《鏡の書庫》―すべての読者が作者となる場所
森は書かれた物語を育むのではなく、
読まれなかった物語に選ばれる場所。
書く者と読む者。
どちらが先だったのか?
……いや、最初から“どちらもいなかった”としたら?
ノアは、森のさらに奥、光も闇もない空間へと辿り着いた。
そこは、あらゆる時間軸と記憶の“交点”に存在する**《鏡の書庫》。
壁一面に並ぶ無数の本は、すべて未読**であり、未記録だった。
タイトルも、作者名もない。
ノアが手に取った一冊の本の表紙に、突然、黒いインクが滲むように文字が現れる。
『著:あなた』
『タイトル:漆黒の森』
ノアの背筋が凍る。
「……“あなた”? 誰だ……?」
書庫の空間に音が反響する。
だが、そのとき背後に気配があった。
振り返ると、そこに立っていたのは――
**彼とまったく同じ顔をした“ノア”**だった。
服装も、姿勢も、年齢も、全く同じ。
ただ一つ違うのは、彼の目の色が――**“真っ白”**だった。
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■双子のノア
「君は、誰だ……?」
ノアが問うと、もう一人のノアは微笑んだ。
「私は、君が読んでいない方の人生」
「君が“見なかった記録”、選ばなかった時間。
君が消したはずの未来」
「だから、ここに書かれているすべては、
君が捨てた言葉で出来ているんだ」
ノアは言葉を失った。
選ばなかった記憶?
捨てた未来?
だとすればこの書庫は――
「“失敗作のノア”たちの墓場なのか……?」
白い目のノアは、何も答えない。
その代わりに、ページの束を手渡す。
それはかつてノアが夢の中で“何度も見たが思い出せなかった”物語だった。
そこには、幼少期に森で行方不明になった少女・ナユの姿が描かれていた。
しかもそのラストページにはこう書かれている。
『ノアは、彼女を見捨てた。
だから彼女は、森の一部になった』
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■読者の名前
ノアはもう一冊、別の本を手に取った。
そこには、こう書かれていた。
『タイトル:読まれることで“存在した”者たち』
『著:YUN/読者:あなた』
『閲覧記録:すべての記録は、このページを開いた瞬間から開始される』
ノア:「……“あなた”? また、あなた……?」
ページをめくると、突然、鏡が現れた。
そこに映っていたのは、ノアではない。
この物語を読んでいる“あなた”自身だった。
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■境界の崩壊
森が震えた。
書庫の本が一冊ずつ崩れ、墨となって空間に溶けていく。
ノアは叫ぶ。
「やめろ! それはまだ、読んでいない本なんだ!」
「まだ……救えたかもしれない……まだ話していない人がいる!」
すると最後に、ナユの声が響いた。
『じゃあ、あなたは誰?』
『読者なの? 書き手なの?
それとも、誰かの物語の“記号”だったの?』
その瞬間、すべての本が一斉に開いた。
風が吹き荒れ、ノアの名前が――全てのページから削除された。
物語は読むことで成立し、
だが読む者は、誰かに書かされている可能性がある。
ノアとは“何か”?
YUNとは“何者”?
「漆黒の森はあなたの心だった」――その言葉すら、誰かがそう“書いた”から。
そして今、読んでいる“あなた”が――次の章の“主人公”になる。




