もふもふが現れました
…………は?
“ちょ、痛い痛い痛い痛い! 痛いやんか! そんなにぎゅーせんといて!”
「は、はい! ごめん!」
慌てて両手を広げたら、ボトンとそ・れ・は地面に転がった。
焼けたパンの色をした毛。へちょっと垂れたとんがった耳。とんがった鼻につりあがった目。背を丸めて筆のようなしっぽをふーふーしている子ぎつねである。
「……」
両手を広げた格好のまま、じっとその姿を見てしまう。
なぜこんなところに狐が、と思わないでもないけれど、注目しているところはそこではない。
子ぎつねはたしかにしっぽを一本抱えている。にも拘わず、後ろに、一、二、三、四……
“あー 痛かった。千切れるかと思たわ。ここまで来たのに、また七本に減るとかないわ~。シャレにならへんし!”
痛みが引いたのかマシになったのか、ぼやいた子ぎつねがシュタッと立ち上がり、ふんふんと鼻先を近づけて来た。
“この臭い! 間違いあらへん! あんた、山本道子やな!”
「はい!」
びしっと指さす勢いで断言されて、思わず返事しちゃった。
“あ~、ようやくや。ほんま勘弁してほしいわ~”
正座しているわたしの前で、子ぎつねがコキコキ首を廻している。
”来たことないとこやし、その辺で教えてもらお思てもだ~れもおらへんし。ほんまどないしよかと思たわ~”
「はあ」
ちっちゃい子供が大人のマネしているみたいで、なんだかかわいい。撫でたい。触りたい。
”はあ、って、他人事ちゃうねんで。うち、あんたのためにここに来たんやし!”
ぎろっとにらんできたけど、迫力な~い。あ~はいはい、そうなのね~……って、
「え? わたし?」
”あんたのほかに誰がおるん。やっとおる場所が決まったから行っといでって言われたんやで、宇迦さまに。困ってるやろから助けたりって”
「うか、さま?」
”宇迦之御魂神。お稲荷さんの祭神やん。いっつもあんたお祈りしてくれとったやろ? あんたくらいやってんで? あそこ拝んでくれるん。他の人はみぃんな素通りやし”
よく拝んでた神社…………
あったね、神社。駅とマンションの間のちんまりとしたやぶの中に。ちょうど通勤途中だし他のところに行く暇なんて無かったし、初詣はもちろん、プレゼンが上手くいきますように! とか、懸賞あたりますように! とか、資格試験通りますように! とか、前を通るついでに走りながら朝な夕なに柏手打ってたわ。時間があったら、財布の中の小銭消費にお賽銭入れて、厄祓いの時は、大枚五千円、賽銭箱に突っ込んだ。
そうかあ、あれ、お稲荷さんだったんだ。知らなかった。
“しゃあないかあ、狛狐も朽ちてなくなってたし。あ、でも、あんたがちまちまくれるお賽銭のおかげで、もう少ししたらも一回つくれそうやねんで! お賽銭くれるんもあんたくらいやったしなあ”
子ぎつねの目が、どこか遠いところに行った。
そうか、小銭消費が役に立ったようで、何よりです。
“せやのに、そんな大恩あるあんたに、あのクソ童子! ぶつかったんはしゃあないわ。その後や! 他所に放り捨てようとしてからに。うちら慌てて宇迦さまにお知らせしてん。幸いお守りあったからな、宇迦さまが神力つこて魂突っ込んでくれはったからなんとかなったけど、なかったらおしまいやってんで!”
ぷりぷり口を尖らせて怒っている。まあ、かわいい。
そういえば、あの時ショートカットしたんだっけ。少しでも早く寝たかったから。ぐるっと迂回する道より、境内突っ切る直線コース選んだんだった。
そこで、はしゃいだナタルにぶん殴られ、証拠隠滅を図ってポイ捨てされたと。
偶然と偶然と悪意の結果と言うわけだ。
偶然と偶然は、まあ、不運である。しかし、悪意に関しては看過できない。
「今度ナタルに会ったら改めて絞めとこう。ところで、お守りって?」
”伏見のお守りやん。あんた持っとったやろ”
それは、持ってた。春に京都に出張行ったついでに寄ったから。行ったからには買うじゃない、お守り。
”それに宇迦さまがあんたの魂ばらけんように入れてくれたんよ。ついでに神力も込めといてくれはったらしいから、いろいろ便利ちゃう? うち、よう知らんけど。ほんで、高天原にも言ってくれはる言うてはったし? うちらが世話になってるあんたへの仕打ちにえらい怒ってはったからなあ。あのクソ童子、えらい目に遭うで、いい気味や”
今度はいじわるそうにニシシと笑う。
しかしまあ、ということは。
お守りが材料なのか、この体。
そうか~。そっか~…………
ま、まあ、深くは考えまい。
今現在は支障なく生きているんだ。それで良しとしよう。
“とにかく、遅うなって悪かったけど、これからよろしゅうな”
ペコンと頭を下げるきつねさん。
「あ、こちらこそ」
こっちも頭を下げた。
“んじゃ、行こか”
「行く…………って?」
“住んどるとこやん。辺り暗うなって来たし帰った方がええんちゃう?”
「そういえば…………」
随分と日が傾いて来ている。
でも。
ちらりと子ぎつねを見た。
連れて帰りたい。
お遣いだし、ふわふわだし!
しかし、しっぽ………… どう見たって突っ込まれること確定だ。
“かっこええやろ?”
視線に気がついたのか、子ぎつねがくふんと鼻をひくつかせる。
“やっと八本になったんよ。これが済んだら九本になれるかもしれんねん! キュウビやでキュウビ!”
くるくる回りながら、見せつけるように尻尾を揺らす。
“ああ、でも、大丈夫やで? 他の人には一本にしか見えへんし。普通のカワイイこぎつねにしか見えへんから! さあ、行くで!”
私をほって、きつねはさっさと歩き出した。




