考についてこれない。私は悪くない。私は……。
そうやって正当化するしかなかった。
アルスくんが現れて、飛び上がるほど嬉しかった。自分が特別で、普通とは違うってことが証明できたから。
でも特別でいるにしては、私は無力過ぎる。
結局私は凡人の一人なのかもしれない。目の前で繰り広げられる戦いは確かに私がずっと探し求めていた「特別な」ものだったけど、だけどそれを目の当たりにした私は、あまり喜びを感じることができなかった。
私は弱い。この二人には敵わない。世界が違う。
それが、悔しい。
「そろそろ本気を出したらどうです」
「お前に放出するには惜しいから嫌だ」
戦いはさらにヒートアップ。火の玉を指先から放つ光村さんと、その火の玉を掌で受け止めて無傷な星野先輩。
先輩は防ぐばかりのようだったけど、苦戦しているのはむしろ光村さんの方だった。必死に攻めて攻めて攻めまくる光村さんをからかうように、先輩は流したり受け止めたりして、余裕の表情を見せる。
大丈夫なのかな? いや、勝負は時の運だって言葉もある。
万が一にも、先輩がやられる可能性があっちゃダメなんだよ! それなのに傍観者、私。
何かしてあげたいけど何もできないんだよ悔しいよ自分が一番!
「……真面目に戦う気はないんですか、鬼のくせに」
苛立つ光村さんに、先輩は気だるそうな態度で応えた。
「基本的には人間なんだけどな。鬼の力なんてほとんど使ってないし、これからだって無難に生きていくつもりだ。……それでもダメ?」
「ダメです。死にたくないなら私を殺してください」
哀願するような声だった。殺してください? 何じゃその頼みは。でも、相変わらず光村さんは表情を変えない。それが、ちょっと不気味だった。
何が彼女をそこまで必死にさせるのか。
教育?
宿命?
こだわり?
光村さんは先輩から少しだけ距離を取ると、小さな声で呪文のようなものを唱え始めた。
すると、三つだった炎が、四つになり、八つになり……どんどん増えた。しかも個々の勢いも、何だかさっきより強くなっていて……!
「業火!」
「待った待った待った!」
私は飛び出し、先輩の盾になるように立った。ようやく。……ようやく飛び出すことができましたよ!
光村さんは微かに驚いた顔をする。そんで、自分の動きにブレーキを掛けた。
そんな彼女以上に驚いていたのが、星野先輩。
「ちょ、結菜!? 帰ったんじゃなかったのかよ!」
「いや気付くでしょ! 結構がっつり見てましたよ私! 何回か目合いませんでしたか! それより大丈夫なんすか!?」
「大丈夫に決まってるだろ……」
そう言うと、先輩は私をひょいと抱えて急に走り始めた。
「な、何ですかいきなり!」
「考えてみれば逃げりゃ済む話だった」
「馬鹿ですか! 今更ですか!」
「ある程度自分が強くなると、あんまり逃げようなんて思わないもんだ」
自分が強いって言い切ったよこの人。嫌味に聞こえないのはすごいかもだけどさ。
「……じゃあ、逃げたがる私はまだまだ弱いってことですか?」
「弱いままでいられるのだって、ある意味幸せなんだぜ?」
「……ぬぅ」
弱者は幸せか。
その言葉、私には、強者の勝手な言い分にしか聞こえなかった。
「つか、逃げなかっただろ。熊の時も今回も」
「……好奇心に負けました」
「バカタレ」
ふと後ろを向いてみる。光村さんが追いかけてくるような、そんな気がしたから。けど、何もなかった。
「……今日はこれで終わりなのかな……」
こんなことがあって、私の中の世界が大きく動きを見せた夜でさえ、町の姿はいつもどおりの平和を語るだけだった。
そりゃそうだ。裏社会の戦いとか外国の戦争とかだって、昔からずっとあったんだ。多分、鬼と鬼狩りの話だって、別に今急に始まった訳じゃないはずだ。
ただ、私が今まで知らなかっただけ。
世界的規模で見て、私がその既存の何かを知ったところで何かが変わるんなら、この世界はもっともっと事件だらけのはずなんだ。
無知のまま、生かされている私。
――そんな私が地球を救うなんて、冗談みたいな話だ。