理解されなくても信じ続ける意味
この世界で、僕の夢を理解できる人間は、きっといない。
それがはっきりと分かる出来事があった。
同僚が昼休みに「理想の恋人」について語っていた。
「価値観が合う人がいい」とか、「お互いを尊重できる関係」とか。
その話題に、なんとなく頷きながらも、僕は口を挟まなかった。
いや、挟めなかった。
もしも本当のことを言ったら、きっと笑われる。
「来世で夢を叶えようとしてる」なんて言えば、
冗談にもならないだろう。
それでも、僕にとっては紛れもない真実だった。
僕は、彼女の名前すら口にできない。
彼女の現在の生活も、未来も、もう僕には関係がない。
だけど、この魂に宿った願いだけは、
誰にも否定できない。
その願いのために、今日も僕は落とし物を届けた。
公園で迷子の子を見つけた。
何か特別なことではない。
でも、これが今の僕にできることだと思った。
目に見える結果が欲しいわけじゃない。
ただ、僕の“中身”が、少しでも磨かれることを願っている。
それがいつか、
未来の彼女とまた出会えるための橋になる気がして。
時折、ふとした瞬間に、
「本当に叶うのか」と疑問が胸をよぎることもある。
たとえば、疲れて帰る夜道。
駅のホームで人波を見ていると、
あまりにもこの世界が遠く感じる。
僕の信じているものが、
この人たちの誰にも見えないなら、
それはもう“狂気”なのかもしれない。
でも、それでもいい。
狂っているのは、僕の方で構わない。
この信念だけが、僕を人間でいさせてくれる。
ただ流されて消えていくだけの人生を、
意味のある時間に変えてくれる。
誰にも話せない。
誰にも理解されない。
けれど、その孤独が、僕に強さをくれる。
この世界には、
きっと僕のように“願いがあるのに、動けない人たち”がいる。
声に出せない想いを抱えて、
今日もただ、生きている人たちがいる。
だから僕は、この道を進む。
いつかこの物語が、彼らの光になればいいと、そう願って。
たとえ、それがいつの未来であっても。
僕の意識が続く限り、僕は願いを手放さない。
誰にも知られなくても、たった一人であっても、
僕だけの夢を、僕は信じ続ける。