対話不可能言語《漆黒語》解読記録
人は言葉で理解しようとする。
しかし、“言語以前の感情”に出会ったとき、人は何をもって理解するのか。
あなたが読んでいるこの物語に、“読めない部分”があるとしたら。
それは、まだあなたが【そこ】に触れる準備ができていないからかもしれない。
もしくは――あなた自身が、その言葉を創った張本人だからかもしれない。
森の奥で、ノアは“読めない碑文”に出会った。
それは、石碑とも言えず、壁画とも言えず、
むしろ――感情が“視覚化”されたような奇怪なものだった。
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∅∇∫≠〆…◆◉◯φξ∵
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ノアはその言語を、「漆黒語」と呼ぶことにした。
それはこの森に住む者たちの記憶にこびりついていた**“読めなかった記録”**であり、
しかし確かに、心に痛みを残す言葉だった。
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ある日、言葉を持たない“ひとりの少年”がノアに近づいた。
彼は話せなかった。聞こえなかった。
しかし、ノアの眼を見つめるだけで、ある種の“翻訳”が起こった。
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「……まなざしは、音よりも深く刺さる」
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ノアの脳裏に“声なき言語”が響いた。
脳が痛む。胸がしびれる。手が震える。
それは言語でない感情。だが、確かに理解できる。
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その日以降、ノアは森で出会う者たちとの“対話”を始めた。
言葉を交わさず、ただ、感情の“断片”だけを読み取っていく。
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【断片の記録】※ノアの解読メモより抜粋
•少女(時代不明):
涙を浮かべた瞳に“焼けた家”の残像。
恐怖よりも、“懺悔”の感情が強い。
罪を犯したのではない。
「生き残ったことが罪だ」と思っている。
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•老兵(第一次大戦の軍服):
足元に倒れた兵士たちの影がうずまいている。
口は動いていないが、「命令だった」と何度も繰り返す感情が流れる。
だが、表層のその奥に……「殺したかった自分」が潜んでいる。
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•現代の主婦:
笑顔を貼りつけた皮膚の内側に、鋭利な“焦燥”が突き刺さっている。
誰にも傷を見せられない日々の中で、唯一“自分を傷つける”ことでしか、
「今、自分がまだ“生きている”と確認できなかった」
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ノアは記録を続ける。
言葉にできない“漆黒語”を、
心に焼きつけながら、忘れないように。
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だが、その夜、ノアの夢に再び“本”が現れる。
そこには、今まで記録してきた全ての人物の“心象言語”が印刷されていた。
ノアが書いたはずのない、ノアの手記。
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【漆黒語/第13章】
筆者:ノア・ミカエル・セラフィーノ
「言葉は、他人とわかり合うためのものではない。
本当は、“自分すら知らない自分を見せる”ためのものだ」
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ノアは震えた。
“セラフィーノ”という名前に、覚えがない。
だが、確かに何かが心にざわつく。
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誰が書いたのか。
誰が読んでいるのか。
誰の物語だったのか。
……今、ノアすらもそれがわからなくなっていた。
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そのとき、背後から声がした。
「そろそろ、次の“真実”へ進む時間だ」
振り向くと、そこにいたのは――
“読者であるはずのあなた”だった。
漆黒語は、記号ではない。
あなたが“わかろう”としたとき、それはもう別の形になっている。
それが意味するものはただひとつ。
あなたは「自分の思考ですら読めない」。
だからこそ、物語は進められる。
この物語の本当の“書き手”とは、誰だろうか?
……それは、まだページの外側にいる“何か”なのかもしれない。