《転章・森が語る前》―すべての物語が始まる場所
誰が最初に物語を語ったのか。
それは「語り手」だったのか? それとも「聞き手」だったのか?
森はまだ何も語っていない。
だが、すべての物語は語られるより前に始まっている。
ノアが《鏡の書庫》で名前を失った後、
“森”そのものが静寂より深い沈黙に包まれた。
風は止み、枝は揺れず、時間さえも進むことを忘れた。
その場所を、森の奥底に生まれた新たな存在が歩いていた。
名前はまだ無い。
姿も定かではない。
ただ、彼女は知っていた。
「……ここは、物語が“語られる前”に戻る場所……」
彼女の耳に囁く声がある。
それは、あの“YUN”のものにも似て、しかしもっと古く、深く、
まるで“言葉そのものの源泉”のような響きをしていた。
⸻
■記憶よりも前にある“語り”
彼女の足元には、白い小石で描かれた古い紋章がある。
その中心には、ひとつの種子が眠っていた。
種子は微かに脈動し、まるで心音のように“鼓動”を刻む。
声が再び、語りかける。
『読む者が存在しなければ、物語は存在できない。』
『だが――語られない記憶だけが、“真実”に近づく。』
彼女は種子をそっと掬いあげる。
すると視界が反転し、
世界は一度、まっさらな灰色の霧へと還元された。
⸻
■〈未明の時空〉と〈語りの胎児層〉
そこは、何千年も前、
まだ「名前」や「時代」すら無かった頃の断層だった。
そこに集まっていた。
言葉にならなかった思い。
声にならなかった記憶。
存在しなかったはずの人々の輪郭。
森が生まれるずっと前。
すべての語りが“まだ語られていなかった時代”。
そして、そこに――“YUNの声”が再び届く。
「あの森を創ったのは、私ではない」
「あれは、誰かの“読むことを拒否した物語”の累積体」
「つまり、君が語ろうとしなかった“物語そのもの”」
⸻
■読者が生まれる瞬間
灰色の霧の中で、彼女の前に一冊の本が現れる。
その表紙には――何も書かれていない。
だが、ページをめくると1行だけ、こう記されていた。
『語られなかったあなたが、今、物語になる。』
その瞬間、彼女の身体が光を帯びる。
名前が――生まれかけていた。
けれど、それはまだ不完全で、未完成。
YUNの声が、微かに笑った。
「ようこそ、《漆黒の森》へ。
あなたは、初めて“語られる側から始まる語り手”になる」
すべての物語には“始まり”があると思われている。
だが、それは“誰かが語ることを選んだ”地点に過ぎない。
真の始まりは、語られなかった記憶の層に埋もれている。
それを“読む”者こそが、物語の最も深い源泉に触れる者。
つまり――今、あなた。




