第十一章① 白銀の来訪者
昼前、男は重いまぶたをこすりながら
ベッドから起き上がった。
「疲れがたまってるんだな、昼まで寝ちまった……」
スマホを手に取り、時刻を確認する。
この世界に来てからも、一日の流れだけは
以前と変わらない。
その事実に、男は一瞬だけ呆然とした。
(車で充電して、あとは電源切っとくか……)
昨日訪ねた薬屋のことを思い出す。
職を得る手がかりは、今のところあの店しかなかった。
電源が切れた冷蔵庫を開ける。
男は中を覗き込み、何から使うか悩む顔をした。
調理の合間にキッチンスケールを使い、重さを確かめる。
(……質量も、地球と同じ)
ここが別次元の地球なのか、それとも似た別の星系なのか。
答えは出ないまま、男は皿を机に置いた。
野菜炒めとパンを、一緒に口に運ぶ。
味の相性は悪いが、食べられるだけで十分だった。
静かな家の中で、箸の音だけが響く。
不安も孤独も消えはしないが、昨日よりは少しだけ落ち着いていた。
「……さて」
男は椅子から立ち上がり、外出の準備を始める。
この世界で生きるための一歩を、今日も踏み出すつもりだった。
――――――――――――――――――――
食べ終えた男は、街へ向かう支度を整え、外へ出た。
そこで、足を止める。
「あれ……? すえぞうがおらん」
付近を探すが、犬の姿はない。
(あいつなりに付近の探検にでも行ったか?)
「おーい」
呼びかけても、返事はない。
「あいつ、どこ行ったんだ……?」
男は家から少し離れ、周囲を見回した。
そのときだった。
東の空から、低く、腹に響くような轟音が届く。
最初は遠雷のようだった音は、瞬く間に存在感を増し、
空気そのものを震わせながら近づいてくる。
反射的に、男は振り返った。
抜けるような快晴の空、その高みから、
巨大な影が進路を固定したまま、一直線にこちらへ降下してきた。
最初から、この場所に降りるつもりなのが分かった。
――近い。
空から迫る存在の距離を、男は本能的に感じた。
その瞬間、凄まじい風圧が叩きつけられる。
男は思わず腕で顔を庇い、目を細める。
地面が揺れ、土埃が舞い上がる。
次の瞬間。
白銀の巨体が視界いっぱいに降り立つ。
羽を広げたまま、翼と脚部から噴き出す推力で、
それはゆっくりと地上へと着陸する。
白く輝く鱗。
光を反射する巨大な翼。
鋭く、すべてを見透かすような瞳。
――ドラゴン。
言葉を失ったまま、男はただ立ち尽くす。
翼をゆっくり畳み、筋肉のうねりと光沢のある鱗が、
威厳に満ちた存在感を際立たせる。
―――
「ドラ……ゴン……、白銀の……」
昨日見たあの影も、この生き物だったのか――
男の胸が高鳴る。
無意識に感嘆の声を漏らす。
「…うぉおおお、すげー!」
男が「L〇Dドラ…」と口にすると、ドラゴンが鋭く遮る。
「おい!」
「はい!」
思わず反射で返事をする。
そして、転移してきた自分の様子を見に来たのだろうと推察する。
意を決して声をかける。
「転移者の私に会いに来たんですね……」
ドラゴンは静かにうなずく。
「うむ、察しが良いな」
(……声が直接、脳に響いてる?)
男は問いかける。
「なぜ私がこの世界に?」
「巻き添えだ……。
…だが理由はあるはずだ」
(はずだって……ドラゴン様でも分からないのか?)
(巻き添えか……やはりあの子の……)
「元の世界には戻れないんですか?」
「うむ」
小さく頷き、男は心の中でため息をつく。
「あの子もこっちに来てるんですよね?」
「うむ」
「無事だったんですか?」
「うむ」
安堵の息を漏らすと、ドラゴンは続ける。
「あの娘に会ったら手を貸してやれ。名を綾子と言う」
男が聞き返す。
「合流して補佐しろと?」
「そうではない。……娘に出会った時で良い」
「綾子ちゃんは今どこに?」
「カラムの街だ」
(言葉通じないのに、カラムってどこ……?)
「娘の望みに応じて助けてやれ。あれはまだ幼い…、
それまでは己が精進しながら力を蓄えよ」
男は答える。
「そう言われましても、私には先立つ物も力もありませんよ」
「貴様にはもう力が備わっておる」
(力って……何のことだよ……只の初老のおっさんなのに……)
男は心の中で呟く。
「昨日、町に行ったんですが、言葉が通じなくて困り果てております」
「貴様が望めば、それが力になる」
(そんなこと言われてもなぁ……俺が今、望んでるじゃん)
男は困惑する。
「なんか魔法でパーッと力を授けてくれるとかないんですか?」
ドラゴンは目を細め、眉をぴくりと動かした。
不穏な空気が辺りに漂う。
「ない」
「…ではせめて金銀財宝とか」
「ない」
「何でも入れ放題の魔法のカバンとか……」
「ない!」
「ない!」
男が呟くより早く、ドラゴンの声が響く。
ドラゴンは眉を吊り上げ、鋭く息を吐く。一瞬、殺気が漏れる。
しかし、ぐっと自制し、ため息をついた。
その表情は、仕方なく諦めた老教師のようだった。
(ドラゴンでもため息つくんだ……)
ドラゴンは無言で、一粒の白銀の宝石を差し出す。
「これを与えよう。売らぬ羽目にならぬように精進せよ」
(あー、これ絶対売ったらダメな奴じゃないですか……)
男は心の中で苦笑する。
「せめて何かお金を稼ぐ手立てを下さりませんか?
……それと……何か魔法とか」
ドラゴンはもう呆れ果てている。
「言ったであろう、貴様の望み次第だ」
これ以上何を言っても、状況は変わらない。
金も力も、今すぐ与えられることはない。
この場で食い下がれば、命の方が先に終わる――そんな気配さえある。
男は小さく肩を落とし、口を尖らせたまま、仕方なく言った。
「……分かりましたよ。ありがとうございますぅ」
ドラゴンは再び大きなため息。
(またため息ついてる……)
(((あれの相手は疲れる……)))
ドラゴンは仕方なさそうに、わざとらしいくしゃみをひとつ。
辺り一面に風圧が飛ぶ。
(ドラゴン様は、くしゃみも大迫力だな……)
「では行く」
「ご挨拶、ご配慮痛み入ります」
「うむ、精進せよ」
「お気をつけて」
ドラゴンは翼を広げ、一度だけ羽ばたいたあと、翼から推力を出し始めた。
手足からも推力が発生しており、垂直上昇した後、
徐々に前方へ加速して去って行った。
男は呟く。
「F-35Bみたいだな……」
「異世界すげー……」
第十一章① 終わり




