《幻像たちの午前0時》―集まる者たち
ここは、すべての“逃避”が最終的に辿り着く場所。
現実から抜け落ちた者たちが、
一人、また一人とこの“森”に現れる。
彼らはそれぞれの物語を語る。
……だが、すべての“語り”には、
本当のことが、一つも含まれていない。
午前0時。
空は不自然に曇り、時間の感覚すら狂っていた。
ノアが焚き火のそばで目を覚ましたとき、
周囲には“見知らぬ者たち”が、すでに何人も腰を下ろしていた。
彼らは全員、バラバラの服装、バラバラの言語。
だが、共通して“森”を知っていた。
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■幻像1:ユリシス ―「未来から逃げた詩人」
銀髪の青年が語り始めた。
「俺は西暦2931年から来た。詩を書くことが禁止された世界だ」
「詩が“感情の発露”とされ、違法にされた時代――」
「だから、俺はこの森に逃げてきた」
「……だが、本当は、俺はその未来なんて知らない。
たぶん“詩が禁止されている”という妄想を抱いた患者だった」
語り終えると彼は笑う。
焚き火に手をかざし、詩の一片のような呟きを残した。
「言葉に逃げた者は、
言葉の中に“囚われる”しかないのさ」
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■幻像2:ハツカ ―「昭和という亡霊」
袴姿の少女は、炭のように黒い瞳でノアを見つめていた。
「私は昭和十一年、東京の浅草で焼け死んだ」
「死ぬ間際、“あの世”ではなく“ここ”に落ちてきたの」
「だけど、死んだ記憶は毎回違う」
「火事の日も違えば、名前も違うの」
「ねえ、私はいくつ死んだの?」
ノアは答えられなかった。
彼女の後ろに、焦げた人形がぶらさがっていたのに気づいたとき、
その人形が彼女の“記憶”か“代わり”だと直感した。
「私は、死んだことだけが“確か”なの。
それ以外の全部が、ウソなのよ」
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■幻像3:アミナ ―「記憶を食べる女」
次に現れたのは、全身をベールで包んだ中東風の女性。
彼女は自らを“記憶喰い”と名乗った。
「私は他人の記憶を食べることで、生きている」
「それは呪いであり、祝福でもあった」
「この森に来てからは……何も食べられなくなったわ」
「なぜなら、みんな“偽りの記憶”しか持ってないから」
彼女は、ノアに近づいた。
「あなたは違う。あなたは……記憶ではなく、“空白”そのもの」
「ねえ、あなたを食べさせて?」
ノアは思わず後ずさった。
だがそのとき、なぜか“食べられても構わない”という気持ちが、
心の奥にほんの少しだけ浮かんだ。
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■ノアの錯覚、深まる“視点の迷子”
幻像たちは焚き火を囲んで語り続ける。
その言葉の端々に、矛盾がある。
同じ日付を違う形で語ったり、同じ名前を違う人物が使っていたり。
ノアの頭は混乱した。
そして気づいた。
「……彼らの話、すべてに“自分の痕跡”が混じっている」
ユリシスが語った“詩”の一節は、
ノアが幼い頃に書いた詩と一致していた。
ハツカが言った“焦げた人形”は、
ノアが夢で見た“妹の代わり”だった。
アミナが呟いた言葉の調子は、
YUNと同じ、あのモノクロの記録の抑揚だった。
「……僕は、彼ら全員の記憶を“持っていた”?
それとも、僕が彼らを創ったのか……?」
この森にいる者たちは、
誰も自分のことを語れない。
なぜなら、“語る”という行為がすでに、
他人の記憶を模倣してしまう行為だから。
漆黒の森が暴くのは、
“語ること”そのものの矛盾だ。
自分を語ろうとした瞬間、
あなたはもう“あなた”じゃない。




