過去 : 自分で決めたこと
「ねぇノーレ。無理しなくて良いんだよ?」
ウィルの言葉の意図が掴めず、ノーレはクリームパスタを巻き取る手を止めた。
「何が?」
「だってノーレ、ザァドに散々言われていたでしょ? 嫌じゃなかった?」
ウィルはハンバーグに手をつけないまま、まっすぐにノーレを見ている。
これは雑談ではなく、真剣な話だ。
そうノーレは思った。
「……悔しかった。でも、薄々わかっていたことでもあったから、はっきり言ってもらえてよかったとも思う」
十四歳にとっての四年は長い。
その間ずっと続けてきた努力の成果を否定されたのは、当然ノーレにとって辛い出来事だ。
だが、だからといって拗ねている時間はノーレには残されていなかった。
魔王復活まで、あと一年しかないのだから。
「……諦めてもいいんだよ」
「何を?」
「魔王討伐の旅についてくるのを」
ノーレは形の良い眉をひそめて、ウィルの金色のたれ目を見た。
「諦めないけど」
「でも」
「ウィルは、私がついてくるの、嫌なの?」
ウィルは口を開きかけ、そして、一度閉じた。
目を伏せ、ゆっくりと瞬きをする。
ノーレはせかさなかった。
ウィルの中で、ウィルの気持ちが言葉になるのをじっと待っていた。
「……嫌なわけじゃない。俺は、小さい頃はしょっちゅうノーレに助けられていて、だから、ノーレがついて来てくれるなら、すごくうれしいし心強いよ」
「うん」
「でも、でもさ……」
ウィルのハンバーグからは湯気が消えていた。
しかし、そんなことは二人とも気にしない。
ただ、ぽつりぽつりと話すウィルの声だけが流れて行く。
「……やっぱり、俺のせいでノーレが辛い目に遭うのは、嫌だよ」
変わらないな。
そうノーレは思う。
一人で眠れず泣いていたあの頃と、ウィルは変わっていない。
ウィルのお母さんが亡くなったのは、ウィルのせいじゃない。
それでも、近くにいたというだけで、責任を感じて。
「もし、私が怪我をしたり、死んじゃったりしても、それは私が選んだ道。ウィルのせいじゃない」
ノーレは知っている。
ウィルの鞄には、幼いころノーレが渡したお守りが、未だに入っていること。
それがないと、暗闇が怖いこと。
ウィルは、人間離れした最強の勇者様ではないということ。
「私のことは私の責任。ウィル、勝手に取らないで」
だからノーレはウィルのそばにいたいのだ。
魔王討伐の旅なんて、苦しいこともたくさんあるに決まっている。
ウィルは、世界中の人に助けを求められていて、きっと救いきれずに、取りこぼしてしまうこともあるだろう。
ノーレはそれも仕方ないことだと思うけれど、きっとウィルは律儀に傷ついてしまうから。
そんな時にまた悪夢を蹴散らせに行けるように、ウィルのそばにいたい。
それがノーレの想いだった。
「……でも、ノーレがそれを選んだのは、俺のためだから、やっぱり俺のせいだよ」
「私の意志だって、前にも言った。……そうだ。それなら、ウィルが安全なところにいれば良い。魔王討伐の旅なんかに出ないでさ。それなら私も危ないことしない」
ウィルはばっと顔を上げた。
目は見開かれ、口は半開きになっている。
その頬を汗が一筋流れた。
「そ、それはできないよ」
「どうして? だってウィルは、望んで勇者になったわけじゃない。勝手に選ばれただけ。だったら、そんな理不尽、知らないって突っぱねちゃえば良い」
ウィルは喉の渇きを覚え、水を手に取った。
そのひんやりとした感触に、少し冷静になる。
水を一口分だけ飲み込んで、ウィルは口を開いた。
「確かに、初めは、なんで俺がって思っていたよ。でも、もう四年も経っている。その間にいろんな人に会って、あぁ、この人たちを守るために戦うんだったら、頑張りたいって今は思っているんだ」
ウィルは優し気な笑みを浮かべていた。
それを見てノーレも顔の力を抜く。
年を重ねるごとにあまり表情を崩さなくなったノーレには珍しい、柔らかい笑顔だった。
「そっか」
「でも、ノーレは違うだろ?」
「え?」
「ノーレは正直、人々を守りたいなんて、思っていないだろ? 勇者が俺じゃなかったら、魔王との戦いになんて、絶対参加しようと思うタイプじゃない」
「そう?」
「だってノーレは、薄っすらと人間全体が嫌い……ちょっと違うか、無関心? うーん、大切な人だけ大切にする? そんな感じじゃないか」
「うん」
「全人類の平和のためなんて、そんな動機で動く気はないでしょ?」
「そうだよ」
「だから、ノーレがこんな危険なことをしようとしているのは、全部俺のためなんだよね?」
「そう……かな?」
「じゃあ、やっぱり俺のせいでノーレが危ない目に」
「話、最初に戻った?」
「戻るも何も、ずっとその話だよ」
ノーレがいつも通りの無表情に戻り、すっとウィルの方へ腕を伸ばした。
ウィルは警戒しない。
ノーレの手が自分を傷つけることはないと信じ切っているのだ。
ノーレの細い指がウィルの額を突いた。
「もう諦めて、ウィル」
「え?」
「『ノーレがついて来てくれるなら、すごくうれしいし心強い』って、もうウィルは言っちゃったんだから」
「あ」
ノーレの目がすっと細められる。
それを見たウィルの口元が引きつった。
「何を言っても無駄。私は、私の意志で、ウィルについていく。嬉しいって言葉を聞いた以上、もうこの決意は変えてあげない」
「ノーレ」
「聞かない」
「ノーレは強くないんだから」
「聞かないったら」
ノーレは、すっかり冷めてソースが固まっているパスタを無理やり巻き取り、口に放り込む。
それを見たウィルもハンバーグにナイフを入れる。
中に入っていたチーズは流れ出すことなく、塊のまま真っすぐ切られた。