過去 : 裏切り 現在 : だから、こうする
○
ノーレは待っていた。
オンジの村の入り口を見ながら、待っていたのだ。
ノーレは十五歳になった。
運命が動き出す年だ。
ノーレはそう思っていた。
『ヴィクトガータ城を出発したら、オンジの村に迎えに行くから、待っていてほしい』
ウィルからの手紙には、そう書いてあった。
もうウィルはヴィクトガータ城を発ったはずだ。
盛大に行われた出発セレモニーの噂は、行商人伝いでオンジの村にも聞こえてきている。
少し、到着が遅くないか。
ノーレはそう思わないでもなかったが、あまり気にしていなかった。
ヴィクトガータ城からオンジの村までは遠い。
それに、ウィルは勇者として旅をしているのだから、立ち寄る先々で色々と面倒もあるだろう。
だから、自分を迎えにくるのに時間がかかるのは、仕方がないことなのだと、そう思っていたのだ。
村の入り口の方から、馬の足音と車輪の音がした。
ノーレはばっと立ち上がり目を凝らす。
そして、ふっと顔を曇らせた。
村に入ってきたのは行商人だ。
ウィルたちじゃない。
ガッカリしながらノーレが座り直した時だった。
「あぁ、お嬢さん。来る途中で手紙を預かったのだけどね、宿屋のノーレさんって娘はいるかい?」
「私が、ノーレです」
「おや! そうかい。じゃあこれね。確かに渡したからね」
にこやかな笑顔を浮かべた行商人はノーレに手紙を手渡すと、村の広場に向かって行った。
ノーレは手紙に視線を落とす。
都会らしい洒落た装飾の封筒。
くるりと裏返して差出人を確認する。
「あ」
ウィル。
何かトラブルでもあったのだろうか。
緊張する手でノーレはそっと封筒を開けた。
『ごめん』
その一行目を見て、ノーレはこの先に何が書かれているのかを察した。
察してしまった上で、勘違いであってくれと願った。
続きを読むのが怖かった。
『迎えに行くっていうのは嘘なんだ。
やっぱりノーレには危険すぎると思った。
魔族との戦いは、気持ちだけでどうにかなるものじゃないって、仲間たちにも叱られた。
実はさ、去年ザァドがノーレにきつい言葉をかけたやつ、作戦だったんだ。
ノーレが諦めてくれるように。
でも、俺が、ノーレがいてくれたら嬉しいって思ってしまったから、ノーレが来たがっているっていうのを言い訳にして、何度も説得に失敗したふりをした。
そのせいで、何年もノーレを縛ってしまったね。
本当にごめん。
実は、俺たちはオンジの村には向かっていないんだ。
きっと会ってしまったら、ノーレは無理矢理にでもついてきてしまうと思ったから。
騙してごめん。
ずっと俺のことを考えていてくれてありがとう。
世界の平和は俺たちが必ず守るから、どうかこれからは、オンジの村で穏やかに暮らしてほしい』
ノーレの手の中で、手紙がクシャリと音を立てた。
ノーレの唇から乾いた笑い声が漏れる。
「ふざけるな」
十歳の時から、ずっと。
ノーレはずっとウィルと戦えるように、努力してきた。
「私には危険すぎる?」
オンジの村には魔法を教えてくれる人はいないから、魔導書だけでノーレは必死に覚えた。
攻撃魔法も回復魔法も補助魔法も。
役立ちそうなものは片っ端から身につけた。
「気持ちだけでどうにかなるものじゃない?」
実践経験も積んできた。
村の周りに出る魔物を倒して、その素材を売って、ウィルに会いに行くための旅費も貯めた。
「世界の平和は俺たちが必ず守るから?」
ノーレは、突然重荷を背負わされたウィルの助けになりたかった。
一方的に助けられる存在には、なりたくなかった。
「ふざけるな。ふざけるなふざけるなふざけるな!」
ノーレは何度も伝えた。
ウィルと共に行きたいと。
そのための努力はずっとしていると。
もし危険な目にあったとしても、それは自分で選んだことだと。
「ずっと、そのことだけを考えてきたのに」
ポタリと垂れた雫が手紙に染みを作る。
とっくに乾き切っているインクは、滲むことなくそこにあった。
「私の気持ちも、努力も、交わした言葉も」
雲一つない澄み切った青空。
牛の鳴き声。
広場から聞こえる行商人と村人たちの賑わう声。
平和な村の中で、誰も聞いていない悲痛が生まれ落ちた。
「全部、踏み躙りやがった」
●
このダンスホールは三階分の高さがある。
しかし、現在はあまり広々としているようには見えない。
二階分の高さまで土でできた砦で埋まっているからだ。
二階建ての砦の屋上に、土でできた玉座が一つ。
少女が座るには大きすぎるそれは、デペンド用のものだ。
ノーレは、デペンドの座るその玉座の横からもたれかかり、背もたれに体重を預けていた。
「そろそろ、プロウが勇者の元へ辿り着くだろう。通信がつながったら、台本の通りに。覚悟はできているか?」
「はい。……デペンド様こそ、大丈夫なのですか?」
「うん?」
ノーレは、いつもより近い位置にあるデペンドの目を見つめながら続ける。
「勇者がまだ子どもであること、気にしていたでしょう? デペンド様、本当に殺せるのですか?」
デペンドはちらりとノーレの顔を見た。
そして、愉快なことを聞いたとばかりに笑い始めた。
「ははっ! 何だ、俺が、子どもは殺せないと思っているのか」
「優しい人だと、思っているだけです」
「ほう? だがな、俺は八武将、四天王の直属の精鋭で次期幹部候補の一人だ。今までに何人も殺している。今更躊躇などするものか。特に勇者相手などに」
「本当に?」
「くどい。勇者は殺す。当然だろう」
ふと、デペンドの視線が手元の鏡に移される。
「映像通信鏡を使うのは初めてか?」
「はい。人間の間には出回っていないから」
「そうか。今、プロウから連絡が入った。こちらの準備が良ければ、勇者と接触するらしい。大丈夫か?」
「いつでも」
デペンドが鏡に向かって一言声をかける。
鏡からはプロウが了解する声が返ってきた。
そしてしばらくの沈黙。
やがて鏡が光を放ち、ノーレとデペンドの前に映像を映し出した。
「ノ、ノーレ……まさか、本当に……」
ノーレはぎゅっと口を引き結ぶ。
久しぶりに見るウィルは少し顔つきが鋭くなったように感じられ、自分が知らない時間がウィルには流れたのだと、思い知らされるようだった。
「ウィル、久しぶり。ねぇ、私を置き去りにしてから、もう一年が経ったね。楽しかった?」
「ノーレ、俺は!」
「手紙、読んだよ」
映像越しに見るウィルの顔は、悲壮感にあふれていた。
それをノーレも悲しそうに見つめる。
「あんな紙切れ一枚で私が納得すると思った? ねぇ、私、ずっとウィルのために努力し続けてきたのに、どうしてそれを無視するの」
「ノーレ、聞いてくれ! この旅は本当に危険で」
「サーシャやザァドは連れて行くのに。彼らは危険な目に合っても良いの?」
「そういうわけじゃない! 彼らは選抜された人間で、特別な修行を一緒にこなしてきたんだ! 魔王軍相手でも、十分戦えるから」
「私は? 私は戦えないとでも?」
ノーレの目がすっと細められる。
それを見て、ウィルはノーレを怒らせてしまったことを悟った。
「ウィルは、オンジの村に来なかった。だから、私の修行の成果も見ていない。それなのに、決めつけて。ねぇ、私、ずっと待っていたのに」
「ノーレ」
「十歳の時から、ずっとウィルと戦うためだけに、努力し続けてきた。それなのに、ウィルは私のこと、足手まといだって決めつけて、置いていった。私、許せない。私の力を見せつけて、私を置いていったのは間違いだったって、証明しないと気が済まない。だから、だからねウィル」
ノーレが突然、玉座にもたれかかっていた体を起こし、後ろに跳んだ。
「だから、こうする」
デペンドが座っている玉座の、真下の床に穴が開いた。
「は?」
空中に放り出されたデペンドと、安全な場所に立つノーレの視線が絡む。
「デペンド様!」
プロウの叫び声を最後に、映像通信が切れた。