現在:勧誘 過去:太陽の色
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「あなたは勇者を恨んでいるでしょう?」
鬱蒼と茂る森の中、至近距離にあるノーレの顔を見て、プロウはにこりと笑う。
ノーレは何とか笑い飛ばそうとして失敗したように、唇をいびつに歪ませていた。
「……違う」
「違うんですか?」
「私、幼馴染で、仲良しだったもの。恨んでなんか」
「仲良しだった、ですか」
プロウは笑い声を漏らす。
それを聞いたノーレは何がおかしいと言わんばかりに眉をしかめた。
「過去形、ですね」
「え」
「今は、仲良しじゃないんですか?」
「……毒液!」
ノーレの手に怪しげな色をした液体が出現する。
それをプロウの顔面にぶつけようとしたところでプロウはノーレから離れた。
毒液は少し先の地面の色を変えながら浸みこんでいった。
「……ただの言葉の綾。不仲になんて、なっていない」
「その割には過剰な反応をしますねぇ」
プロウは眼鏡を押し上げ、前髪を払った。
「……先日、あなたの部屋を見させていただきました」
「それはシンプルに最低では?」
「そこは申し訳ありません」
一切申し訳なさを感じていなさそうな声でプロウが応える。
「あなたの本棚、とても興味深かったですよ。定番の攻撃魔法の魔導書から補助に特化した魔導書、回復魔法のものもありましたね。更には食べられる野草図鑑に魔物図鑑、サバイバル入門なんてものもありました」
ノーレの長いまつ毛に覆われた瞼がゆっくりと上下する。
人によってはきつい印象を感じることもあるつり目気味の目が不愉快そうに細められた。
「冒険の旅にでも出るつもりだったんですか?」
「それが何」
プロウはうっすらと目を開け、ゆっくりと首を傾けた。
「おかしいですねぇ。それなら何故、あなたはまだこの村にいるのです?」
ノーレは答えない。
翠の瞳でまっすぐ敵を睨み続けている。
「……あなたは、誰と冒険をしたかったのですか?」
ノーレは不快さを隠すことなく堂々と舌打ちをした。
「ひと月も家にいたんだから、どうせ誰かから聞いているでしょ? どうして私の口から言わせようとするの」
「これは失礼」
一方でプロウはどこまでも愉快そうに笑っていた。
「あなたは、勇者と共に戦おうとした。それなのに……あなたは今もここにいる。そうですね?」
二人の間をじんわりと湿った風が横切る。
ノーレは己を落ち着かせようと、頭の後ろを泳ぐリボンの端を握った。
「私の、安全のため。私を、危険な目に遭わせたくないから、あいつは私を置いていったの。これはあいつの思いやりだから」
「それは、あなたの言葉ではないでしょう?」
プロウの靴が柔らかな地面を踏みしめる。
「近づかないで」
「村の人たちから、その言葉は聞きました。勇者ウィルは幼馴染を大切に思っているから、危険な旅には連れて行かなかったのだと」
「ねぇ、止まって」
「ノーレは『村娘にしては』魔法が得意だけど、選ばれし勇者御一行になれるほどではない」
「止まってったら」
「危険な旅になんて、出なくてよかった。ノーレもそんな夢は忘れて、ちゃんと将来のことを考えないといけない時だ」
二人の距離はもう一メートルほどしか残っていなかった。
ノーレは高い位置にある相手の顔を睨みつけ、いつでも攻撃に移れるよう手のひらに魔力を集中させる。
その瞬間、面白がるような笑みが、プロウの顔から消えた。
「随分と、勝手なことを言いますよね」
突如向けられた真剣な表情にノーレは面食らう。
木々が風で揺れて木漏れ日がゆらゆらと照らす位置を変えた。
「本棚に詰め込まれたあなたの努力は、勇者を支えたいと願ったあなたの気持ちは、そんな簡単に無視して良いものではないでしょう?」
プロウの緑色の手がノーレの頬に添えられる。
ノーレは、身動きをせずに、じっとプロウの眼鏡の奥を見つめていた。
「あなたのその怒りは正当なものですよ」
ノーレの頬に一粒の涙が零れた。
それをプロウはそっと拭う。
「思い知らせてやりましょう。あなたの努力を、時間を、意志をないがしろにし、見当違いな思いやりであなたを置いていった勇者くんに」
ノーレは、差し出されたプロウの手を取った。
○
ウィルがうなされることなく一人でも眠れるようになった頃、オンジの村に行商人が来た。
彼らは都会の商品を村に持ってくると共に、村の特産品である乳製品を買い取っていくのだ。
ノーレはウィルに誘われて、少ないお小遣いを握りしめ行商人の広げる商品を眺めていた。
「ねぇウィル、私魔導書見たい」
「えぇ~、じゃあ僕はあっち見てるよ」
ノーレは初めて自分の意志で夢渡りの魔法を選び、身に着けた。
今までは大人に言われて基本的な魔法を練習したことしかなかったが、この時ノーレは魔法の種類の多さ、複雑さを気に入ったのだ。
しかしノーレがこっそり自分の夢に侵入し、悪夢を消し飛ばしていたことを知らないウィルは、難しい勉強を喜々として行おうとしているノーレの気持ちがわからず、唇を尖らせて離れていった。
「お嬢ちゃん、魔法が好きなのかい?」
ノーレに声をかけたのは店番をしていた男だ。
各地を旅する行商人らしく、バランスよく筋肉がついた体をしている。
腰には、魔物に遭遇したときのためだろうか、剣をはいていた。
ノーレはうなずいて手に握ったお小遣いを行商人に見せる。
「これで買える魔導書はありますか?」
行商人は困ったように笑う。
「お嬢ちゃん、魔導書っていうのは専門書だからね、どうしても他の本より高くなってしまうんだ」
ノーレは手を引っ込めた。
「あぁ、でもこれはどうだい? 魔導書ではないけれど、『世界魔法図鑑』! この世にはどんな魔法があるのか、将来何になりたくてどんな魔法を身に着けたいのか、そういうことをこの本で考えてから、本当に必要な魔導書だけ買うのがいいんじゃないかな?」
「じゃあ……それ買います」
「まいど」
ノーレは再び握っていたお小遣いを差し出す。
行商人の男はそれを受け取り、ほんの少しのおつりと分厚い本を手渡した。
「売っておいてなんだけど、お嬢ちゃんには、まだ難しかったかもしれないな」
「大丈夫です。私、大人に魔導書を借りて、魔法を覚えたこともあります」
「ははっ! それはすごい!」
本気にしていなさそうな声で行商人が笑う。
そんな行商人に離れたところからウィルが声をかけた。
「おじさーん! これください!」
「今行くよ!」
ウィルの近くにも人がいたが、彼はどうやら護衛であり、商人ではないらしかった。
ウィルの方まで近づいていった行商人を目で追い、ノーレは首を傾げる。
ウィルがいるのはアクセサリーが広げられている場所ではないだろうか。
もちろん少年がアクセサリーを買わないというわけではないが、ノーレはウィルがおしゃれを気にしているところを見たことがなかった。
「ノーレも、買い物終わった?」
「うん。ウィルは何を買ったの?」
その言葉を聞いてウィルはにんまりと笑う。
そして後ろ手に持っていたものをノーレの目の前に突き付けた。
「じゃーん!」
「……リボン?」
ウィルが持っていたのはシンプルな赤いリボンだった。
髪飾りとして使うものだろうとノーレは思ったが、ウィルの髪は長くない。
ノーレは不思議そうにウィルの顔を見た。
「その、さ。これ、ノーレに似合うと思って。お礼だから、受け取ってよ」
「お礼?」
「ほら……僕が一人で眠れなかった間、一緒に寝てくれたでしょ?」
「……怖い本を読んだからだよ」
「いいからいいから! 後ろ向いて?」
ウィルはノーレの後頭部に手を伸ばす。
一つにくくられた髪の根元に赤いリボンをひと巻きし、ちょうちょ結びにしようとした。
「……? できた!」
そのリボンは左右のバランスが崩れていたし、縦結びになっていたけれど、ウィルは満足そうに笑った。
「僕、ずっと、ノーレの髪は青空みたいだって思っていたんだ! だから、きっと太陽の赤が似合うだろうなって!」
太陽の色を『赤』だと表現するのはオンジの村付近の風習である。
世間一般で言えば太陽の色は黄色である。
それはウィルも知っていたが、それでもウィルにとって太陽の色は赤だった。
そして、当然ノーレにとってもそうだと思っていた。
「坊主、リボン結ぶの下手くそだな。俺が直してやろうか?」
行商人の男が声をかけるが、ノーレはそれを断った。
「いいの。このままで」
そしてウィルにとびっきりの笑顔を向ける。
「ありがとう。大切にする」