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現在 : 北の地へ 過去 : 赤いリボン


 魔王の治める国は世界の最北にある。

 ノーレはプロウに連れられ、遠い遠い北の地にある屋敷に来ていた。


 長い長い廊下を歩く。

 田舎育ちのノーレには廊下に飾られた壺や絵画が賞賛すべき高級品なのか、それとも成金趣味なのか、そういったことの区別がつかなかったが、とりあえず派手だと感じていた。


「それにしても、意外でした」


「何が」


 つるつるの床に踵を打ち付けながらノーレの少し前を歩いていたプロウの束ねられた後ろ髪が左右に揺れる。


「こんなあっさりと、こちらに寝返ってくれることが、ですよ。勇者くんに複雑な思いを抱えているだろうとは思っていましたが、『人間全体』を裏切る決断を、ずいぶんと簡単に固めましたね?」


「人間全体って何?」


「おや、魔族側につくということは、そういうことでしょう?」


 ノーレは頬に手を当てた。


「そう、だけど。でもそんな人間全体とかなんとか言われても、ピンとこない」


「こないんですか?」


 プロウは首だけで振り返りノーレの顔を見る。

 ノーレは何でもない顔で応えた。


「だって、それって大半が知らない人だし。世界に、たくさん人間がいることは知っているけれど、私とは関係がない人たちでしょ。『私の世界』はもっと狭くて、その中心にいた幼馴染が、私を裏切ったの」


「知らない人のことは知らない、と」


「だって知らないもの」


 プロウは足を止めてノーレの顔を見つめる。

 ノーレは急に立ち止まったプロウに不思議そうな顔をするだけだった。

 それを見たプロウは愉快そうに喉を鳴らして再び歩き始める。


「勇者の仲間になろうとした人の言うこととは思えない、実に冷たい考えですね」


「おかしい?」


「いいえ? 見ず知らずの他人のために命を懸けて戦おうとするより、よっぽど理解できる考えだと私は思いますよ」


 よくわからない形をした壺を眺めながら歩くノーレにプロウはさらに尋ねる。


「でも、『知らない人』以外はどうなのです? ほら、勇者くん以外の知人もいるでしょう?」


「あなたも言ったでしょ。『随分と、勝手なことを言いますよね』って」


「だから、どうでも良い、と?」


「その一件だけじゃないけど、まぁ、いろいろ」


「なるほど」


 プロウは一つの扉の前で立ち止まり、ノーレに向き合う。


「さて、ノーレさん。今日からここがあなたの部屋です。そうだ、せっかくですから、新しい服も用意しますよ。その田舎臭いチュニックは、あなたには似合わないと思っていたんです」


 ノーレは自分の服を見下ろす。

 麻でできた色褪せたチュニックに黒いスパッツ。

 確かに、おしゃれではない。

 ウエストに巻いたベルトについた、赤いリボンと金属の花と小さな石でできた飾りだけが華やかで、かえってその鮮やかさが浮いていた。


「ノーレさんは肌が白いから、黒のワンピースなどがよく映えると思うのですが、いかがです? 好きな色があれば差し色にすることもできますよ」


「なんか、楽しんでる?」


「違いますよ。あなたには、私の主と顔合わせをしてもらいますからね。下手な恰好をしていてもらっては困ります」


「女性のファッションに興味があるわけではない?」


「ありませんよ」


 それにしては随分とノリノリだったなとノーレは思ったが黙っておいた。


「それで、何かご希望は?」


「動きやすければなんでも。……あぁ、でも」


 ノーレは自分の水色の前髪を指先でいじった。


「髪留めは、赤がいい」



 乗合馬車は随分と揺れる。

 石を踏んだのか、またガタンと大きく上下し、ノーレは腰をぶって顔をしかめた。


 一緒に乗っている大人たちは、たった十二歳の子どもが一人で乗っていることを気にして、ノーレをちらちらと見ている。


「もうすぐヴィクトガータ城下町に着くよ!」


 それを聞いたノーレは痛くなった腰にそっと回復魔法をかける。

 遠路はるばるやってきたのに体が痛くて動けないのではたまったものではない。


 やがて止まった馬車から降りて、ノーレは凝り固まった体を伸ばす。

 そして鞄から一通の手紙を取り出した。


『ヴィクトガータ城 ウィル』


 ノーレは今日、勇者に選ばれ村を出ていった幼馴染に会いに来たのだ。




 ノーレとウィルが十歳の時、平和を司る女神から預言があったという情報が、オンジの村にまで届いた。


『五年後』『魔王の復活』『勇者』『十歳』


 五年後に魔王が復活する。

 しかし、勇者もすでに誕生しており、現在十歳である。

 そう知った各国の王はお触れを出した。

 十歳の子どもは聖都を訪れ、勇者にしか抜けないという勇者の剣を抜くこと。


 ノーレとウィルも訪れた。

 二人は自分が勇者だとは微塵も思っていなかった。

 この世に十歳の子どもが一体何人いると思っているのか。

 自分たちは念のため試すだけ。

 勇者などという特別な存在は、こんなただの田舎の子どもではなく、王族とか、聖職者の子とか、いつの間にか教会の前にいた赤ん坊とか、とにかく特別な存在だろうと思っていたのだ。


 気軽に触って、ノーレには抜けなくて、笑いながらウィルを促した。

 二人とも、まさか、抜けるなんて思っていなかった。


 聖都の人たちの祝福。

 救世の勇者の誕生。

 世界の希望。


 記念すべき瞬間に、当の勇者様は怯えて泣いていた。

 少年の細い肩には世界の命運は重すぎて、過酷になることが決められている運命を背負わされて、ウィルの唇は真っ青になっていた。


 なんで、とノーレは思った。

 どうして平和の女神様はウィルにこんなものを背負わせるの、とそう思うと悔しかった。

 ウィルはただ心優しいだけの、どこにでもいる子なのに。

 ゆっくりと村の中で育ってきた子なのに。


 ウィルがノーレの名前を呼んだ。

 震える声で、ノーレの名前を呼んだのだ。

 それだけで、ノーレは覚悟を決めた。


 ウィルが遠い世界に連れていかれてしまうのならば、せめて自分も共に行くのだ、と。




 広場の噴水。

 ここが待ち合わせ場所だったはずだと、ノーレは再度手紙を確認する。


「……よし」


 少し早めに来てしまったノーレはそのまま手紙を読み返す。

 手紙の中の一人称はいつの間にか『俺』になっていて、それがどうにもノーレの中で馴染まない。

 ウィルは随分と元気にやっているようだ。

 村を離れた直後に書かれた手紙には、弱音や寂しいと言った言葉が目立ったが、最近は登場人物も増え、楽しかったことや嬉しかったことが多くなっている。


 本当は、ノーレはもっと早く訪れたかったのだ。

 辛い気持ちが手紙に綴られている頃に、ウィルを抱きしめに行きたかった。

 でも、オンジの村からヴィクトガータ城までは遠くて、旅費を貯めるのにこんなにも時間がかかってしまった。


「……ノーレ?」


 聞き覚えのない声で名前を呼ばれ、ノーレははじかれたように顔を上げる。


 桃色の髪、金色のたれ目。

 ノーレは瞬間的に己の幼馴染だと判断した。

 一瞬で、心はそう判断したのだけど、頭が本当にそうかとささやいた。

 ノーレの幼馴染は、おしゃれにまったく興味を持っていなかったはずだった。

 それなのに目の前の男は前髪を半分だけ掻き上げたような、人工的にセットされた髪型をしていた。

 身長も伸びて、声も違う。


「ウィル……?」


「うん。久しぶり」


 へにゃりと笑う顔は、昔のままで、ノーレはようやく安心した。


「声変りしたね。誰かと思った」


「もう十二歳だからね。早めかもしれないけど、まぁ普通だよ」


「そう」


 ウィルはニコニコしながら通りを指さした。


「本屋に行きたいって手紙には書いてあったけど、変わってない?」


「うん。やっぱり行商人が持ってくるやつだけだと、物足りなくて」


「へぇ。ちなみに何買うの?」


「土魔法基礎と応用魔術のすすめ」


「相変わらず、魔法が好きだね」


 そう言ってから、何かおかしなことに気づいたように、ウィルはキュッと口をすぼめて首を傾げた。


「……本二冊のために、わざわざこんな遠くまで? すごくお金かかったでしょ?」


「何言っているの。本はついで」


 ノーレは伸ばした指で、ウィルの固くなった頬をつつく。


「私はウィルに会いに来たの」


 ウィルはすぼめていた唇をゆるゆるとほどいて、ほにゃほにゃと笑った。


「そんなこと言われたら、あちこち連れまわしちゃうよ」


「うん。いろんなとこ、教えて」


 ウィルは昔のようにノーレの手を取って引っ張った。


「じゃあまずは本屋だね! 行こう!」




 ウィルの左手にはいくつかの袋、右手には牛肉の串焼きを持っていた。

 ノーレは荷物を取り上げられて両手が開いたので、遠慮なく右手にスプーン、左手に瓶に入ったプリンを持った。


「それにしても、どうやってお金貯めたの? オンジの村からここまで遠いし」


「魔物を倒して、素材を売ったの」


「……魔物?」


「うん。下級魔物だから安いし、貯めるのにすごく時間がかかっちゃった」


「待って?」


 立ち止まったウィルの口から肉がひとかけら零れ落ちる。

 それを見てノーレも歩みを止めた。


「魔物? 戦ったの?」


「うん」


「あ、危ないよ!」


「え」


 たれのついたウィルの顔を見ながらノーレは掬い上げたプリンをいったん瓶の中に戻す。


「ウィルも、戦っているでしょ? 手紙に書いてあった」


「だって、俺は勇者だし、それに、訓練の時は熟練の騎士がサポートしてくれる。俺は、安全に経験を積んでいるんだ。でも、オンジの村じゃ、そんなことできないだろ?」


「でも、あと三年しかない」


 結露した雫が、プリンの瓶から指、手首と伝う。


「私は、ウィルと一緒に、魔王討伐の旅に出るの。だから、ウィルがヴィクトガータ城で努力しているみたいに、私も努力しないと」


 ウィルの喉から、ヒュッと空気が吸い込まれる音がした。


「……ごめん」


「何が」


「俺が、喜んだからだよね」


 串焼きを持った腕が、だらりと下げられた。

 それを見たノーレは、服が汚れてしまいそうだなと、そう思った。


「俺、急に勇者だなんて言われて、怖くて、それで、ノーレが一緒に来てくれるって言ってくれて、すごく安心した。でも……」


「ウィル、肉、落ちそう」


「俺、間違っていた。こんな危険なものに、ノーレを巻き込んじゃ駄目なんだ。特別でも何でもない、専門的な訓練を受けてもいないノーレを、巻き込んじゃ……」


「ウィル」


 ボトリと、串から肉が抜け落ちた。

 たれが糸を引いて、やがてウィルの靴に緩やかに線を描いた。


「ふざけないで。私は巻き込まれたんじゃない」


「でも」


「私が決めたの。私はとっくに決めているの」


「だって、危険だよ」


「ウィルだって危険でしょ」


「でも、俺は勇者だ」


「知らない」


 ノーレははっきりと言った。


「勇者だの使命だの運命だの、そんなの知らない。私は、私が行きたいからウィルと一緒に行くの」


「でも……!」


 開いたウィルの口に、ノーレはスプーンを突っ込んだ。

 ウィルの口の中に濃厚な甘みが広がる。


「今更拒まないで。私、もう二年間も魔法の修行ばかりしてきたんだから。その努力を、私の覚悟を無駄にしたら許さない」


 ノーレはウィルの口からスプーンを引っこ抜くと、水色の髪を揺らして再び歩き出した。


「次、真っすぐ?」


「あ、うん。そのまま」


 何事もなかったかのように前に進むノーレの背中を、ウィルは慌てて追いかけた。




 白とピンク、ときおり金。

 二人はそんな内装の可愛らしいアクセサリーショップに来ていた。

 店内にいるのは若い女性ばかり。

 皆都会らしくおしゃれな服装をしている。


 ノーレは一瞬、自分の服装は田舎者臭くて、店内では浮くのではないかと考えた。

 だが、次の瞬間どうでも良いかと思い直した。


「ウィル……ここに何の用が?」


「婚約者にプレゼントを買いたいんだ。一緒に選んでくれる?」


「婚約者……あぁ、この国のお姫様?」


「そう!」


 ノーレは手紙の内容を思い出す。

 初めて婚約者の話が書かれた手紙では、突然できた婚約者にウィルはひどく困惑していた。

 だが、次の手紙からはその婚約者をほめる言葉が多く書かれていた。


「俺は、エイミー姫のことを好きになったけれど、姫は俺のこと、政略結婚の相手としか思っていないだろうから。ちゃんと口説きたいんだ」


「それでプレゼント?」


「そうなんだよ。なぁノーレ、どれが良いと思う?」


 ノーレは棚に並んだ品々を眺める。

 どれもキラキラしていて可愛らしい。

 だが、見たこともない女性に似合うものと言われても、ノーレには判断ができなかった。


「姫様はどんな方なの?」


「とてもお優しい方なんだ。急に城に来て礼儀も何もわからない俺にも、優しく教えてくれて」


「ゴメン、見た目の話」


「あぁ!」


 ウィルは目を閉じて少し考えた。


「何と言っても、美しい金の髪だな。艶やかで、色も輝きも、まるで太陽のようなんだ」


「太陽」


 太陽の色を『赤』だと表現するのはオンジの村付近の風習である。

 世間一般で言えば太陽の色は黄色である。

 それはノーレも知っていたが、それでもノーレにとって太陽の色は赤だった。

 そして、当然ウィルにとってもそうだと……。


「……だったら、髪とか顔周りのアクセサリーは金細工は避けた方が良いと思う。髪色と同じだと映えないから」


「じゃあ青にしようかな。姫の瞳の色なんだ」


 そう言いながらウィルは銀細工に青い宝石がはめ込まれた髪飾りと、他の商品をもう一つ手に取りお金とともに店員に渡した。


「ウィル?」


「はい、おつりね」


「ありがとうございます」


 商品を受け取ったウィルはくるりとノーレの方を向いた。


「これ、ノーレに! こんな遠くまで会いに来てくれたお礼!」


「あ、ありがとう」


 金細工の花に小さな青い石、そして高級感のある布で作られた大きな赤いリボンが特徴のアクセサリーだった。

 後ろには取り外し可能な金具が複数ついており、ブローチにするもよし、キーホルダーにするもよし、様々な用途に対応していると説明書きがついていた。


 ノーレはウエストを絞っていたベルトに輪っか状の金具を通した。


「似合っているよ」


「ありがとう。……ねぇ、どうして赤いリボンを選んだの?」


 ノーレは、かつて赤いリボンをくれた時と同じ理由を期待していた。


「だって、ノーレは赤が好きでしょ? よく選んでいるから」


「……そうだね。私は赤が好き」


 そうなったきっかけを、ウィルはもう覚えていないみたいだけど。

 そう、ノーレは心の中で呟いた。


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