第3話 人食い鬼
黒い血液を辿っていった先に見えたのは暗闇の森林地帯に明らかにやばそうな雰囲気を醸し出している洞窟。
入れば一生出ることはできないだろうという空気が肌にひしひしと感じる。
だけど、入らないという選択肢が自身にはなかった。
「行かなきゃ。アリスさんがいるかもしれない」
先ほど襲撃した怪物が流した血を辿った先にあったこの洞窟はその怪物の根城かもしれない。
つまりはアリスがいる可能性が浮上してくる。
大切な人が攫われたとあっては気が気でない。
それどころか、今どんな目にあっているのか考えたくもない。
もっとも居場所の可能性が高いこの洞窟に入るのは必然といえるし躊躇してる暇なんかない。
腰鞘に納めたナイフを手にして洞窟へと入る。
懐中電灯を使い周囲を照らしながら足場を確保して慎重にゆっくりと進んだ。
奥へ奥へと足を進めるごとに異常な臭気が漂い始め、顔をしかめた。
「この臭い」
幾度となく、養父に連れられて足を運んだ怪物の餌場で何度も嗅ぎ、いやというくらいに嗅ぎなれてしまった臭い。
「やっぱり、あたりだ」
洞窟の進んだ先にようやく広々とした空間にたどり着けばそこには無数の骸骨と血肉の欠片や衣服に体毛などが散乱していた。
一言でいえば死骸である。
「人間だけじゃなく、動物も食べているのか」
ますます記憶にある知識の中である一体の怪物が該当してくる。
これはまずいと携帯のメールで養父へ正体について送信しようとしたとき、奥からかすかな女性の息遣いが聞こえた。
「アリスさんっ?」
極力、声を落としながら彼女を呼んだ。
返事はないがわずかに聞こえる。
メールを送信するのをやめ、近くの死骸の骨を手に取り、死体の衣服を骨に巻き付けたものを手にしてさらに奥へと歩を進めた。
「っ」
奥のほうにはさらに広い場所があった。
そこには無数の人の形をした怪物たちがひしめき合うように眠っていた。
図体は人の形に近いがその姿はあまりにも人間と表現するには異形で、衣服を身にまとってはおらず色白で体毛はなく、目が窪んだようになっており、鋭い牙が口から覗き、鋭い爪まである。
「やはり、人食い鬼ウェンディゴ」
北米などでしられる精神病からなぞらえてその名がつけられている怪物。
自身が悪魔に取りつかれたと思い込み、周囲の人間が食べ物に見え始め、食した人間がやがて人食い鬼と化した存在だ。
元は人間であった存在であるが結局は化け物に堕ちた者。
慈悲など感じていれば即座にこちらが彼らのえさになる。
珍しい、本来ウェンディゴは夜間は起きているはずだった。
だが、なぜだか、ここのウェンディゴたちは皆が眠っていた。
「なんで寝てるんだ?」
ふと、小さな足音が背後からして勇気は手にしたナイフで迎撃しようとした瞬間逆に相手の行動が一枚上手で素早く喉元に何かが当てられた。
「動かないで。どこの誰だかわからないけどこのまま……って、勇気?」
「アリスさん、生きてたんですね、よかった」
「勇気こんなところで何してるの?」
「助けに来たにきまってます」
「馬鹿ね。私のことなんか放っておいて逃げなさいよ。お父さんにもそう指示を受けていたんじゃないの?」
「それは……」
彼女の言う通り、救援を呼ぶようにも指示を受けていた。
だけれど、それを無視で勝手にこうして助けに来てしまっている。
「あとでお叱りを受けるわね」
「別に構いません。黙って言うことを聞いて後悔するより怒られているほうがましです」
「あなたは本当にバカなんだから。でも、うれしいわ」
そういって、アリスに勇気は抱きしめられて少しだけ照れた。
「そ、そんなことよりもこれはどういうことですか?」
彼女の抱擁から抜け出して、周囲の状況を勇気は彼女に問いただした。
この人食い鬼が眠りについている状況は明らかに彼女がしたものに違いないと考えたからだ。
「これよ。もし自分の身がピンチになったときのためにと用意しといたのよ」
彼女は小さなボールのようなものを取り出した。
「これは?」
「即効性の催眠玉よ。人間には害のないように私自身がアレンジして作った対怪物の武器ってところ。まあ、あと一個しかないのだけど」
「あいかわらずすごいですね」
彼女はものすごく頭がよく、たまにこうして独自の武器を開発して怪物を退治していた。
「将来的にはハンターよりも教会の裏方志望だしこれくらい出来ておかないと問題あるしね」
「将来……」
その言葉を聞いてずきりと胸の奥にとげが刺さったような痛みが走る。
将来というのは自分の目指すべき未来を指す言葉。
勇気にはその未来には暗闇しかないからこそ心臓にちくりと痛みとして刺さる。
勇気の陰鬱な表情を見て感じ取ったからか、アリスは話を変えるように勇気の手元を指さして言う。
「さて、勇気その手にある道具。どうせ使う予定だったんでしょ」
「え、あ、うん」
「じゃあ、貸して頂戴。今から燃やすわ」
そういって彼女は骨の衣服に火をつけようとしたとき、彼女の手に向けて何かが飛んできた。
アリスは骨を落とし、その場で手を抑えて蹲る。
アリスの様子を見て驚愕する。手から流れる尋常ではない出血。
「アリスさんっ」
彼女の流した血液は最悪の連鎖を生み出す。
背後でのそのそとした音が聞こえる。
ゆっくりと振り返ると鬼たちがゆっくりと瞳を開け始めていた。
「アリスさん、すみません」
勇気は彼女をお姫様抱っこして洞窟を入った出入り口へ戻るように駆け出した。
出入口へとようやくたどり着いたとき、目の前に誰かが倒れているのを目撃する。
「え、父さん?」
次の瞬間後頭部に強い衝撃が走る。
「ったく、てこずらせんなよな」
それは人食い鬼の被害にあった若い男の声。
その声を最後に意識を失った。
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鼻歌交じりの声が聞こえ、ゆっくりと意識が目覚めていく。
重たかった瞼を開けると、わずかに光るランタンの明りが目を瞬かせた。
「これはどういうことですか?」
ランタンの明りにともされた中でナイフを研ぎ澄ます、一人の男の背中に問いかけた。
その男は、人食い鬼の被害者と思われていた男。
その男は平然と人食い鬼の起きている中で食われることもなく、ナイフを研ぎ澄ませている。
人食い鬼はこちらにしか興味ないように顔を近づけてくる。
「おい、まだ駄目だといっただろう」
状況がだんだんと飲み込め始めた。
人食い鬼へと平然と命令するこの男もまたそうなのである。
「人食い鬼は人間へ化けることもできると聞いたことがあります。つまりあなたも怪物だったということですか」
「おいおい、その言葉は心外だな」
彼は近づいてくるとつるし上げている勇気の腕をナイフで切り裂く。
滴り落ちる血を気持ち悪いその舌で舐め始める。
「んー、これは最高だ。それに君の血は何だか妙な味だね」
「変態野郎。絶対に殺す」
いつもの口調さえも変わってしまうほどに語気があらっぽいものへとさすがの勇気も変化していく。
「そんなことを言ってもいいのかな?」
人間へ化けた人食いの鬼はゆっくりと吊るし上げているアリスへと近づき、その胸元へとナイフに向け切っ先を近づけ、ゆっくりとボタンをはずすように持ち上げる。
ボタンが外れ、彼女の大きな下着に包まれた胸が露出する。
「これはうまそうな胸だ」
「お前! アリスさんに手を出したら許さない!」
人間に化けた人食い鬼はこちらを一瞥すると薄気味の悪い笑みを浮かべて、彼女の胸元を少しばかり切り裂いた。
谷間が少し割かれ血が滲み、胸を包み込むブラジャーへ血が滲んでいく。
「お前、絶対殺す! ぜったい殺してやる!」
「ひひひっ、そんなにこの女が大事なんだな」
さすがにアリスも痛みからか徐々に目を開け、状況を瞬時に飲み込み始める。
「なるほど、そういうわけ。あなたがここの原因のリーダー?」
「ずいぶんと冷静な判断だ。さすがは噂に聞いているハンターというところだね」
「噂? 何それどういう意味?」
怪物はそれ以降は語らず、頬へとナイフを当て切り裂く。
「っ」
痛みに顔をしかめた彼女をみて、勇気の怒りはさらに熱を帯び始めていく。
「アリスさん!」
必死で腕を動かして暴れて、手かせをほどこうと足掻いた。
「ははっ、必死だな。だが、無駄さ。君が決してそこから抜け出したところで僕には勝てない」
「そんなやらぬ前から勝利宣言とか抜かしてるんじゃねぇ!」
「いやだって、事実だからさ。僕は君たちより強いハンターだった男を殺したんだから」
その言葉を聞いて硬直する。
そういえばと勇気は周囲を慌ててみる。
なぜ、今の今まで気づかなかったと後悔する。
思うのは気にしないようにしていたのだと。
「最後に見た光景をようやく思い出したようだね」
「嘘だ、源蔵さんがやられるはず」
「そうよ、父さんが死ぬはず……」
目の前の人間に化けた人食い鬼は、背中を向けて何かを拾う。
こちらにまた顔を向け合わせたとき、無造作に引きちぎられた誰かの右腕がその手には握られており、その腕を落とす。
「これは君たちの父親の残骸さ」
「っー!」
瞬間、アリスは声もない悲鳴を上げた。
勇気は激しくさらに腕を動かし、肉がそげるとばかりだった。
痛覚などは消し飛び、怒りしか沸き上がっていない。
「あははははっ! 最高だ。いつ見ても人間の憎悪に染まったときの顔ってのは高揚するなぁ!」
彼はその腕をかぶりつき。、目の前で咀嚼し始めた。
「絶対に許さねぇ」
鉄が壊れるような音が響いた。
それは勇気の手かせがどういうわけか壊れた音だった。
決して力任せにすれば壊れる代物ではなかったものが壊れたことにより、人間に化けた人食い鬼は驚愕する。
その隙を逃さず勇気は目の前の人間に化けた人食い鬼へととびかかる。
状況は最悪だった。そこは群れの中心。いくら意表の隙をついてもすぐに周りの人食い鬼へと組み倒された。
「くそぉおおおお!」
「ふぅー、どうやったかしらないけどすごいパワーだ」
「はなせぇええ」
人間に化けた人食い鬼は勇気のその目を見て、ヒヤッとした。
「おい、お前らそいつを抑えておけ。そいつは例の奴らに渡す手土産だ。ただし、女は僕のものだ」
人間に化けた人食い鬼の命令で組み伏せた人食い鬼が勇気に向けて牙を立てた。
(このまま、鬼に愛する人を食われるのか!)
後悔の念が感情を揺さぶり、波のように襲う。
目の前をどうにかしたいという思いがあふれ、感情を爆発させた。
次の瞬間、取り押さえていた人食い鬼が吹き飛ばされる。
「何が起こった? 君はなんだ?」
勇気も状況が呑み込めずにいるがすかさず、近くにあったランタンを手にした。
「それでどうする? そんなもの武器にもならない」
勇気が何かを考えてるうちに吹き飛ばされた鬼たちも立ち上がって勇気へ近づいていく。
「全員まとめてかかってこい!」
勇気はランタンを人間に化けた人食い鬼へとむけて投げた。
割れたランタンの中の火が人間に化けた人食い鬼の服へと引火してたちまち火に包まれる。
「ぎゃぁああああ!」
ほかの人食い鬼は驚いたように一瞬にしてたじろいだその時、遠くから銃声が聞こえると騒々しい足音が聞こえ始めた。
「一斉に中の鬼を駆除しろ! 火炎放射器を使え! 銃弾は足止めにしかならんぞ!」
奥から複数の黒い衣服に身を包み武器を手にした男たちやってくる。
彼らは人食い鬼へとむけて火炎放射器を放つ。
一人の若い20代前半くらいだろうかの糸目の男性が勇気のそばにやってくる。
「教会のものです。あなたたちを星城氏の救援の連絡で助けに来ました」
「救援?」
背後では右腕から先がなくした義父を連れ添った黒服の恰好をした20歳くらいと思われる男性によって救出されるアリスの姿が見えた。
その姿を見てほっとしたのか勇気は急に脱力し、偏頭痛に襲われ、顔をしかめる。
「ちょっと、大丈夫ですか? 救護班こちらも担架を! ここで覚醒するとは」
救援に来た男のその言葉を最後に聞きながらゆっくりとそのまま勇気は暗闇に意識が沈み込んでいった。