現在 : 答え合わせ
轟音が止み、ダンスホールの中に静けさが訪れる。
先ほどまであったはずの砦は見る影もない。
存在するのは巨大な瓦礫の山のみ。
ダンスホールの中で動くものがいなくなってから、数秒ほど経っただろうか、瓦礫の山の中心から、光が漏れ、大爆発が起きた。
瓦礫の山が吹き飛び、ダンスホールもまた吹き飛ぶ。
デペンドの魔法だ。
デペンドはふらつく足で壁のなくなったダンスホールから脱出しようとする。
崩れていくダンスホールの瓦礫が時折頭や肩に当たるが、デペンドはそれを気にする余裕がない。
この建物が崩れ切る前に外に出ることが何よりも優先だった。
デペンドは根性だけで足を動かし、何とか外まで出る。
それと同時に、後ろでついに耐え切れず、天井ごと建物が崩れる音がした。
振り返ると屋敷の半分ほどが崩れ落ちている。
自分の魔法がしたことだが、それなりに気に入っていただけに残念でならなかった。
頭がクラリとして、デペンドはふらつく。
ご丁寧にも、砦の壁の中には、殺傷力が上がるよう、金属片や刃などが仕込まれていたらしい。
砦が爆散した際に、それらもまたデペンドに突き刺さったのだ。
デペンドは苛立ちに任せて、太ももに突き刺さったままだった刃を引き抜く。
「だが、ノーレは死んだはずだ」
デペンドがこれだけぼろぼろになっているのだ。
人間の魔法使いが生きているはずがないとデペンドは思った。
ぐらりと視界が傾く。
デペンドの体が倒れていっているのだ。
「……毒、か」
デペンドにとって、毒によるダメージは大したことがないはずだった。
しかし、これだけ大きなダメージを受けている現在のデペンドにとっては、その些細なはずの追加ダメージが命取りだった。
地面に倒れ伏したデペンドは、荒い息を吐きながら、笑った。
自分はまだ生きている。
もう動けないが、生きているのだ。
あれだけ派手な爆発を起こしたのだから、おそらく優秀な部下が様子を見に来るだろう。
そいつに回復魔法使いを呼んでもらえば良い。
それまで、毒のダメージに耐えきれば完全に自分の勝ちだ。
地面に倒れ伏したまま毒に耐えるデペンドの耳が、かすかな音を捕えた。
部下が来たのか。
デペンドは痛みが引き始めた目でそちらをちらりと見、そして大きく目を見開いた。
水色の髪、黒のワンピース。
赤い髪留めの飾りを風に揺らしながら、そこには少女が立っていた。
「な、何故……あの爆発で……無傷なんだ……」
「まだ、息がある?」
ノーレは近づいてこない。
デペンドの腕が届かない位置からとどめを刺そうと、手のひらに炎を出現させる。
「どうやって……どんな魔法で防いだと言うのだ……」
「防いでない。そもそも、私は外にいたから」
「は? ……馬鹿な……お前の姿を、確かに……」
デペンドはノーレが砦の中に入っていくのを見ている。
だからこそ、罠だとわかっていてなお、デペンドは砦に入ったのだ。
「私は最近、空間魔法を練習していた」
ノーレはたっぷり時間をかけて砦を作り上げた。
もちろん、ノーレの魔法の威力が低いことも理由の一つだが、それ以上に、空間魔法の練習時間を確保することが目的だったのだ。
「私はもう、魔法陣なしで空間転移が使える」
デペンドは理解した。
空間転移は難しい。
練習中のノーレでは、移動できてせいぜい一、二メートルだろう。
だが、それで十分だったのだ。
壁さえ超えられたら、それで。
「待て……土の砦は良いかもしれないが……ダンスホールには……防御魔法が……空間転移では外に出られないはず……」
「そこは普通に窓から」
デペンドは唇を噛む。
つまり自分は、いない相手を探して、罠だらけの砦をうろついていたのか。
「いや、そんなはずはない……唐辛子も、最後の爆発も、俺がしゃがんだタイミングや魔法を使おうとしたタイミングで……近くで見ていなくては……」
「見ていた。透視で」
倒れ伏しているデペンドを見下ろしながらノーレは思う。
もし相手がプロウであったら、こんなにうまくはいかなかっただろう。
プロウには空間転移も透視も、使えることを知られているし、芸達者な魔法使い相手では、罠は使いにくい。
デペンドが腕力一本勝負な戦士で助かった。
「好きなようにやると良いって言ってくれて、ありがとう」
ノーレは炎をデペンドの体に投げ落とす。
デペンドは、避けられなかった。
燃え上がる。
デペンドのうめき声と、肉の焼ける匂い。
ノーレは目をそらさず、見ていた。
言葉を交わした相手の最期を、脳に刻み込んだ。
ノーレが炎を眺め始めてから、しばらくしたときだった。
荒い足音が響き、ノーレはハッと顔を上げる。
魔力を感じて咄嗟に後ろに跳ぶが、それはノーレに向けられたものではなかった。
デペンドの体に大量の水がかかる。
ノーレの炎など一瞬で掻き消えた。
そして、その体にすがる人影。
「デペンド様! デペンド様!!」
回復魔法をかける。
必死に揺さぶり、手首を取り、胸に耳を当て、鼻の前に手をかざす。
一つ一つの行動がデペンドの死を告げていても、何かの間違いではないかと確認を続ける。
後ろでくくられた長い黒髪はほつれ、眼鏡には水滴が飛んでいる。
そして、糸目なはずのその目は大きく見開かれ、眉はしかめられ、大声で主の名を呼ぶ口は裂けそうなほど開かれていた。
常に浮かべられていた笑みは見る影もない。
「え……どうしてここに。ウィルは?」
「……撒いてきたんですよ。おかげで、駆けつけるのがこんなに遅くなってしまいました」
どうあがいてもデペンドの死は覆せない。
そう理解したプロウが力なく座り込む。
水たまりがべしゃりと音を立て、プロウのズボンには水がしみこんでいくが、彼は一切気にしなかった。
「……どうしてです?」
小さな声が漏れた。
「どうして、こんなことを、したんです?」
風がもう少し強ければ聞こえなくなってしまいそうなほど、か細くて、頼りない声だった。
「デペンドも、あなたも、私に優しくしてくれた。私の気持ちを汲んで、勇者と一人で戦いたいなんて、わがままも聞いてくれた」
プロウは顔を上げない。
座り込んだまま、焼け焦げたデペンドの顔だけを見ている。
「理解してもらえるなんて、思っても見なかった。穏やかな村でのんびり暮らすのが辛いなんて、贅沢だって言われるに違いないって思っていた。危ない旅に連れて行かないと決めた勇者が正しいって、みんなそう言うと思っていた」
ノーレの声も、小さかった。
反応を返さないプロウに届いているのかいないのか、ノーレはわからなかったが、口から自然と零れ落ちるのに任せて、吐き出した。
「私、あなたたちと、戦いたくなんてなかった」
「でも、殺した」
初めて、プロウが言葉を返した。
相変わらず視線はデペンドに向けたままだったが、確かにノーレに向けた言葉だった。
「だって」
ノーレの表情がクシャリと歪んだ。
「だってウィルを殺すって言った」
「……そうですか」
プロウが、ノーレを見た。
ノーレはぎくりとする。
無表情。
作り物のような、温度のない顔。
うっすらと開かれた瞼から覗くオレンジの目はノーレの方に向いているが、本当に見ているのか、ノーレは一瞬疑った。
「殺します」
地面から勢いよく壁が生える。
反射的にノーレが作ったものだ。
だが、ノーレにはわかっていた。
仕込みのない場所で向き合った時点で、負けは確定している。
こんな短時間で作った薄っぺらい土壁では時間稼ぎにもならない。
「……?」
何かが地面にぶつかる音がした。
ノーレが覚悟していた衝撃は来ない。
ノーレは土壁からそっと顔をのぞかせる。
視界に入ったのは、倒れているプロウと、そして。
「ウィル」
剣を鞘に納める勇者の姿だった。
「ノーレ! 良かった! 無事で」
駆け寄ってくる勇者のホッとした笑顔。
その頬に向かって、ノーレは手のひらを振り抜いた。
「……え?」
「久しぶり、ウィル」
「うん……」
「助けてくれて、ありがとう」
「うん……? なんで叩いたの?」
頬を押さえて困惑するウィルに、ノーレは首を傾げて言った。
「聞いてなかった? 私、置いていかれたの、許せないって言った」
「あ、あれ作戦とかじゃないんだ」
ウィルは目を泳がせ、やがて覚悟を決めたようにノーレの肩に手を置いた。
「ごめん。騙して、置いていったこと、本当にひどいことをした。俺のことを恨むのは当然だよ。でも、どうかわかってほしい。魔王軍は本当に強くて、とてもじゃないけどノーレを連れて行くなんてできないんだ」
「それはもう聞いた」
ノーレはすっとウィルの後ろを指さす。
ウィルは指の先に視線を向けた。
「その魔族、八武将デペンド。四天王マール直属の部下で次期幹部候補」
ノーレはガッとウィルの髪を掴んだ。
強制的に首を動かされたウィルの金の瞳とノーレの翠の瞳が至近距離で見つめ合う。
「倒した」
ウィルがたじろく。
ノーレはウィルの髪を離さず畳みかけた。
「一人で、八武将を、倒した」
「ノーレ、待って」
「私、戦える。戦った。勝った。ねぇ、ウィル」
ノーレは、何度も伝えた言葉を、もう一度口に出す。
「私も連れて行って」
ウィルは言葉に詰まった。
ノーレはウィルをじっと見つめたまま何も言わない。
風のない静かな庭で、ただ見つめ合う時間が流れた。
パンパンッ。
手を打ち鳴らす音で、その沈黙は破られた。
二人は音の鳴った方を見る。
手を鳴らしたのはロープ姿の男。
「ザァド」
「なぁウィル、もう無理だろこれは」
肩をすくめるザァドの横に、緑色の髪をした女性が立つ。
「これでまた置いていったら、今度は魔王の隣に立っているかもしれないわよ」
「サーシャまで!」
他の仲間たちも半笑いでウィルを見ている。
ウィルは慌てたように一歩踏み出して前のめりに叫ぶ。
「君たちだって! ノーレを連れて行くことには反対したじゃないか!」
「置いていったら、一人で勝手にボス戦始めちまうタイプだとは聞いてねぇよ」
「そうよ。置いていく方が危険だわ」
「その通り。私を連れて行くべき」
「いったんノーレは黙っててくれないかなぁ!?」
叫ぶウィルを無視してノーレは仲間たちのもとへ向かう。
そして、手を差しだして握手を求めた。
「これからよろしく」
「待って! ノーレ待ってよ! 俺まだ同意してないよ!」
くるりと水色の髪を揺らしながらノーレは振り向く。
そして、にやりと笑った。
「でも、『ついて来てくれるならすごくうれしいし心強い』んでしょ?」
「そ、そうだけどぉ!」
ザァドが手を叩いて笑う。
「いい加減腹くくれ。もうわかってんだろ?」
「うぅ……わかったよ……」
絞り出すような声でウィルが言う。
その声にサーシャが声をあげて笑う。
ノーレは突然髪留めを外すと、ポイッと投げ捨てた。
まっすぐな髪がさらりと背中に落ちる。
その一房を手に取ると、ノーレは言った。
「ウィル、置いていったお詫びに、髪留めを買って。それで、許してあげる」
ウィルは突然のおねだりに困惑しながらも、言葉を返す。
「分かったよ。ノーレに似合いそうな……赤色のものを見繕うよ」
その言葉に、ノーレはそれはそれは満足そうに笑った。
<完>