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前編

これを見てくださっているということは約束は果たされたのですね。

悪役令嬢と呼ばれたわたくしの最後の願いでした。


これは、とある王国での出来事に端を発して、思いもよらぬ人生を歩んだわたくしのお話です。


***


「‥‥どうしてこんなことに‥‥‥」

これから厳しい冬の待つ北方開拓地区の修道院へ送られる馬車の中、繰り返し浮かぶ思いに答えはでない。彼の地は、王都や大きな領都の貧民街を消すために住人を強制的に移住させた、国の棄民政策の現場なのです。


殿下は、棄民政策を正常な開拓事業に戻そうとの思いを持ち、わたくしもそのために色々な分野の知識を学び、二人の卒業後は実行に移していこうと話し合っていたのに。

それが、こんなことになるなんて。


殿下は、後ろ盾を強めるための政略で侯爵家令嬢のわたくしと婚約していましたが、男爵家に養子入りした庶子である少女に容易くも籠絡され、愚かにも大勢の前で婚約の破棄を宣言した上、わたくしに在らぬ罪を着せて断罪したのです。


陛下や重臣方が殿下の行状をご存じないわけがなかった。となれば、わたくしの排除は殿下の独断ではない。誰のどんな意図によるものか、分からない。

わたくしは後悔と怒りと次々に浮かぶ疑問に沈み込んでしまいました。


 殿下をお守りできなかった。

 接近の時点で排除すべきだった、機会は何度かあったのに。

 殿下が接近を許した時点で婚約を解消していれば。

 側近の諫言も遠ざけるとか馬鹿なの?

 側近もそろって籠絡されるとか、みんな猿だったのね。

 殿下が愚か過ぎたの、守る価値なんてなかったのよ。

 悪役令嬢ってなによ、演劇で観て言ってみたかっただけでしょ。

 お父様のあの眼、ごみを見るようだった。

 婚約者にしてやったのに使えない駒って。

 わたくしはどうしようもない優柔不断だった。

 信じたくて、頼りたいのに、虚勢で、大丈夫って、それが矜持?

 事実から、自分の弱さから目を逸らしただけのごまかし。

 わたくしの知る自分も、人との関係も、全部、幻想ね。


「‥‥‥もう、わたくしは戻れないのね」


半月も馬車に揺られ、修道院に到着した時にはもう足腰が痛くてまともに立てなくなっていました。護送の兵士によって馬車から引きずり出され、冷たい地面に転がされて這いつくばったのです。


迎えに出てくれていた修道女に兵士は何の申し送りもせず、さっさと馬車を走らせて帰っていきました。

その有様に修道女は呆然としていましたが、すぐ我に返ると助け起こしてくれたのです。

このときほど人の優しさが身に染みたことはありませんでした。


***


半月ほどで修道院での生活に慣れ、住人の置かれた状況への理解も進み、冬の訪れが間近となった頃、新たな住人が送られてきました。

わたくしの家とは政治的に対立していた侯爵家のご令嬢です。

優秀な彼女は王子殿下の婚約者選定で有力候補でしたが、家の派閥で婚約者にはわたくしが選ばれ、彼女は中立派の侯爵家ご令息と婚約されていたはずです。


「アンヌ様、わたくしもここに送られてしまいました。笑ってくださっていいのよ」

「いいえ、ベアトリーチェ様。また理不尽なことがあったのでしょうか?」

「あのバカ王子、わたくしに向かって、側妃にしてやるって言いましたのよ? アレの代わりに執務をさせるために。その場で断ったら、王城からここに直行でしたわ」


わたくしは唖然として固まってしまいました。

「ともあれ、こうなってしまってはね。ふふっ、どうぞ、よろしくお願いいたします」

「こちらこそ。助け合っていきましょう」


四日後、今度は武門で有名な伯爵家のご令嬢が送られてきました。

彼女は一学年、下だったはず。

護送兵士の手を払い除けて自分で馬車から降りると、去っていく馬車に向かって吠えたのでした。

「あんのクソ女、誰がてめぇの侍女なんぞやるかっ! ぜぇーったいに許さんからなって、お前ぇちゃんと言っとけよ!」


「まぁ、とってもお元気ね」

「うふふ、なんだかいいわね」

「ふぅ~、わたしも送られましたよ~。 これからよろしくお願いします」

「えぇ、こちらこそ、チェリル様。これも何かのご縁ね。仲良くしましょう」

「お疲れでしょ? 中でお茶にしましょう」


それから、わたくしたちは何度も話し合い、王都とこの地の情報を共有し、この地を少しでも住みよくするために協力することにしたのです。

水の確保、育てる作物の種類、肥料や農法、住人の教育など、できそうなことはいくつもありそうです。


王都のあんな連中のところには、わたくしは、戻りません!


***


開拓地区へ来て三年目でやっと食料を充足できるようになり、飢餓で冬を越せない者が出なくなったのです。住人も増えました。

五年目には果樹の改良が実を結び、細々ですが他所と取引が始まり、わたくしたち三人は名前の頭文字から「棄て地の聖女ABC」などとあだ名されました。うれしくありません。

まだ十分とは言えないけれど生活事情は随分と変わった、そんな八年目のこと。


「こぉら、おばちゃん違うだろっ! おねーちゃんって言えっ!」

「こえぇー」「きゃー」

笑いながら逃げる子供たちを追いかけて走っていきます。

「チェル速いわねぇ。まったく、元気さが羨ましいわ」

「ほんとね。穏やかな毎日でうれしい、と言いたいとこだけど、足がね。嵐が近いと思うの」

「一昨年、折れたとこね?」

「えぇ、もう慣れたけど、今回はこれまでより強く痛むわ」

「嵐のこと、村長たちに話してくるわ。アンは足を冷やさないようにね」

ビーはそう言って集会場へ向かっていきました。


村の男衆が手分けをして山の斜面、川の土手、井戸の見回りをし、土嚢を積み上げたり、家に支え木を打ち付けたりしてから四日後、これまで経験したことのない暴風雨の嵐が来ました。


「山から水が止まらねぇんだ!」

「土手がもたない! 破れる」

「くやしいっ! ここまで、やっと、みんなで‥‥‥」


山手の方では大量の土砂が倒木を巻き込みながら押し寄せ、家も人も飲み込みました。わたくしの親友二人もそこで。


川の氾濫で果樹は折れ流され、小麦や野菜の畑は水浸しで沼のようになってしまい、開拓地区は壊滅したのです。

汚れた水を飲んだ人が次々と死んでいきます。

杖が折れ地面に倒れたわたくしが最後に見たのは、遠くまで広がるどす黒い雷雲でした。


「まだ続くの? なんて酷い」

わたくしの視界は真っ暗になりました。


***


わたくし、目が開きました。

暖かくて肌触りの良い布団の中でした。レースのカーテン越しに柔らかな光が入ってきます。

周りにはお気に入りの家具、見覚えのある部屋の装飾にわたくしは混乱しました。それらはずっと以前の日々に見知ったものでしたから。


「どうしたことなの?」

わたくしの声に気付いたのか、部屋に入ってきた年若いメイドを見て驚きました。

彼女も知っています。あの卒業パーティーでわたくしに罪を着せる虚偽の証言をした一人です。

でも、なぜ、そんなに若いの?


「ああ、お嬢様、お目覚めになって‥‥‥、知らせてまいります」

飛び出していく後ろ姿に「え? あ、ちょっと」と、止めようと伸ばした自分の手を見てわたくしはまた驚いたのです。

「手、小さい!」

寝間着も幼い頃に着ていたものだし、どうやら、わたくしは子供に戻ってしまったようでした。

「夢を見ているの? あれは夢だったの? いいえ。あの時間が夢のはずがない。全部覚えているもの」


その後、お医者様から問題なかろうとの診断をいただき経過観察となりました。ともあれ、お腹が空いたので軽食をもらい、スープを飲んだ後、メイドに尋ねます。

「今日は何日? 何年?」

「三月の十日ですよ、王国歴一〇八年の。お嬢様が庭で倒れて高熱を出されて三日経ちました」

「そう、心配掛けたわね。食べたからもう少し休むわ」


一人になって考えます。


 王国歴一〇八年の三月なら八歳か、婚約者選定の二年前ね。

 婚約者にはならない、あんな茶番は断固拒否だわ。

 お父様から逃れなきゃ、でも、どうやって?

 といっても、今、出奔するのは無理よね。

 開拓地区は計画が始まった辺りかしら。

 とにかく! 王都には居たくない! 出ていく!

 それには準備よ! わたくしは、もう戻らないわ。


わたくしは二年かけて秘かに脱出計画を練っていったのです。


***


婚約者の選定開始が近づいたある日、両親が領地へ向かいました。これは絶好の機会、動くなら今! わたくしは迷わず計画を実行に移しました。

いつも通りに朝食を終えたわたくしは、父から預かった書類を王宮へ提出するといって馬車を用意させ、王城へ向かいました。


通用門の兵士に身分を告げ、危急の要件として陛下への手紙と家門を証明するネックレスを添えてお目通りを願いました。

お願い、どうか、通じて。わたくし、もう戻れません。


しばらく待たされていると男女の近衛騎士が迎えにきて、我が家の護衛と馬車を帰しました。一人になったわたくしは、女性の騎士に身体検査をされた後、王城の裏手から王宮内に案内されました。


誰にも会わずに会議室に通されるとすぐに宰相閣下と将軍閣下、文官の方が来られ、そして陛下が御出でになりました。腰を折り、顔を伏せ、最大の敬意を表するカーテシーでお声を待ちます。

「よい、顔を上げよ。そちらへ座りなさい」


***


「では、この重大な訴状について質す。覚悟は良いな?」

「はい。真実を話すことを誓います。その前に真実薬を飲みたく存じます」

「ほう、その年でよく知っているな。ふむ、ここへ持て」

渡された小瓶の液体を飲み干します。

「うぅぅ、すみません、お水くださいぃ」

涙目になって皆様に笑われてしまいました、恥ずかしい。


「では仕切り直しだ。其方の父である侯爵に王家への叛意ありというのは真か?」

「はい、真にございます。侯爵夫妻は昨日、領地へ向け出立いたしましたが、これも協力者と会うためでございます」


「もうすぐ王子殿下の婚約者選定が始まりますが、わたくしは、常日頃より侯爵から、王子殿下の婚約者となることが務めだと、体罰も用いて強く申し付けられております」

身体検査でわたくしの背中を見た女性騎士が肯定します。


「以前、侯爵がお酒に酔っておられた際に、なぜそれほど強く婚約者となることを求めるのかと尋ねましたら、義父として年若い殿下の後ろ盾をするのが楽しみなのだと申しました」

「ふむ。意を問い質すべき発言ではあろうな。だが、酔っていたのであろう?」


「そして、こちらは侯爵の執務室より持ち出した行動計画書で、協力者の貴族などが書かれております」

「なんだと! 書類をこちらへ。侯爵が王宮に提出した書類をいくつか持ってこい、大至急だ」


この後、書類の紙やインクの質、筆跡、わたくしの書いた文字との比較などの検証が行われました。事態はもう、わたくしの手を離れたのです。


お昼過ぎ、精鋭の騎馬隊が領地の侯爵夫妻を捕縛するため出立しました。

夕方には、王都の侯爵邸を将軍閣下の率いる騎士団が急襲し、書類と地下の隠し部屋から大量の武器や薬物を押収、計画書に書かれた貴族にも同時に捜査の手が伸びているとのことでした。


わたくしは近衛騎士の監視付きで王宮の一室に留め置かれました。



後編につづきます。

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