第4話 隠されてきたこと
いつ頃だったかの遠い記憶を勇気は見ていた。
「勇気、神のお祈りは決して欠かしてはならない。いいか、それは人間として生まれたからには必ずしも持つべき信仰だ。だから、聖書を一言一句毎日欠かさず読みなさい」
昔、父に言われた強い言葉をなぜかいまさらになってみている。
ふと疑問に思う。
「なぜ、信仰心を抱かないんだ! それではダメだ! 堕落してしまう!」
父の信仰心の厚さは異常だと当時から思っていて、聖書を読まなかっただけの時の父が怒るというよりは焦るというよくわからない行動が子供ながらに怖かったのも思い深かった。
「母さんからも言ってくれないか」
父が母へ助けを求めるようにして言うと、母もこちらへとかを向けて頬に手を置いてその暖かくもどこか悲しみが奥底に眠る瞳であの言葉を母さんが言うのを勇気は覚えていた。
「勇気、信仰心は今は抱けないのかもしれない。でも、その信仰がいずれあなたにとって重要なものになるのは間違いないから捨てはしないでちょうだい。今はいくらでもわからなくても信仰が熱くなくてもかまわない。でも、父さんや母さんの真似だけは続けて頂戴」
律儀に勇気はそれを守り通していた。
あの時最後にいつもこの言葉を母さんは残していた。
「悪魔にだけは身を落とさないでちょうだいね」
その時の勇気は真に受けず、比喩表現のように受け取ったのだ。
だけど、今ならばわからなくもないのだ。
あの悪魔のごとき存在を目にしたのだから。
怪物だっているのだから。
うすぼんやりと見ていた景色が薄れていく中で遠くから何かの音が聞こえ始めていく。
******
目覚めたとき目の前には見知らぬ天井があった。
真っ白いタイルに覆われたどこかの病室っぽい天井。
鼻腔を通る薬品の臭い。
おもわず顔をしかめながら、身体を起こそうとした。
「先生、患者が起きました!」
看護師らしき女性が慌てたように病室を飛び出して廊下をかけていく。
行違いざまに病室にふさわしくないような恰好をした20代くらいの男が入ってきた。
その恰好とは、修道服である。
病室でまだ治療中の患者がいる中でその恰好はあまりにも不謹慎と思えるような状況。
彼は堂々と病室に入ってくると勇気のほうを見てにこやかにほほ笑んだ。
「無事に目覚めてくれてよかったよ。君はあれからまる二日も寝てしまっていたからね」
「え、二日も寝ていた?」
見知らぬ修道服の男、おおとそ神父なのだろうか男性は挨拶もなしに開口一番にそう告げた。
険しい顔で勇気は相手を見る。
「申し訳ないですが、どこのどちら様ですか? こちらのことをご存じのような口ぶりですけど自分はあなたのことを存じあげていませんけど」
「あ、これは失礼した。そうか、君はあの時はまだ小さかったから覚えてないのも無理はないか。僕は教会の司祭をしている、加々見伸二といいます。昔から君のご両親とは知り合いでね」
彼のいうこの両親を勇気はすぐに源蔵さんのことではなく実の両親のことだと悟った。
先の言葉も『あの時はまだ小さかった』といっていたことからそう察することはできた。
「それで、今はまだ記憶があいまいなんですけど、加々見さんが僕をあの場から助けてくれたんですか?」
わずかな最後の記憶は人食い鬼の群れに向かって自らが何かをした時の記憶と力尽きて、死を悟ったときに聞こえた複数の足音に神父の姿。
「その通りだ」
「それなら僕はこういう場合感謝をしたほうがよろしいんですよね。本当にありがとうございました」
まずは礼節を忘れない。
それは昔から自分が肝に銘じてきたことだから。
「こうして身体ももう無事に治ったので帰らせてもらいます。
ベッドから足を下ろして病室から足早に抜け出そうとするがその腕を神父につかまれた。
「その身体でまだ動くのは無理だ。君はあの能力を使ったばかりだし、いつあの悪魔アスモデウスに狙われるかわからない」
その言葉を聞いて勇気は抜け出すことをやめ、神父のほうに詰め寄るようにその襟首を思わずつかむ。
「今、何て言いましたか? あなたは僕の両親を殺した悪魔の名を知っているんですか!」
彼は表情に翳りを見せる。
「知っています。我々はずっとその事実を知っています」
「今、奴はどこにいる!」
力強く、首を締めあげていく。
病室に新たに体に包帯を巻いた女性が入ってくる。
「ちょっと、勇気何してんの!?」
病室に入ってきた女性は勇気の知っている人物。
星城アリスだった。
助けに来ていた神父が来訪した病室の病院で勇気が寝ているわけだから、あの事件現場にかかわっていたアリスがいないはずはない。
「勇気、手を離しなさいっ。命の恩人なのよ」
アリスに手をつかまれて止められようやく冷静さを取り戻して謝罪を口にする。
「すみませんでした。取り乱しました」
「どうやら、源蔵氏がおっしゃっていたようによっぽどあなたはあの時のことで闇を抱えていらっしゃるようだ」
「源蔵氏って、源蔵さんのことですか?」
「そうですが、何か?」
勇気は不思議に思いアリスのほうを見た。
彼女は何も理解していないような難しい表情をしながらただひたすら勇気の手を握っていた。
「あなたの口ぶりから僕のおおよその見解では源蔵さんは僕の両親殺した悪魔の存在をご存じだったと聞こえるんですが?」
「そうです。教会の者であれば一部のみではありますがご存じです。また彼はあなたをあの悪魔から守るためにずっと育ててきたのですから」
「悪魔から守るだって? 一度も源蔵さんは悪魔の存在は知らないって言ってきていたのに……」
勇気の視線は目の前の加々見神父からずっと自分の手を握り締めているアリスのほうへとむけられた。
その瞳には怒りの感情が混ざっている。
「ゆ、勇気?」
「アリスさん、あなたは源蔵さんの実の娘だ。僕の両親を殺した存在を源蔵さんが把握していたのを知らないはずはない」
「待って、私も本当にそれは聞いていない! だって、いつも私だって勇気の味方でいてお父さんに詰問していたでしょ!」
生活の中で勇気は何度も復讐を胸に抱いて、源蔵へと問い詰めをしていた。
そのたびにアリスも一緒になって行いはした。
「あれが僕をだます演技だったって保証があるんですか?」
「どうして疑うの?」
病室の扉がまたゆっくりと開き、今度は施錠をされた。
扉を施錠した人物は今話題の渦中男性だった。
「源蔵さん」
星城源蔵、勇気の養父であり勇気の両親の同僚ということや親しかったこともあり勇気を本当の父のように育てくれもしたが時に厳しい教官のようになって育てもした。
彼はあの事件で腕を失った様子で失った右腕の袖はひらひらと揺れていた。
彼もまた痛々しい姿であったが勇気は気づか余裕などなかった。
ずっと、あの暗い人生の中で唯一の良心の存在だったその一人へ即座に詰め寄った。
「源蔵さん、加々見さんから聞きました! 僕の両親を殺した悪魔のこと知っていたんですか?」
「そうか、聞いたかゆうき」
「そうかってそれだけですか! 僕がどれほどその存在を知りたかったか知っていたはずだ!」
「ああ、知っていたが教えたら突っ走って暴走していただろう。これは俺なりに勇気の身を案じて隠したことだ。怒られるいわれはない。すべては君を守り通して強くするための方便だ。それに君の両親との約束だったしな」
「両親と約束……。僕を育てる時も似たような言葉をおっしゃいましたよね」
「そうだったな」
「そうだとしても、到底納得ではできません」
源蔵は加々見神父と目を合わせ、何かを決めるように「もう彼は成人し目覚めてしまったのだから教えるべきではないかと」と加々見神父がいうと一息つくように息を吐く。
「ゆうきくん、君には超能力がある。それもかなりのものが。しかも、その能力は決して天性で備わったものではなく悪魔が関係しているんだ」
「え、どういうことですか?」
「君は人食い鬼との戦闘で力を出さなかったかい?」
「そういえば……」
神父の言葉を言われてみれば、あの時妙な力を発動したのを思い出せる。
でも、なぜ、その力が備わっていたのかはわかっていなかった。
「悪魔と起因しているというのはどういうことですか? この力は悪いものなんですか? もしかして、暴走っていうのはこれが原因で?」
言うてる意味がすぐには理解が追い付かない。
「なぜ、どうしてそのような能力があるかはわからないが、アスモデウスと起因しているのがこちらの調査で判明しているのは確かだ。覚醒するときにアスモデウスはその子供たちを使い何かを起こすと教会では予期している。だからこそ、そうした能力を持つ子供を悪の道に染めぬようにと極力悪に近い要因は排除をしてきた。さらにいざってときのために訓練も施す必要があった」
「僕が悪魔に利用されるのを恐れたからずっと隠してきたってことですか? もしもの対策で自己防衛できるように訓練もした」
あまりにも常識を逸脱したような行い方だ。
そうした常識を逸脱したような存在を何度も目にしてきている勇気にはその考えに多少なりとも納得する余地はあると考えてしまう。
「だとしても僕は……」
アリスさんの手をそっと手をどかす。
冷静な状況整理が必要だった。
今までだましてきたのも彼なりの思いやりだったのだろうけれども、復讐の邪魔をしたのも変わらない彼に憎しみを抱かずにはいられない。
教会の人たちにもだ。
自分をまるで怪物ようになるんではないかと恐れているというのは許容しがたいものだった。
少し、離れる要因を考える。
「トイレに行ってきます」
彼との距離をまずはおくためにわざとらしいその場から離れる口実を口にした。
彼は止めようとせず、
「行ってくるといい」
そう返した。
勇気はゆっくりと病室を抜け出して扉を閉めながらそのままどこへと目的地も決めぬまま廊下を歩き始めた。