放り込まれました
1
疲れた。
猛烈に、疲れた。
いくら過渡期だからって、10連勤はないわ。しかも毎日午前様。
真夜中の小さな商店街。人影もまばらで、見える灯りは街灯だけ。
ローヒールのパンプスを引きずりながら、ねぐらのマンションへと急いでいた。
一分一秒を争うので、ショートカットだ。石段上って、境内突っ切って……
「も~ 帰ったら、布団にダイブしてやる~ シャワーなんて明日よ、明日。寝るのが先…… ふぁ~」
ゴン!
いきなりすごい衝撃が、後頭部に来た。
『えっ? なんでっ!?』
衝撃と同時に、そんな声が聞こえた。
なんでって、こっちの台詞よ! 何が起こった!
『やばい! 出ちゃったよ! 叱られんじゃん! ど~しよ、ど~しよ~ ……うりゃっ!』
何をしでかしたかわからないけど、失敗したらまず謝る。それが一番、傷が浅い…… って思ってるそばから、やけっぱちになったらしい掛け声とともに、ぐいんとGがかかった。
ぽーい
まさに、そんな感じ。
飛んでる?
なんかわかんないけど、このG方向、飛んでない? むっちゃ勢いよく飛んでない!?
周りは見えない、というか、視界がない。感覚だけしかない感じ。
どこまで飛ぶの! と、思っていたら、Gの方向が変わる。
ゆっくり、ゆっくりと 下へ。
う、うそ! 落ちる~ 落ちる~!!!!!!!
ばさっ。
落ちた。
ガサガサと音が聞こえ、チクチクとした何かに突っ込み、背中を打ち付けて止まる。
生き、てる?
なんだか、ものすごい高さから落ちたような気がするんだけど、どうやら死んではいないらしい。
手足の感覚はある。
ぎゅっと瞑っていた目を、息を吐きながらゆっくり開けた。
青く小さな若葉。縁取られた青い空が、目に飛び込んでくる。
なんで、青空?
夜中じゃなかったっけ……
でも、なんか久しぶりに見たなあ………… 忙しいばっかりで、空なんて見てなかったわ、そういえば。
ぼけっと見入っていたら、ガサガサ、ガサガサ、近くでなにかを引っ掻き回す音が聞こえた。
「どこ! どこだ!」
ついでに妙に焦った声も。
誰かが、なにか探し物をしているらしい。
「団長〜、どうしたんスか?」
「蹴っ飛ばした!」
「…………またっスか? 階段降りる時は前見てくださいよ」
「見てる! だから気が付かないんだろ!」
「堂々と言い張るところじゃないと思うんスけど。前『しか』見ないんじゃなくって、前『も』見てくださいよ。足元とか足元とか足元とか。 …………でも、まだ団長に蹴飛ばされる犬猫いたんスね。最近奴ら賢くなって、見かけたら逃げてるのに。新顔っスかね」
「犬猫じゃない! もっと大きかったんだ!」
「へ?」
「小さな子どもくらいの大きさだった!」
「子ども? こんなとこに居るはずないでしょ? 城内の庭園ですよ? しかも先に鍛錬場しかないのに」
「いいから探せ!」
「はいはい。お〜い、また団長がなんか蹴り飛ばした。お前らも探せ〜」
「またですか」「迷い猫かな」「…………どっち向きに蹴りました?」「犬なら一匹走っていったけど?」「犬よりでかいって~ 子どもくらいだってさ」「え? 子ども!? とうとう子ども蹴っ飛ばしたの!?」
そんな会話とともに、あちこちでもっとガサガサ音がし始めた。
…………子ども!? 子ども蹴っ飛ばしたの!? 蹴って飛んじゃうような子どもってちっちゃいんじゃない? 三つか四つ? うわ〜 早く見つけてあげてね〜
きっと痛くて泣いてるからさ〜
ガサッ
不意に間近で起こった音に、ぽやんと考えてた意識がはっきりする。
んん?
銀糸に縁取られた大きく見開いた碧色の瞳が、瞬時に結んだ焦点の前にあった。
「…………」
「…………」
へ~ 本当に虹彩に色ついて……
「うわ〜っ!」
ぐいんっと体が持ち上がる。
明るい場所に引っ張り出された。
両脇に手を突っ込まれて持ち上げられてる。
持ち上げているのは、銀髪の男の人。
腰の高さ辺りで植え込みが刈り込まれた庭で、男の人が4人くらい、植え込みに手を突っ込んだ状態で、こっちを見ている。髪が茶色かったり金色だったり。
服装も白いズボンに紺色の詰襟。金ボタンがついたりモールで縁取られたり、舞台衣装みたいだった。
というか、このぷらんとぶら下げられている状態でガン見されてるの、結構いたたまれないんだけど。
てか、ひとひとり持ち上げるって力持ちだな。
銀髪の男の人は、私を持ち上げたまま、固まっている。
「えっと…………」
間が保たず、へらっと笑ってみた。
「わ~! ほんと子どもだった!」
「うそ! マジっ!?」
「ほんと子ども!」
「団長、やっちまった〜っ」
「医務室! 医務室!」
くるん。
今度は体が横向きになる。、真っ青になった男の人に小脇に抱えられた模様。そのままものすごい勢いで水平移動が開始された。
今日はよくよくG方向が変わる日だな…………
+++
それから運び込まれた部屋で、手や足の小さな引っ掻き傷の手当てをしてもらった。
「すまなかった!」
そして目の前では、団長さんと呼ばれていた例の銀髪の男の人が、ガッチリとした体を折って頭を下げている。
似たような体躯の男の人が4人、後ろで苦笑しつつ立っている。さっき一緒に団長さんが蹴っ飛ばしたものを探していてくれた面々だ。
赤かったり茶色かったり金色だったり銀色だったり。
目も紺とか緑とか金茶とか。
…………ものすごくカラフルなんですけど?
特に一番違和感半端ないのが、腰掛けている寝台の横にある鏡に写っている自分だ。
まっすぐの肩までの銀髪。碧い大きな目。手足に巻かれた包帯の間から見える肌が、白い。
幼い少女。
そう。
少女。
なんで、しょうじょ。
…………おかしいな。
こんなサイズじゃなかったはずなんだけど。
改めて周りを見回す。
座っているのはベッド。ブロックでできた壁と床。天井に下がっているのはランプ。男の人たちの服装はかっちりとしつつも着崩した詰襟の制服、よれたパンツにブーツ。腰に下がっているのは、剣。…………剣だよね、多分。
ということはあれか?
今流行りの異世界転生ってやつ?
ちょっと待って。転生ってなに。死んだ覚えはないよ? 死んでない、はず。死んでないよねっ!? 猫かばって轢かれたり、通り魔に刺されたりしてないし! 階段落ちもないし!?
だいたい、転生したからって、なんでこんなキラキラ世界なの? 私の好みは和風なの。剣より刀よ、魔法使いより陰陽師よ! ドレスより着物なの、ブーツより草履や下駄なの! なのになんで…………!
「まあちょっと落ち着こうか」
あわあわしていたら、フワッとマグカップが目の前に現れた。立ち上る温かいミルクの匂い。
咳払い一つ。理性を取り戻したらしい団長さんが、頭ポンポンしながら差し出していた。
「ぬるくしているから飲めると思うんだが」
恐る恐る手を伸ばしてカップを両手で持つ。口をつけると、温もりが手と喉から身体に広がる。
ふわ〜………
「それでだな、名前を教えてもらいたいんだが」
…………名前!?
どうでも良くなって、考えることを放棄してしようとした瞬間、新たな問題が突きつけられた。
名前? 名前ってなに? いや、私のよね、それはわかってる。ついでに言うと、私が知ってる私の名前を言ったらダメなこともわかる。この見た目、言ったら絶対浮きまくる。答えなきゃいけないのは、「今」の私の名前だ。名前、なに? 私は誰?
これがもし異世界転生だとしてよ? だいたい設定ってものがあるじゃない。私は何? メインなのモブなの? モブなら適当でいいかもしれないけど、もしメインだったら下手に言えないじゃない。とりあえず言っておくにしたって、マーガレットだったりマルゲリータだったりマルガレーテだったりマルグリットだったりするでしょ。違うのを言っちゃったら後から訂正するの大変だし! だからって、何も答えないの変よね。自分の名前知らないなんてあり得ないし。どうしたら…………っ!
「あ〜、いいから飲め。ほら、まず飲んでしまえ」
またぐるぐるしていると、ポンポンと手のひらが落ちてくる。
団長さん。
この人もかわいそうな人だよねえ。
またずずっとミルクを飲みながら、ちらっと見上げたら、「よしよし、ゆっくりな〜」なんて言いながら、眼を細めていた。
三〇代かな? 四〇はいってない、たぶん。私と同じくらい。あ、「今」の私じゃなくて、私ね。この年で団長か、偉いなあ。頑張ったんだろうな。
…………私蹴っ飛ばされてない。それは断言できる。なのにこんなどこの誰かも本人さえわからない子どもに煩わされてさ。
気の毒すぎる。
「そうやってしてっと、なんか親子みたいっスね!」
「な…………っ、お前、なにふざけたことを! 俺はまだ独身だ!」
「あ、じゃあ、隠し子っスか?」
「あ〜、似てる似てる。髪が銀色のところとか」
「だったらお前もそうだろうが!」
「おれ、純情なんですよ、これでも。大人の世界はわかりませ〜ん」
「純情がぶちぎれるぞ」
「あ、ひどっ!」
…………仲いいな。
親子。お父さんかあ。
うん、それぐらいの年の差なのか。「今」の私とは。
じゃあ、私も本当だったらお母さんでもおかしく………… いや、考えまい。負けた気がする。
これぐらいのこんな感じの女の子って、お父さん、なんて呼ぶのかな。
お父さん。これはもうちょっと年上。
父上。ちょっと違う。
キラキラだから、お父さま? いや、むりむり。不相応すぎてぞわぞわする。
もっとこう、フワッとした感じで…………
そう。
「パパ?」
団長さんの袖を引っ張って言ったら。
「…………は?」
「ほら、やっぱり!!」
「違…………っ、待て!」
「大変だ〜! 団長に娘ができた〜!」
「待て〜っ!」
大騒ぎになった。