《記録者YUN》―言葉を書き記すという罪
書くとは、定めること。
しかし“森”においては、定められた瞬間からその言葉は裏返る。
YUNはかつてそれを知っていた。
そして書いた。
まだ“誰も存在しなかった未来”の物語を――。
森の奥。
ノアは“記録の神殿”と呼ばれる場所に辿り着いた。
入口はなく、壁も扉もない。
ただ、空間そのものが言葉で構成されているような場所。
一歩踏み込むたびに、目の前に文字が浮かび、消える。
『彼はこの空間に入ったことを後悔している』
『この一歩の先で、彼は“過去の未来”を読む』
『だがその記録は、誰かに書かせられたものだった』
ノアは震えた。
書かせられた? 誰に?
それが“自分自身”ではないと、どうして言える?
⸻
■YUNの記録帳
中央に一冊の書物があった。
それは本ではなく、“厚みのない光の帳面”。
ノアが触れた瞬間、浮かんだ文字はこう記していた。
『YUN、記録者。
名を持たぬ時代に生まれ、言葉のない世界に生きた。
彼女は“存在する前の誰か”の記録を書き始めた』
『それはまだ起きていない事件。
存在しない生の記録。
誰にも見えない魂の観察録』
『彼女は、まだ知らない。
自分が記録していたのは――“ノア”自身の輪郭だったことを』
ノアは息を呑んだ。
この森に来る前の自分のことが、ここに“詳細に”書かれている。
しかも、記憶していなかったことまでも。
たとえば、母が泣いていた夜の色。
もう一人の姉がいたこと。
少年期に“誰かを殺した”可能性――
「……これは、嘘か? それとも“記憶の反射”?」
ノアの声に、帳面は答えない。
だが最後に、こう記されていた。
『ノアは、これを読んだ瞬間に、自分の“記憶”が嘘だと気づく。
それは“YUNの罠”ではない。
ただ、言葉が**“定義”してしまった罰**なのだ』
⸻
■記録と存在の逆転現象
突然、森の空が“逆回転”し始めた。
太陽が沈みながら昇り、空が海のように下から揺れる。
ノアの体が引き剥がされるように浮かび、記録されたページへと吸い込まれていく。
そこに現れたのは――まだ幼いYUNだった。
そして彼女はこう言った。
「ねぇ、記録って何だと思う?」
「私は昔、“君の人生”を勝手に想像して書いてたの。
孤独だったから。誰にも話しかけられなかったから」
「そしたらね……ある日、森が君を呼んだの」
ノア:「つまり……僕は、“君の孤独”の産物?」
YUN:「ううん。私は“君の未来”を見ていたのよ」
YUN:「でも、それを“私の過去”として書いてしまった」
YUN:「……だから、君は“存在しなければならなくなった”」
ノアは気づく。
この会話もまた、“記録”の一部である可能性を――
「……このやり取りすら、“読まれている”?」
その瞬間、空間の端がめくれた。
まるで物語の“ページ”であるかのように。
物語は、読まれた瞬間に現実となり、
現実は、記録された瞬間に“虚構”へと堕ちる。
YUNは記録者ではない。
彼女は“虚構を産む者”であり、
ノアは“虚構から抜け出そうとする者”であり、
森は“それを許さない舞台”である。
つまりこの物語には、出口など最初から存在しない。




