12.大江山伝説の余波
光村さんに星野さんのことを聞かれた訳ですが。
星野さんについて知っていることといえば、性格とか歳とか、そんなありふれたことしか知らない。兄貴が好きだとか、やたらギャルを否定することとか平安時代が好きとか。んな細かいことは説明する必要もない……はず。
というか気を付けろだからね。下手な情報なんか渡せませんよ。
「……んー。十七歳で、男みたいな女というか。うん」
「貴女が星野について知っていることはそれだけなのか?」
「だけってことはないけど……あの、えっとですねぇ……」
だって『気をつけろ』だよ? 私、アンタに気をつけなきゃならんのですよ?
特に、星野さんのことについては多くを語るべきでない。知り合いの中でもこのことを知っている人は少ないけど、あの人は、たまーにだけど本当に危険な世界にも片足突っ込んじゃってるんだもん。
あの人の『気を付けろ』がこんなにも重たいのには、そんな事情があるからですよ。私にとっての先輩は憧れであり、未知でもある。
だからペラペラとは話せないんだってば。
「隠し事があまり得意ではないようだな」
「……へ? あの」
光村さんは私の目を訝しむようにじーっと見つめ始めた。催眠術でもかけられそうで怖いんだけど。というか近い。顔が近い。
「光村さん……?」
「星野剣は私を恐れている。だから詳しくは語れない。そういう解釈で問題はないか?」
な、何でそんなん知っとんじゃこいつ!
「……図星か。まあ、そうだろうなとは思っていた。貴女とは、またいずれ長話をすることになるだろう。さらば!」
「さ、さらば!? 昼の授業は!」
「誤魔化しといてもらえないか」
光村さんはそう言うと、忍者のように窓から去った。
◇
放課後。日の傾く時間。
雲は消え、夕日が綺麗に輝いている。昔の人は、あの光の先に神秘的な思いを馳せたんだろう。科学の発達した今じゃ、神秘性もなく単に綺麗、くらいの感想しか湧かないけどね。
「ほーしのせんぱーい」
と三年生の教室を覗いたのは、光村さんのことをもっと詳しく聞く為だ。
教室にはほとんど誰も残っていなかった。帰宅部の星野さんがここに残る理由はない。帰ってたらどうしようかなーとか思ったけど、そんな不安は必要なかった。
先輩はたった一人教室に残って、険しい表情で外を見てた。ほんわかふわっとしたボブカットが、風に撫でられて花弁のようにしなる。それに似合わぬ尖った目付き。仙姿玉質。使いたくて仕方がなかった四字熟語を今ようやく使えたぜ。
「あ、いたいた。星野先ぱ」
「邪魔!」
「うげっ」
後ろから走ってきた二年生の女子に突き飛ばされた。
クラスメイト。瀬尾さんの友達さん? 走ってきたその人は星野先輩に手紙らしきものを突き出しながら頬を赤らめて俯いた。
「星野先輩! ずっと前から憧れてました! 私のお姉さまになって下さい!」
……で……でぇ……!
出たぁあああ!
そして瞬殺。気付いたら彼女はフラれていた。
「あたし、諦めませんから!」
彼女は星野先輩に泣きながら言うと、そのまま走って私をもう一度突き飛ばし、影から見守っていたらしい瀬尾さんにしがみついて泣き始めた。
「ん?」
せーせせせせ! 瀬尾さん!
何であいつが。と思わず怯んでしまった。別に不思議な話って訳じゃないけど、不意に苦手な相手が見えたときとかってドキっとするじゃん。ヤバ。表情に出てなければいいけど。
「………………」
「………………」
何か睨まれた。そんなこんなで私と瀬尾さんの視線が交差する。
そういえば、瀬尾さんは昼間に星野さんの情報を集めていたっけ。あれはあの子、いや子って言っちゃいけないや。あの人の為だったのか。
そういう面倒見のいいところも、彼女の人望の厚さの理由の一つなのかもしれない。
でも、何だかなぁ。
偏見かもしれないけど。それでもやっぱり何となく「利用している」という風に見えちゃうんだよね。フラれたあの子のことも、周りの仲間達のことも。
「おーい、結菜。俺に用があって来たんだろ?」
先輩の荒い口調で我に返る。
「あー、はい。えっと」
教室の外から適当に小声で返事しつつ、最後にもう一度だけ瀬尾さんを見る。瀬尾さんは私を再びキツイ目で睨んだ後、泣きじゃくる同級生をなだめながら去っていった。
瀬尾さん、か。あの人とは、なかなか上手いことやっていけないな。
苦手ってだけでそこまで嫌いな訳じゃない。好きか嫌いかの二択なら嫌いに入っちゃうけど、それは極論であって。いや、それとも誰かを憎む自分の存在を認めたくないだけなのかな。分からない。
……ま、今度考えるかな。
気持ちを切り替え、星野先輩の元へ。確か、その隣は兄貴の席だからそこに座る。
「兄貴は今日はもう帰ったんですか?」
「アルスが家にいるのが気になるらしい。まだ警戒心解いてないんだな」
先輩は呆れた調子で笑った。私も同じ調子で笑った。
「それより、何で俺に会いに?」
「何でもへったくれもないですよ。光村さんについて、もう少しちゃんと説明して欲しいんですけど」
一言だけの忠告も確かにシビれますよ。けど、そんだけの理由で転校生を奇異な目で見たり疑ったりするのは流石に後ろめたさがある。犯罪者という風でも、隕石と関わりがある風でもない。
確かに言動は若干変だけど、そんな同級生をどういう風に気をつけなければならないのか。その辺を知らないとね。ただ単に警戒するのも失礼な訳で。
「……ああ、そのことか」
「そのことです。見たところ、普通の女の子に見えましたけど?」
先輩は首を横に振った。
「あいつは普通じゃねーよ」
「それ先輩が言っちゃう?」
「だから、俺と似たようなもんなんだよ。それにあいつには目的がある。その為に、お前や、お前の周りの連中も巻き込まれちまうかもしれない」
「目的?」
何か、思った以上に話が大きかったっぽい。
裏社会? 犯罪? それとも未知なる世界?
期待が膨らんでいく。
「なぁ、正直に言うと」
星野さんが、やや言い難そうに口を開いた。雰囲気的に告白っぽいよ。愛じゃなく、罪の。
何かが始まる。そんな予感がした。
「お前に、言わなきゃいけないことがある」
刀とか持って腹を切りそうな、気迫のこもった声。
面と向かって受け止めるのも恥ずかしくなる真剣さ。くすぐったくなって笑う癖はどうにかこうにか封印する。
高ぶった感情も抑え、冷静であろうと努める。
「それを知ったら、お前の俺に対する考えが変わっちまうかもしれない。それどころか、お前の中の世界がひっくり返っちまうかもしれない」
流石にこの真剣な空気を壊す私ではないよ。うん。
飲まれたくないから空気は読まないようにしてるけど、今回ばかりは空気は壊さない。
ひっくり返り上等! 覚悟オッケーでございやすよ……あれ? 色々ぶち壊したな。と頭の中でコントを繰り広げる。そうしていないと、今、ワクワクとドキドキとバックバクに押し潰されて死にそうなんだ。
そんな私の心臓をさらにバックバクにするように、星野先輩は言う。
「俺のことを信じられなくなるかもしれないけど、それでも来て欲しい。俺を信じていて欲しい。無理なら無理で……」
「信じますよ!」
考えるより早く、口が動いた。
「何でもいいです。こんな展開が続いてくれるんなら、私はどこまででもついて行きますから! ……だから早く、私の世界をひっくり返して下さいよ!」
◇
ででーん。
連れて来られたのは、でっかい和風の家。木ですよ、木。住宅街の中にあって一際目立つ、家というか屋敷というか。
「どぉぉぉぉぉぉ! スゲぇぇぇぇぇ!」
思わずそんな声も出る。デカイ! スゲー! ヤクザの家という可能性も出てきちゃいますよこれはイメージと偏見の世界ですけども!
ファンタジー耐性はかなり付いたけど、そっちの心の準備はできてない。
「星野先輩の家? ……ではないですよね?」
先輩は一人暮らしをしていたはず。
ここに先輩が一人で住んでるとか? まさか。
「元実家だよ」
「……元、ですか」
親の離婚とか、不幸な出来事とか、何かそんな事情でもあるのだろうか。表札に書かれていた名字は「星熊」。星野ではなかった。しかし熊と聞くとどうしてもあのホッキョクグマを思い出してしまう。無関係だろうけどね。
表札も立派ですよ。我が家のかまぼこ板とは格が違う!
「セイユウ?」
「ホシクマな。歴史は平安時代にまで遡るんだぜ」
「あー……。だから先輩って平安好きなんですか?」
「影響は受けてるだろうな」
勝手に門をくぐり、勝手に家の中へ。置いて行かれないように、私もそれについていく。
「ばーちゃん、おるかー?」
静かな家の中に、先輩の声が響く。天井が高い。何かこう、広々とした空間。見惚れていると、みしみしと木の床を軋ませながら、ちっちゃいお婆ちゃんが現れた。
只者じゃないな! と根拠もなく思った。
「はいはい? ありゃ、剣ちゃんやないの。どしたん。友達連れて来たんか?」
「違うけ。こいつ、この前言っちょった隕石から地球守る子や」
「ああ、こげん可愛い子やったんか。あたしゃあもっと大柄なデカイん想像しよったけぇ」
「家ん中入れてもええやろ? トオルにも会わせてみたいし」
「あん子最近あれちょるけぇ、あんま刺激すなよ」
「おう、分かっとるけぇ」
どこの方言だこれ。何か色々と混じっている気もしないでもない。
『ばーちゃん』との話が終わると、星野先輩はズカズカと家の中へと進んでいった。私も慌てて追いかけようとして、
「ちょい待ちぃ。話しときたいんじゃが」
和やかな声で、ばーちゃんに呼び止められた。
「……は、はい?」
声がちょっと上ずった。怖い人ではなさそうだけど、家の雰囲気とかでどうしてもプレッシャーがかかる。
「剣ちゃんはああ言っちょったけど、アンタ、やっぱりあの子の友達やろ?」
「は、はぁ。まぁ。こ、後輩です」
「同じようなもんや。でな、アンタに言っときたいんやけど……」
分かったから早く言ってくれぇぇぇ。謎のプレッシャーが。
優しい眼差しだったんでちょっとは気が楽になったけど、一度動き出した恐怖エンジンはなかなか止まってくれません。
「あの子、ちょっと凶暴なところもあるけど、見捨てんといてあげてな」
……あれ、そんなこと?
何かもっとものすごいことかと思ったら、普通のお婆ちゃんでも言いそうな言葉が飛んできた。
「え、あ、はい。大丈夫ですよ。結構長い付き合いですし」
「そかそか。何や安心したわぁ」
ばーちゃんは本当に安心したように笑った。アニメとか映画で時々ありそなシーン。
何か、こう……、せっかくなら、そういうのは私よりも兄貴に言ってあげて欲しいな。
◇
ばーちゃんに案内されて、一家が団欒するような広いダイニングへ。
テレビ見ながらお茶飲んでいると、星野先輩が誰かを連れてきた。弟……? それか従弟か何かそんな感じの関係? に見える。
「離せよ、姉さん! オレはもう一生あの部屋で過ごすんだ!」
どうやらこの家の住人っぽい。で、発する言葉から察するに引きこもりっぽい。首根っこを掴まれて引きずられつつ、じたばたしながら抵抗する彼。それを先輩は溜息交じりに諭す。
「うるさいな。地球はまだまだ終わらねぇ。お前の一生はまだ長いぜ」
「いーや、俺が終わらす! 隕石で……って、誰だそこのお茶飲んでる奴!」
「え、あ、こんにち……」
ぶへらぁああああ。
その少年の顔を見て、思わずお茶を吐き出してしまった。いや、別に私が悪い訳じゃない。こうなるのも無理ない状況だよ。だってさ、その少年って、
「ゲームの主催者……?」
菊の花を思わせる、病的なほど白い肌。
あの夜、パソコンの画面に映っていた顔が、そこに。
「お前、見覚えあるな。……街で会った投げキャラ使いか」
「う、うん」
「主催者なんて言葉を使うということは、オレのゲームの参加者かよ」
彼は肩をすくめ、少し気まずそうに私から視線を逸らした。
「……まあ、まさか親戚と後輩が、地球の運命を懸けて対立するとは思ってなかったけど」
先輩は呆れ眼で、私とその親戚を交互に見て、言った。
「こいつの名前は星熊透生。俺のイトコだ」
「……マジですか」
まさかこんなところで、ラスボスと会うとは思いませんでした。