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ACT.1 さやかの場合

 

「さやか」


 聞きなれた声がして振り向くと、ジャージ姿の慎ちゃんがいた。


「今朝は悪かったな」


 そう言う慎ちゃんに笑顔を返す。


「いいの、気にしてないよ。それよりも受験生なのに慎ちゃんこそ大丈夫?」

「いいんだよ、たまには身体動かさなきゃくさっちまうから」

「あはは、慎ちゃんらしい。でももうすぐ予鈴なるよ、早く着替えに行きなヨ」

「おう、じゃ帰りは一緒にな」

「ん、わかった。じゃあね」


 慎ちゃんの背中を見送りながら、私はため息をついた。



 ―――――― 私は沖さやか。17歳。


 今のは、田村慎。ひとつ年上の幼馴染。……で、彼氏。

 受験生のクセにいまだに部活をやめきれないバスケ馬鹿。ったく、後輩の子達もやりづらいだろうに。

 今朝も早く目が覚めたからって、私と一緒にいく約束ほっぽって、朝練に参加しちゃうんだから。

 まあ、バスケしてる慎ちゃんかっこいいから、つい許しちゃうけど。

 ……甘いかな、私。


 慎ちゃんはうちの隣の家に住んでる。両家族仲良く付き合ってもう15年になるかな。

 彼氏になったのは高校に入ってちょっとしたころ。

 バスケしてる慎ちゃんにときめいちゃって、ストレートに告白してみたら、実は慎ちゃんはもうずっと前から私のことが好きだったって、オチ。

 幼馴染が彼と彼女になるってよく聞くけど、まさか自分がそうだとは思ってなかった。今でもちょっと意外。ほんとそれまではただのオニイチャンでしかなかったのに。

 でも、長い間一緒にいるとイマイチ盛り上がりに欠けるのよね。なんかラブラブモードのスイッチが見つからないってカンジで。付き合って1年と5ヶ月になるけど、2回ほどキスしただけ。

 今どきの高校生の付き合いでそれってちょっとおかしいよね。

 好きだなーって思うけど、なんかお互いのタイミングが合わないってカンジで、そんなムードにならない。

 慣れすぎちゃってるんだよね……。

 慎ちゃんの彼女やってて、今はそれが唯一の不満。

 でも今朝は……。




「なにぼうっとしてるの?」

「はは、ちょっと考え事してた」


 いつの間にか自分の教室を通り過ぎてた。友達の林めぐみに声をかけられてやっと気づく。


「何、また先輩のことでも考えてたの?これだから男のいるやつは……」

「そんなんじゃないよーだ」


 いつものようにめぐみは慎ちゃんとのことを冷やかしてくる。まあ、そのものズバリ、なんだけど。

 だけど、今日はそれよりも気になることが……。

 教室に入って、思わず目が彼の姿を探した。

 ……いた。

 彼は、窓際で友達としゃべっていた。見たところいつもと変わらない。

 ちょっとほっとする。


「宿題やった?」


 めぐみの声に、私は反応する。


「……あったっけ……?」




 大嫌いな数学の授業の時、私はぼんやりと窓のほうを見ていた。

 いい天気だなー。数学なんてしてないで外出て散歩したーい……。

 そんなことをのんきに考えてたら、視界の隅のほうで私のほうを見てる人間に気づいた。

 ……岡崎だ。

 私がちょっと後ろの方を見てそれを確認しようとすると、それとなく視線をはずされた。…………。

 気まず。

 それからはもう教科書に視線を戻しても、考えるのは数字じゃなくて昨日のこと……。

 昨日一晩さんざん考えたけど、やっぱりわからない。

 何でわたし……、岡崎とキスしたんだろ。

 つい、ふらふらっと。

 うわー、なんかいい加減。でも、そう言うのが一番しっくりする。

 そんでもって、ちょっと慎ちゃんに対して後ろめたい。いやいや、事故のようなものだし。

 岡崎も、きっとそう思ってるよね……。

 だってアイツ……、彼女いるし。

 ……考えれば考えるほど、なんでかわからない。



 岡崎則人と私はただのクラスメート。ホントに、ただの。仲がいい訳でもないし、よくしゃべるでもなくて。

 岡崎は無口な方で、あんまり女子とはしゃべらない。男友達とばっかしゃべってて、反対に私は……、ま、おしゃべりだけど男子とはあんまりしゃべらないし。まったくといっていいほど接点ないのよね。

 あ、出席番号だけ、一緒だ。

 そうそう、だから昨日、二人だけ先生の用事で残らされてたんだっけ。

 うう、数学の岸本のせいだー。

 んんん、もう一度考えよ。

 岡崎。……今朝から観察してたけど特に変わったところ見せてないよね。

 ってことは、彼にとって、昨日のことはなんでもないこと、だったのかな。乙女のキスを、そんなふうに思われるのはちょっとシャクにさわるけど、彼自身がさほど重要視してないなら……私だけ一大事だと思って悩まなくてもいいんじゃない?

 ………。

 そうだ!

 なかったことにしちゃえばいいんだ。

 お互い彼氏彼女持ちだし、何もなかったってことで。

 そうそう、忘れよう。


「さやか……、あんたホント今日、どうしたの」

「え?」


 気が付くとお箸握り締めて、ガッツポーズしてた。


「百面相してたよ。怒ったかと思うと、眉間にしわ寄せて、ぼーっとしたかと思うと妙にすっきりした顔して。……ま、見てて面白かったけど」

「ひど」


 私は、そう言ってホッペを膨らませてから、思い出したようにお弁当に取り掛かった。


「おーい、岡崎、彼女だぞ」


 教室の出口のあたりで、誰かが怒鳴った。

 ふと見ると、他のクラスの女子が少し恥ずかしそうに立っている。

 そうそう、彼女だ。岡崎の方を見ると、もうお弁当は食べ終わってたらしく、そばにいる何人かに冷やかされながら、彼女のところへ向かった。

 一言、二言話してから、二人してどこかへ行こうとする。

 私はじーっと見てたことに気づいて、あわてて視線をそらした。


「まただ」

「……めぐみ?」


 めぐみの方を見ると、腕を組んで私のほうをじっと見てた。


「ね、さやか。岡崎と何かあった?」


 ちょっと身をかがめて、私だけに聞こえる声で。


「ええっ、な、なんで?」

「……何かあったんだ」


 ううう、めぐみってば変なところで鋭いんだから。それに反応しちゃう私も私か。


「今日ね、岡崎って、ことあるごとにさやかの方見てた。……さやかもなんかみょーに岡崎のこと意識してない?」


 はい、めぐみの言うとおりでございます。

 ……でも、それを認めるわけにはいかない。私には慎ちゃんがいるもん、岡崎との事故キスなんか人にしゃべれるわけない。たとえ、めぐみでも。


「なんでもない」


 それ以上は聞かないで?の懇願・アイコンタクト。

 なんだか、めぐみは自分の勘が当たったとわかっただけで満足したようで、ウンウンと何度かうなずいて、話題を変えてくれた。




 意識しないでおこう、と決めたものの。やっぱり二人きりになるとそうも言ってられなかった。

 あれから2週間ぐらいして、何とか日常に戻ったと思ったら、また数学の岸本に用事を押し付けられた。この先生何かというと、出席番号のペアで用事を言いつける。この前もした!!と抗議してもそれははねつけられた。

 昼休みの間に数学科準備室で、自習用のプリントを綴れというのだ。それも私と岡崎のふたりきりで。

 最初は岸本も一緒だったから何とか間が持ったけど、今日は途中で放送で呼ばれて出て行ってしまった。……このとき初めて先生を引き止めたくなった……。いつもは顔見るのもいやだけど。

 ものすごく逃げ出したいのをこらえて、ただ黙々と作業する。

 岡崎は何も言わない。……言われても困るけど。せっかく忘れかけてるのに。

 あー、もう。めぐみに一緒に来てくれるようお願いすればよかった。

 岸本ってホントなに考えてるんだろ。こんな密室に17歳の男女二人きりにして。間違いが起きたらどう責任取る気?

 ……間違い?……私が、岡崎を襲う……?

 へんな想像に、思わずばかばかしくて笑ってしまった。


「……沖?」


 不信がる岡崎の声に、思わずホチキスで止める前のプリントの束を床に放り出してしまう。

「……ごめん」

「いや俺こそ……」


 お互いなんとなく謝って、しゃがんでプリントを拾う。

 なんかもう恥ずかしくて、きっと顔を真っ赤にしてるんだと思う。

 偶然二人して同じプリントに手をのばして、その指が触れる。やだ、カチーンと固まったみたいに、動けない。なんで岡崎も指を引っ込めないのよっ。

 かろうじて顔を上げて岡崎を見ると、じっと見つめられている。……気がする。

 なんだろう、さからえない。うー、なんだかこの展開は……。

 近づく、二人の距離。

 絶対しちゃいけないこと。そうわかってるのに、私はそうしてしまった。

 ―――――― 目を閉じて。




 その夜、私は慎ちゃんを訪ねた。


「おじゃましまーす」

「まあ、さやかちゃん。最近来てくれないから、おばさん寂しかったわ」

「へへ、すみません。慎ちゃん、帰ってます?」


 うんうんと大げさにうなずいて、おばさんが慎ちゃんを呼んでくれる。


「さやか? あがってこいよ」


 慎ちゃんの声に、じゃ、と階段を上がりかける。


「慎!さやかちゃんに悪さしちゃ駄目よ!……さやかちゃんも、何かあったらおばさんを呼ぶのよ、いいわね」

「はーい」


 おばさんは相変わらず茶目っ気たっぷり。幼いころから私のことを知ってて、慎ちゃんと付き合いだしたことももちろん知ってる。


「早く孫の顔みたいわー」


 なんて、言うこともあるくせに、今のように釘をさすことも忘れない。

 苦笑いして、私は慎ちゃんの部屋に入った。


「おう、めずらしいな」


 慎ちゃんの言葉どおり、この部屋に来るのは久しぶり。受験生だし、あんまり邪魔したくないから遠慮してたの、私なりに。まあ、ここ2週間ほどは別に理由があったけど。

 今日はちょっと事情が違う。

 どうしても今日は慎ちゃんのそばにいたかった。

 慎ちゃんは、受験生らしく勉強してた様子。


「うん、ごめんね。ちょっとだけいい?」

「さやかなら、かまわん。息抜きも大切だし。ただちょっと待っててくれな、もう少しでこのページ終わるから」

「うん、ありがと」


 ベッドの端に腰掛けて、床に無造作に放ってある雑誌を読む。

 ……でもさすがに内容が頭に入らない。何度も同じページを目でたどる。


 今日、私は岡崎と二度目のキスをした。

 …………なんで?

 ほんとうにもうわけが分からない。

 私と岡崎の間に引力でも発生しているとしか、言いようがない。

 そんなの、怖い。

 一度目は、軽く触れるだけのキスだったのに。事故のようにただ唇と唇が触れた、本当にそれだけだったのに。

 今日のは違った。

 唇に今も岡崎の唇の感触が残ってる。

 ―――――― 怖い。

 昼休み。数学準備室から逃げ出したあと、午後の授業のことなんてこれっぽっちも覚えてない。

 ただ、背中に岡崎の視線を感じ続けた。

 私は一度もそっちを見れなかった。



「よし、一段落。なんか飲み物でも持って来るわ」

「……いいのに……」


 慎ちゃんが立ち上がってドアの方へ向かうと、その向こう側でカチャカチャと音がする。パッとドアを開けると、トレイを片手にドアすれすれに立っているおばさん。


「……何してんだ」

「……あ、紅茶……を……」


 ずっと気配を探ってたらしい。思わず私はおかしくなって笑い出した。

 おばさんは、慎ちゃんにお盆ごと渡すと私にウィンクしてから階段を降りて行った。


「……ったく」

「……あははは、もう、おばさん最高……、くくく」


 慎ちゃんはベッドの横にある小さなテーブルを出してきて、紅茶を置いた。

 笑い崩れてベッドに寝転んだ私のすぐそば、床に直接すわりこんで、ため息をつく。


「おふくろも覗き趣味さえなきゃ、理解あるいい母親なんだけど……」


 いつまでもベッドに顔をうずめて肩を揺らしてる私に、慎ちゃんが気づく。


「さやか?」

「……っく」


 こらえ切れなかった嗚咽。そのまま堰を切ったように、涙が出た。

 慎ちゃんは、私の横に座りなおして、抱き上げてくれた。

 はずかしくて、怖くて。

 泣き顔を見られないようにそのまま胸に顔をうずめる。

 慎ちゃんは何も聞かなかった。

 ただ泣いてる私をぎゅっと抱きしめてくれて、頭をずっとなでてくれた。

 ―――――― ごめんね、ごめんね、慎ちゃん。

 私は心の中で何度も謝った。

 ……私、分からないの。

 なんで岡崎とキスしちゃったのか。

 何で……それがいやじゃなかったのか……。


 帰り際、慎ちゃんが一度だけ、私の泣いたわけを聞いてきた。

 私は答えられずに黙り込む。

 自分でも説明がつかず、ただ戸惑うばかりなのに。とてもじゃないけど、慎ちゃんには言えない。

 答えられない私を慎ちゃんは責めもせず、ただ黙ってもう一度抱きしめて送ってくれた。






 翌朝、まだ少し早い時間に慎ちゃんが迎えに来てくれた。


「おはよ、さやか」


 いつもの慎ちゃん。……んーん、いつもよりずっと優しい。


「おはよ、慎ちゃん」


 いつものように、をこころがけて笑顔を返す。


 久しぶりに二人で登校する。そんなちょっとしたことが嬉しくて、少しはしゃいでたと思う。

 妙にテンション高くつまらない話ばかりする私に、慎ちゃんは変わらず優しかった。

 それでも、学校が近づくにつれて、その元気もなくなってくる。

 教室に行ったら、岡崎がいる。

 そう思いながら前を見たとき、校門のところに今考えてた人物がいるのに気づいた。

 ……やだ。

 もしかして私を待ってるの?

 じっと自分に向けられる視線に気づいて、思わず慎ちゃんの腕にしがみついた。前を向いて一人で歩けない。

 慎ちゃんがかばうように私の肩を抱いてくれて、どうにか歩ける。私はその身体の陰に隠れるようにして岡崎の前をやり過ごした。




 人もまばらな教室。一人ぽつんと席に座ってると不安でしょうがなかった。

 こんな日に限って、めぐみもまだ来ていない。

 下駄箱のところまでついてきた慎ちゃんの言葉を思い出す。


「困ったことがあったら、なんでも言えよ」


 今すぐ会いに行って抱きしめてもらいたい気分。

 ものすごく心配をかけてるんだと思う。だって、すごく優しかった。いつも優しいのに、夕べからはそれを上回るぐらい。

 今まで何かあったらすぐに慎ちゃんに相談してた。でも今回は……。

 気がめいっていたせいで、岡崎が教室に入ってきたことに気がつかなかった。目の前に立たれるまで。

 声をかけられるまでもなく、彼だということはわかってた。私は顔をあげられなかった。


「話あんだけど」


 無愛想な声。

 どういうつもりなんだろう。何の話があるって言うの?

 もちろん昨日のことだとは分かってる。でも話をしてそれでどうするの?


「話、あんだけど!」


 岡崎の大きな声に、みんながしんとしたのが分かった。


「私には……ない」


 やめてよ、私岡崎と話すことなんかない。あれは……事故みたいなもんじゃないの?

 お互い付き合ってる人がいるんだから、忘れた方がラクじゃん。


「来いよ、はっきりしようぜ」

「いや」

「ならここで話するかぁ?ここで、みんなの見てる前で!」

「やめてよ、もう。……ほっといて……」


 岡崎が怖かった。何を考えてるのか分からなくて。

 気がついたら涙が出てた。


「岡崎! あんたなに言ってんの? さやか泣いてんじゃないのっ」


 登校してきたばかりらしいめぐみが、私をかばうように間に入ってくれた。

 ちっと舌打ちする音が聞こえて、岡崎が自分の席に戻る。

 私は心配そうに声をかけるめぐみに、何も言えず、ただただ泣き続けた。



 その日一日、めぐみは私のそばを離れないように気を使ってくれた。そのおかげか、睨むような視線を感じるだけで、岡崎は何も言ってこなかった。

 そのかわり、教室移動の時に妙な視線を感じた。

 ―――――― それが、校内で私と岡崎のことが噂になっているせいだとは思ってもいなかった。




 放課後、慎ちゃんが教室まで迎えに来てくれた。HRが終わってすぐに駆けつけてくれたんだと思う。

 いつもと同じように笑いかけてくれる慎ちゃん。それが心苦しくて。

 ……噂、きっともう知ってるんだよね。

 怖くてまともに顔も見れなかった。



 学校を離れてしばらくすると、慎ちゃんが手を握ってきた。


「な、公園でもよってかないか?」

「……うん」


 あったかい缶コーヒーを二本買って、ひとつのベンチに二人して並んで座った。

 穏やかな沈黙。だけど……。

 今朝のあの出来事は、脚色されてひどく無責任な噂として広まった。

 たぶんきっと、そのことで慎ちゃんは傷ついてる。

 噂の全部を完全に否定できないのがつらい。岡崎とキスをしたのは事実だし、その行為自体が慎ちゃんに対する裏切りなのが間違いないから。

 でも気持ちは。私の気持ちは、変わらないの。慎ちゃんを好きだって。

 そ れだけは信じて欲しい、って思うのは、わがまま……?


「な、さやか。……もし、俺よりも好きなやつがいるんだったら……」


 長い足にひじをついて、顔を伏せたまま慎ちゃんが言った。


「……噂、聞いた……のね?」


 慎ちゃんがうなずいた。


「……本当なのか?」


 ……どう言えばいいんだろう。


「私……慎ちゃんより好きな人なんて、いないよ」


 ただそれだけ。

 他に何を言っても、ただの言い訳にしかならない。

 私がそれを知ってるから、……きっと、それは慎ちゃんにも伝わってしまう。

 ただひとつだけ言える、本当のこと。


「私が好きなのは、慎ちゃんだけ。ほんとよ?……それだけじゃ、駄目?」


 頭を抱えて、大きく息を吐いて。慎ちゃんは、そうしてから私を見た。


「それで充分だ」


 そして、抱きしめてくれた。

 嬉しくて嬉しくて、涙が出た。

 慎ちゃんを失わなくて済んだ。この腕も、胸も、笑顔も、声も。……大好きな、慎ちゃん。


 抱きしめられて、その腕の中で私は決めた。

 岡崎と話をしよう。

 胸のすみで感じてる、小さな痛みを確かめるために。




 その日の夜、岡崎から電話がかかってきた。


「今朝は悪かった。話したいんだけど……、今から出れるか?」


 優しい声だった。

 私は岡崎の待つ公園へと急いだ。


 夕方慎ちゃんと話をした公園。

 岡崎は噴水のところで私を待っていた。

 学校以外で会うのは初めてで、少し緊張する。


「今朝は。……本当に悪かった」

「ううん。……あの時私が意地張ったから……」


 気まずい沈黙。

 お互い、今までろくに話したこともない関係だった。

 あのキスさえなければ、こんな風に会うことなんて一生なかったと思う。


「あの……」


 慎重に言葉を選ぶ。この気まずい状態をなんとかしたかった。


「なんで……ああなったのか、私、まだ分からないままなの。キス……、その……したい、と思ったわけでもないし。それは……岡崎も一緒、だよね?」

「一度目は、な」


 岡崎の言葉は、衝撃だった。

 その言葉は、二度目のキスは違う、と意味してる。

 ……そうかもしれない。


「なぁ、キスしてもいいか?」

「え?」

「それで、終わりにしないか?」

「…………」


 岡崎がどういうつもりでそう言ってるのか、最初分からなかった。だけど、なんとなくわかった。

 訳も分からないまましてしまった、一度目のキス。

 避けれたはずなのにしてしまった、二度目のキス。

 だから三度目は……。

 ―――――― 私はうなづいた。


 岡崎は私に近づいて、肩に手を置いた。そしてもう片方の手をあごにかけて、持ち上げた。岡崎の目を見つめた後、目を閉じて待った。

 ―――――― 今までで一番長いキス。

 唇が離れた後、岡崎は私の身体をやさしく抱きしめてきた。

 私は、ただ黙って抱かれた。

 ―――――― こんなふうなのは、今だけ。

 そう自然に思えたから。



 帰り際、岡崎が言った。


「彼氏と仲良くな」


 それで思い出した。……慎ちゃんのことを。

 岡崎の腕の中にいたとき、私は確かに慎ちゃんのことを忘れていた。


 走り去る岡崎の後姿を、私はぼんやりと見つめた。







 1ヶ月もすると、噂も影を潜めた。

 私も、岡崎も、わざわざ噂を大きくする必要はないとごく普通に振舞ったからだ。






 あの時、私と岡崎の間にあったものはなんだったのかと今も不思議に思う。

 何が、私たち二人にキスをさせたのか。

 もし、私が慎ちゃんと付き合ってなかったら。

 もし、岡崎に彼女がいなかったら。

 ―――――― どうなってたのだろう。


 ……恋をしてたのだろうか。


 今、慎ちゃんといて、私はとても満ち足りた毎日を送っている。

 だけど、どこかにとげが刺さっている。

 歩んだかもしれないもうひとつの未来。

 岡崎との、……未来。

 ううん。

 もう考えるのはよそう。

 慎ちゃんより彼を選べるほどは、想えなかった。

 どんなにドキドキしても、どんなに心がゆれても。

 ただ泣き続ける私を、優しくずっと抱きしめてくれて、噂に惑わされずに私を信じてくれた、慎ちゃん。

 これだけは変わらない。この想いだけは譲れない。


 だからきっと、慎ちゃんとはこの先もずっと一緒にいる。

 ずっと、いつも、そばに。


 この心のとげと一緒に。

過去サイト初出2002/10/18


毎日幸せだとちょっと寄り道したくなったりするのかな、と。

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