20 話し合い
レイラがやって来た日の夜。
前に脅した侍女が酷く怯えた様子で私に伝えた。
「お、奥様……旦那様が戻られました……」
「あら、随分遅かったのね」
私はオリバー様の元へ向かうため、座っていた椅子からゆっくりと立ち上がった。
(ようやく離婚の話が出来るのね)
今から私はオリバー様との関係を終わらせに彼の元へ行く。
この悪縁を断ち切ってしまえば、晴れて私は自由だ。
「旦那様は部屋に?」
「は、はい……」
私はすぐに自室を出て、公爵邸の廊下を歩いて彼の部屋まで向かった。
以前とはまるで違う堂々な私の姿に使用人たちは驚きを隠せないでいた。
(あの部屋で寝るのも今日で最後か……)
別に寂しくない。
オリバー様の部屋の前まで来た私は扉をノックした。
「旦那様、エミリアです」
「入れ」
中からは不機嫌そうな声が聞こえた。
(ふふふ、相当怒っているみたいね)
部屋に入ると、案の定オリバー様はソファに座ってこちらを睨み付けていた。
「旦那様、お久しぶりですわ」
「……一体何のつもりだ」
「何のことでしょうか?」
わざとらしく首をかしげながらそう言うと、オリバー様は我慢の限界だとでもいうように机を拳で叩いた。
「私を邸に呼びつけるなど!一体どういうつもりなのだと聞いている!」
「……」
余裕の無さそうな彼の顔に思わず笑みが零れそうになった。
(まぁ、やっぱりそうなるわよね)
彼はついさっきまで愛人宅にいたのだ。
せっかくの家族の時間を私に邪魔されたのだから、そうなってしまうのも無理はない。
物凄い剣幕のオリバー様を前に、私はニッコリと笑みを浮かべた。
「……おい、何だ」
「今日は旦那様にお話があってお呼びしたのです」
「話だと?」
「はい、とっても大事な話ですのですぐにしたかったのです」
私は彼の向かいに座った。
思えばここに座るのも本当に久々だ。
七年前にオリバー様が私に指一本触れなくなってからは一度も無かったかもしれない。
(これが最後になるけれどね……)
オリバー様と体を重ねる前のあのときはドキドキして仕方が無かったというのに。
随分と懐かしい話だ。
(ここへ嫁いできてもう十年か……)
私はオリバー様の部屋の中をぐるりと見回した。
私が公爵邸で暮らすのは今日が最後となる。
(十年間ありがとう……貴方も元気でね……)
私は心の中でそっと十年間世話になったこの公爵邸に別れの挨拶をした。
なかなか口を開かない私にイライラした様子の彼が急かすように言った。
「おい、私は暇ではないんだ。早く言え」
「――私たち離婚しましょう」
「………………え?」
オリバー様は見事に固まった。
(暇ではないですって?冗談でしょう?)
彼が公爵邸にいない間、何をしているのか。
私はもう全てを知っているのだ。
平気で嘘をつくオリバー様に、私は冷たい口調で告げた。
「聞こえませんでしたか?私たち、離婚しましょう」
「離婚……?」
まさか私から離婚を突き付けられるとは思わなかったのだろう。
彼は口を開けてポカンとしている。
普段社交界で見る完璧な貴公子の姿はどこにいったのだろう、なかなかに情けない顔だ。
(もしかして、まだ私が貴方のことを好きだとでも思っているのかしら?)
だとしたら非常に不愉快である。
「私はもう決めたんです。離婚してください、旦那様」
「何故、急に……!」
離婚を言い渡されたオリバー様は何故だか焦ったような顔をしていた。
(あら?伯爵家との縁が切れるのが惜しいのかしら?)
そんな表情をした彼の真意は分からない。
別に知りたいとも思わない。
私が彼に望んでいるのは離婚――ただそれだけだから。
「旦那様、私はこの十年間たくさん貴方に傷付けられてきました。まさか、自覚が無いとでも?」
「……」
オリバー様はぷいっと私から顔を背けた。
心当たりがあるという意味だ。
(ハッ……分かっていたならどうして蔑ろにし続けたの?)
それほどまでにもう一つの家庭が大切だったのか。
「私はもうこれ以上この公爵邸にいたいとは思いません。今すぐ離婚してください」
「だからって……離婚なんてそう簡単に出来ると思っているのか!」
オリバー様はなかなか引き下がらなかった。
しかし私だって退くつもりは無い。
(ハァ……本当に、お兄様に頼んでおいて正解だったわ)
私は旦那様の前にお兄様の用意した証拠たちを出した。
「旦那様、貴方他に家庭をお持ちですよね?」
「……!!!」
核心を突くかのような私の言葉に、オリバー様の肩がビクリと震え上がった。
「何故お前がそれを……!」
「この間お忍びで王都へ行ったときにたまたま旦那様を見かけたのです」
「それで私の後をつけてきたというわけか!?」
「はい」
よほど知られたくなかった秘密だったのか、オリバー様は額を手で覆って俯いた。
(何で貴方がそんな風にするの?)
そうしたいのは私の方だ。
「この国では愛人の存在は認められていません。ですから貴方の不貞は正当な離婚理由になります」
「……」
正論過ぎて返す言葉も無いようだ。
「旦那様、本当なら貴方が今まで私にしてきたことに対して多額の慰謝料を請求してもいいのですよ。ですがもし今離婚を受け入れてくださるのであれば慰謝料の請求はいたしません」
「……!」
もし私が彼に慰謝料を求めるのであれば、それこそとんでもない額になるだろう。
十年間蔑ろにされ続けたことと浮気をしていたこと。
それだけでもかなりの金額になる。
しかし、私はお金など別に欲していない。
私が望むのは自由、ただそれだけだったから。
「だが、しかし……」
(まだ受け入れないつもりなの?)
愛人の存在が知られてもなお私を引き留める気か。
未だに難色を示すオリバー様に、私は奥の手を使うことにした。
「旦那様、愛人の方との間に生まれた子供リオ君でしたっけ?」
「お前は一体どこまで知っているんだ……」
「このまま不貞という関係を続けていて良いことなど一つもありません。もし貴方がしていることが世間に知られでもしたらローザ様もリオ君も邪悪な存在として扱われるでしょうね」
「……!」
この国は一夫一妻制で愛人を囲うのは禁忌だった。
オリバー様の場合、その愛人との間に子供までいるのだから周囲に知られたらそれはもう大変なことになるだろう。
私は秘密裏に貴族の愛人をしていた女たちの存在を何人か知っている。
その中にはローザ様のように子供が産まれた者もいた。
(悲しいけれど……)
――その全員が悲惨な末路を辿っている。
もちろん生まれた子供も含めてである。
愛しているから、諦めきれなかったから。
そんなロマンチックな言葉は理由にならないのだ。
(リオ君の将来のためにも……私と離婚して)
少なくとも、あの子には何の罪も無いではないか。
両親が犯した罪を背負って生きていかなければならないだなんて、いくら何でも可哀相すぎる。
オリバー様はしばらくの間焦点の合っていない目で床をじっと見つめた後、ガックリと項垂れた。
「……分かった、離婚を受け入れよう」
「ありがとうございます、旦那様」
こうして私たち夫婦の話し合いは無事に終わったのだった。




