もはや手遅れ (団長)
5
リヒテルデ王国第ニ騎士団 団長 トビアス・ワーグナー。
それが俺の肩書きであり名だ。
代々騎士となり、国を護る盾となり剣となれ。その家訓に沿うべくただひたすらに騎士を目指し、今がある。
あの日も捕まえた魔獣業者がかなり大口の仲介をしたと吐いたので、どうするべきか考えながら隊舎に向かっていたのだが、庭園の階段を降り切る直前、何やら結構重量のあるものを蹴っ飛ばした。
………昔から、考え事をし始めると没頭するたちで、いろんなものにぶつかったり跳ね飛ばしたり蹴り飛ばしたりするので、椅子に座ってから考えろと多方面から言われてはいるのだが、言われたからといってそう簡単にできることではない。
ああ、またやった。とりあえず、それが何かを確かめないと、と、それが飛んでいったであろう方向を見やって血の気がひいた。
残像を残して植え込みに落ちたそれが、犬猫よりも大きく見えたからだ。蹴り飛ばした感触とか重さとか、嫌な予感に慌てて探して引きずり出してみれば、幼い女の子が俺の手でぷらぷら。
急いで医務室に担ぎ込んだ。
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第三が担当していた事件は、いわゆる奴隷売買だ。
近隣で子どもたちが忽然と消える事例が頻発して、捜査の末にそれに辿り着いた。
満を持して踏み込んだはいいが、子どもたちを幽閉していた小屋に火を放たれた。証拠隠滅を図られてしまったのだ。
騎士団の魔法使いが転移の魔道具を起動したが、妨害が入ったらしい。座標が狂わされ、子どもたちがあちこちに飛ばされてしまうと言う事態に陥った。
当初の目標が、王宮内の保護施設だったらしいので、一応はその付近ではある。
第一近衛のキラキラしい奴らがお茶しているテーブルに、汚物まみれで放置されていた赤子が突然現れて、大騒ぎになったらしい。ざまあみろ。
他に厩の飼い葉の山の上やら、休憩室で怪しからぬ真似をしていたメイドと庭師の上やら、まあ、色々なところに落っこちてきたので、この少女もその内の一人だと思われた。
蹴り飛ばしてしまった罪悪感半分、第三も近衛から速攻回されてきた赤ん坊はじめ、他の子供の相手で手が回らないからと押し付けられた義務感三分の一で面倒を見るついでにいろいろ聞き出そうとしたのだが、やはり名前も何も覚えていないらしい。
ならば、本来担当である第三に手が空き次第引き渡して、こちらは手を退くのが本筋なのだが………
事態はそう簡単にはいかなかった。
「だから団長〜。飼いましょうよ、あの子。もう癒しですよ癒し。このクソむっさい野郎しかいない騎士団の癒し! 身元も何もわからないんだったらいいじゃないですか〜」
「飼うって言うな。クソむっさいのはお前も同じだ」
「失礼なこと言わないでくださいよ! わたしはちゃんと毎日お風呂に入ってます! 前はともかく今は毎日あの子と入ってるんだからむさくないです!」
「あ〜、今は、な、今は」
この間までは他の男どもと夜っぴて酒盛りしては雑魚寝をしていたくせに何を言う。
一番厄介なのは、数少ない女騎士、カチュア・バルべだ。面倒を任せていたらすっかり絆されしまった。毎日毎日訴えられてうるさいことこの上ない。
あの子は四歳のわりに(医法師に鑑定させた)しっかりした子だった。
着替えも洗面も一人でやる。流石に危ないと思いカチュアと一緒に入らせているが、風呂でも自分で体も頭も洗うらしい。挙句に風呂場で洗濯までしそうになって、止めたそうだ。
しかも礼儀正しい。
朝に会ったら「おはよう」、昼に会ったら「こんにちは」、夜に会ったら「おちゅかれしゃま」で、寝る前には「おやすみなしゃい」。
なにか手を貸せば、「ありがと〜」が返ってくる。
隊舎も何故か綺麗になった。
特筆すべきは食事の時だ。食べる前と後に必ず両手を合わせて頭を下げる。聞けば「パンの神しゃまとシュープの神しゃまとシャラダの神しゃまにありがと〜って言ってるの」だそうだ。
神と言えばヴュルムの三神であり、それさえ教会に金を納めなければ祈りもできない。それゆえパンやスープの神など居るなんて言おうものなら、あっちから文句が来そうだが、そこにいた騎士が一人真似をしたら、にぱっと笑ったらしく、今や彼女がいるときは全員手を合わせている。
だが、その行動も言葉も年相応のそれで、実にたどたどしく一生懸命感が半端ない。居合わせた騎士たちが、はらはらほわほわ見守るようになって、騎士団全体が何やらふんわり柔らかい空気をまとうようになってしまった。いいのかこれで。
「だがな、常識的に考えてみろ。お前の言う『むさい男ども』が大半のこんなところで、四歳児の面倒を見られるはずがないだろう。武器や馬など、ただでさえ危ないものが山ほどあるんだぞ?」
「剣や弓なんかは、この間ゲレオンが触らせてましたよ?」
「は?」
「危ないのは扱い方を知らないから危ないんであって、わかれば危なくないからって。大体騎士の家系ってみんなそんなもんじゃないですか」
「それはまあ………」
「馬はユタナンがブラッシングさせてましたよ、子馬の。乗り方教えるって張り切ってましたけど?」
「………なんでみんな、あの子がここに居着くことが前提なんだ」
「それを団長が言いますか?」
………カチュアの視線が痛い。
「それはともかくだな………っ」
ごまかしつつ食堂のドアを開けた。ほぼ同時に、誰かがいつの間にか調整したクッションを山積みした椅子から飛び降りた小さな影が、とたとた走ってくる。
「パパ、おはよ〜。ごはん用意してあるの!」
俺のズボンを摘んで引っ張りながらテーブルを指差す。彼女の椅子の隣に、いつも通りにパンが五つにマグカップのスープにトマトを退けたサラダが並べてあった。
………いかん、胸が苦しい。
「ちゃんと認めた方がいいですよ?」
うずくまる俺の背後で、カチュアが笑いながら言った。