第四章① 未知の町
男は、町から少し離れた道沿いに車を停めた。
用心深いと言えば聞こえはいいが、
実際のところ、男は怯えていた。
エンジンを切り、車を降りる。
辺りは不自然なほど静かだ。
男は一度、深く息を吸い込み――
すぐに、フッと短く笑った。
匂いが違う。
冷たい空気の中に、
家畜や干し草、煮炊きの気配が混じっている。
都会の匂いではない。
人と自然が織り混ざった場所の匂いだ。
(……匂いじゃない、臭いだな)
心の中で、そう言い張る。
足元では、飼い犬が鼻をひくつかせ、
リードを引こうとしていた。
「すえぞう君、…きみ、匂いに釣られてるね?」
苦笑しながら声をかけ、
男はリードを握り直す。
そして、町へ向かって歩き出した。
――――
先ほどの家の傍を流れていた小川は、
町の中で、ひと回り大きな川へと繋がっていた。
流れは同じく、西から東。
町の端から奥へ視線を走らせると、
その川を中軸にして、町が形作られているのが分かる。
(どこかの温泉街みたいな感じだな)
川は人の手が入っているらしく、
しっかりと掘られ、整えられている。
手前には人が歩くための道。
向こう側には、馬車が行き交った痕跡の残る広めの道。
その両脇に、建物が並んでいた。
所々に小さな橋も架けられ、
町の中を行き来しやすい造りになっている。
――――
手前の、歩道のような細い道を、
男は川の下流に向かって歩き始めた。
建物はどれも低く、
屋根は木や藁葺きが多い。
所々に石造りや、レンガのような作りの家も混じる。
道の両脇には、小さな店と家が並び、
干された洗濯物や、
屋外で煮炊きする匂いが入り混じって漂っていた。
建物の裏には、どこも畑が続いている。
(……村じゃないな。ちゃんと町だ)
男は、ひとり納得する。
だが、耳に入ってくる会話は、
どれも聞き覚えのない言語だった。
「あー……やっぱりか」
思わず声が漏れる。
(この歳で言語習得とか、無理やぞ……)
落胆しつつも、視線だけは止めない。
野菜を並べた店、
乾物を吊るした雑貨屋、
木の看板を掲げた薬屋。
町が、確かに「生きている」ことは分かった。
その視線の先、
薬屋の入口で、老女と若い女性がこちらを見ていた。
男は、自分の服装をまじまじと見る。
トレーナーにジーンズ、ハーフコート。
――浮くよな。
苦笑いを浮かべ、
一番近い八百屋の前で足を止める。
店主が話しかけてきたが、
言葉はまるで分からない。
まったく未知の言葉。
値札らしき札を見て、男は内心で呻いた。
(……数字っぽいけど、分からん)
愛想笑いを残し、その場を離れる。
さらに下流へ進むと、
空気が、はっきりと変わった。
「……くっさ」
排水の匂いが強くなり、
肉屋らしき店と、簡素な畜舎が見える。
中には、数頭の家畜。
(牛と豚……鶏もいる、か)
肉があることに安堵しかけた、その瞬間、
犬が目を輝かせて前のめりになる。
「ほれ、行くよ、すえ」
犬のリードを引っ張って橋を渡る。
――――
今度は馬車らしき轍がある広めの道を上に戻ることにした。
こちら側は、武具を売る鍛冶屋から始まり、
革屋、宿屋らしき店、酒場、広めの食堂と続く。
(うん、間違いなく異世界だね)
不安が拭えない男も、異世界の町を見て、少し心が躍った。
(まだこの世界の通貨を見てないな…)
(なんとか金を稼ぐ手段を講じないと…)
食べ物の匂いに釣られる犬を引っ張りつつ、
男は歩いた。
最初に見た雑貨屋と薬屋まで戻った。
探索はじめに見た、穏やかな笑みを浮かべる老女と、
若い女がこちらに近付いてきた。
何を言ってるか全くわからないが、
薬屋の中へ入るように身振り手振りで語っている。
男は一瞬迷ったが、老女と若い女に招かれるまま、
薬屋の中へと入った。
男はその時、ただ“話が通じそうな人間”に出会えたことに、安堵していた。
第四章① 終わり




