11.続・高校生の戦場
あれから、数日。
◇
「ん、ああ、もう朝か……」
時間を確認し、呟く。
一睡もしなかった。睡眠時間をネトゲに費やしたからね。
寝てもないのに寝惚けた頭を何とか覚醒させ、リビングに辿り着く。
「寝てないからオハヨーは言わないよ」
「馬ぁ鹿」
「どーせ兄貴には分かんない苦労だよ」
仕方ないじゃんか地球救済の為なんだから。若干寝起きの不機嫌状態で、健全で常識的な兄貴の顔を睨み付ける。
兄貴はそれ以上何を言う訳でもなく、ただ無言で溜息をついた。
……分かってないな、兄貴も。
そんな感じで朝っぱらから私と兄貴がメンチ切り合っていると、アルスくんが起きてきた。
「おはようございます」
「……」
酔っ払いみたいにおぼつかない足取り。そんでもって顔が半分寝てんだけど。放っておけば弁慶みたいに立ち往生しちゃいそうだぜ。
「何でこいつまでこんなに眠そうなんだよ」
兄貴は呆れ顔だった。アルスくんは私のネトゲを一晩中見ていて、時々アドバイスをくれたり、一緒に謎を解いたりしてたんだけど……。
兄貴に言っても、理解は得られないだろうな、きっと。
あの日の夜、私は必死でアルスくんの居候許可を兄貴に訴え、その熱意と納豆並みのしつこさに兄貴は折れた。アルスくんは晴れて居候の権利を得た訳ですが、兄貴はそれでもまだ懐疑的な態度を崩さない。
くそ、真面目過ぎる人間はこれだからっ。
「……まあ、こいつのことはいいよ。それより」
それより、と言う割には、大して重要そうでもなさそうな力の抜けた声。
「お前の学年に転校生とか来たろ?」
「うん。来たよ?」
「名字、光村だったろ」
「うん。そうだけど」
転校生と言えば、つまらない日常を潤す貴重な水分みたいなもんだからね。他クラスにも噂が伝播していくのは分かる。
けど、他学年にまで話が広がりますか。
これはまさか……何かのイベントのフラグ?
「剣からの伝言で、『気をつけろ』だとさ。意味までは聞いてない」
うぉおおおおおお!? 謎ワード!
『気をつけろ』だって! 何がよ! どんな風によ!
頭抱え込むぅぅう!
興奮冷め止まぬまま学校へ走り、とりあえず教室で寝たフリしながら光村さんを待つ。何がある。なかったらおかしい。絶対、何かあるはずだ。
光村さんとはあの日の夜、偶然にも外で会った訳だけど、あのときも確かにミステリアスな雰囲気が漂っていた。あの子、いや、子っていっちゃあいけないな。あの人、やっぱり星野先輩に何かが近い。
何だろ。親戚とか?
いや、それだけじゃあつまらないな。バイオテクノロジーで生まれた先輩のクローン人間であり、実年齢は三歳。自らがオリジナルになる為、現オリジナルである星野先輩の命を狙ってこの学校に……とか。
いや、ある訳ないのは分かってるんだけどね。
「……曇りか」
空は灰色。雨は降るかな? 陰気な中にも妙な暖かさというか、ぬるさがあって、心が煤で汚れたみたいになる。
あぁぁーーー…………。みたいな心境。私は机に突っ伏し、言葉で表現すると悲しくなりそうな感情を態度で示す。
隣に誰かがいて欲しい。春風や光村さん以外でも構わない。
……何なら瀬尾でも良い。
教室には徐々に人が集まり始めている。けど、そいつらはわざわざ寂しげな私の隣に来るはずもなく、各々、仲の良い友達の近くで同じような日常をスタートさせる。ノイズィーな教室の中、私は独りで、今日も壮大な妄想にふけっているのである。
春風が来るまでは。
「よ、結菜」
よ、のイントネーションに芝居っぽさがにじんでいる。そんないつもの声が後ろから聞こえた。春風。若干俯きながら鞄を机の横にかけ、軽く溜息を吐きながら席に着く。そして、どこか負のオーラを出しながら文庫本を開くのだった。
思えば私らは、それぞれが一人ぼっちだった。互いに人見知りだから、互いに一言も喋らずに同じ時を過ごすこともあったっけ。そして……それでも偶然が重なり、いつしかこうして友達とは言える仲になっていった。まだそこまで深い仲ではないけど、私はこの関係が気に入ってる。
少なくとも、瀬尾さんをはじめとする「輝く俺達あたし達グループ」とのピリピリした関係よりはマシだ。
弱いモノ同士でつるむような連中に共通しているのは、自信のなさ。
そして、輝いてんだけど系の連中には自信が感じられる。けどそれは、言い方を変えれば慢心だ。強くなれ? 馬鹿言わないでよ。半端な強さなんかがあるから考えなくなる。愚行に走る。自惚れて暴走し始めるってのに。
「あーくそ」
朝から哲学的風っぽい自分をちょっとカッコイイと思ったことに自己嫌悪。ひっくり返すようだけど、やっぱ自信持ちたい。
「そういや、結菜」
私の様子をうかがいつつ、春風が口を開く。
「結局隕石とかってどうなったんや」
何気なく聞こうとしたけどやっぱ演技くさくなっちゃった感じ。
気にしてますよ、という態度。
「やっぱり春風も興味深々じゃんか」
よし、聞かせてやろうではないか。ホッキョクグマ、長鼻、兄妹喧嘩に光村さんのこと。
光村さん。
「あ」
ふと気付いて隣の席を見ると、彼女は既にそこに座っていた。
気を付けなきゃいけないのに全然気を付けれてねぇ!
「あああ!? しまった、忘れてた! 春風のバカ! アンタのせいだ!」
「は、はあ? 何がや?」
「こうなったら春風にも手伝ってもらうからね!」
拳骨を一発いただきました。
「……暴力女め、関西人は口は出しても手は出さないんじゃなかったのか!」
「関西人ちゃうし」
「ちゃうんかい!」
「何でアンタまで関西弁やねん」
色々と謎だね、この女も。
と、そんなことより光村さんを眺め……待てよ、これって何かストーカーとかそんな感じに……まあいっか。隣だしね。
ちょっと近過ぎるけど、ある意味ベストポジションですよ。私は光村さんの席に目線を固定し、一時も離さないことにした。
「おいおい、あからさまやな」
◇
見たところ、朝の光村さんに変わった様子は見られなかった。
「……春風。サンタがいないっていつ知った?」
「小学校に入った頃やった思うけど」
「そうか。私は、ひょっとしたら今なのかもしれない」
「……っふふ」
鼻で笑われた。もちろんここでいうサンタは比喩だ。
比喩だけど、この女に伝わるはずもないか。
「いや、もちろんほんまにアンタがサンタを信じとったから笑ったん違うよ。その、アンタならありそうやったからな」
失礼な。いや、確かにそう思われてもおかしくないか。
私がしたかったのはサンタの話じゃなくて、期待と裏切り的な、あの、うん。何というか……ねぇ。何だろうね。
昼休憩。早速光村さんを見失った。
探すのもしんどい。それに、どうせ休み明けには帰ってくるでしょう。春風と弁当を食べていると、慢心グループから瀬尾さんが歩いてきた。
「ちょっといい? 須上さんって確か、三年の星野先輩と仲が良かったと思うんだけど……」
「え? あ、うん。そうだけど」
瀬尾さんが私に話しかけてくるのはよくあることだけど、モノを聞いてくるなんて珍しい。しかも先輩のことですか。
確かにその強烈な存在感のせいで、有名人ではあるけど。
「その星野さんって人、どんな人か教えてくれない?」
「何で?」
警戒心を解かず、様子見のつもりで聞く。
「何か、知り合いの知り合いがその人のファンらしくてね? 向こうにメモあるから、来てくれない?」
「はぁ、ファン? まあ、じゃあいいけど」
どうせ、血液型に誕生日、住所、趣味、行動パターン、尾行するのに最適なルート辺りを教えれば満足するだろうし。……いや、それファン向け紹介じゃないな。ストーカー向け紹介だよ。
ま、ファンもストーカーも似たようなもんか。席を立ったそのとき。
春風が一人になることが、妙に気になってしまった。
「どうしたの須上さん。早く来て」
「え? あ、えと」
立とうとしたまま、私は数秒間停止していた。
慢心グループはぶっちゃけ輝いている。私だってあの輪の中に入りたいと思ったことも少なくはない。だけど、春風を一人には……。
「あー、えっと……」
どうしよう。
これは。
作戦じゃないのか。
イジメ相手を。
ストレスの捌け口を春風に求める、瀬尾さんの策略じゃないのか。
瀬尾さんは誰とでも分け隔てなく仲良くする人間にも見えるけど、春風のことを目の敵にしている。春風の容姿が良いから。性格が合わず、衝突した過去が理由になるから。気に入らないから。
動こうか。ここに残ろうか。そんなもん残るに決まってる。決定。
……私は、苦い肉じゃなかったのかよ。
「あの、瀬尾さん? ここで描いちゃダメなの? 実は私、朝から足の調子があれでしてね」
足の調子があれって何? どれなんだ!?
「いやもちろん歩けないとかじゃないですよ歩けるんですけどもできればここにいたい系のあれだから何ならそっちから」
「そっか。無理にごめん。……別の人に聞いてみるから、バイバイ」
私の話を途中で切り、瀬尾さんは私に背を向けて行ってしまった。
そのバイバイからは、まるで誰かを崖から突き落とすような圧力が感じられた。
「あ、いや、うん。ばいばーい……」
怖くはない。ないけどさ。
すっきりしない。どうにも劣等感が湧いてきて、悲しくなる。
ホントはあいつらに憧れでも持っているのかな。多分、そうなんだろう。
それを自覚すると余計に悔しくて、対抗心ばかりが募った。
◇
瀬尾とのやり取りが終わった後。
「……なあ、まさか、ウチに構って向こうに行かんかったんか?」
春風はひどく不安そうな声で聞いてきた。
私はちょっと悩んだけど、首を横に振ることにした。そして、
「……私、小金持ちだから。だから大金持ちが嫌いなんだよね」
意味不明な台詞を、頑張ってかっこよく言ってみた。別に庶民階級ですけどね。瀬尾さんが多少お金持ちで、ちょっと気に食わないのは本当のことである。
しばし沈黙。下手に決め台詞っぽいこと言おうとするんじゃなかった。でも春風相手ならこんな空気だって楽しく……は、ならないか。
沈黙打破できねぇぇ。次に何を言えばいいのか分からなくなってしまった。春風はそこまでノってくるタイプでもないから、下手をすればこの雰囲気から抜け出せなくなる。うわーどうしよ。打破したいなーどうすりゃ打破できるかなー。
そんなときだった。
「ちょっといいか?」
桃太郎の声がする。
「聞いていたんだが……。須上さん。あなたは星野剣について詳しいのか?」
忍者よりも忍者らしい動きで、後ろからひょっこりと光村さんが現れた。……って、
「ぎゃああああああ!」
声がデカ過ぎたことくらい自分でも分かりますよ、ええ。
慢心グループも含め、誰もが私と光村さんに注目し始めたのが分かる。
「み、みつ、みつ、み、みみみっま、マングローブ」
「光村だ」
だって、さっきまで教室のどこにも見当たらなかったし星野さんがアンタに注意しろって言ってたし何やかんやでうわあああ!
光村さんに向けられた視線は、私のものだけじゃないですよ。春風も慢心グループも、みんなが見てますよ、ええ。
おそらく、これが真の意味での光村さんの教室デビューになる。そんな気がした。