10年前
幼い頃は、ほぼ毎日と言って良いほど温田家にお世話になっていた。
仕事で忙しい私の両親に代わって、ずっと面倒を見てくれていたのだ。
家庭の味と言えば温田家の肉じゃがだと、自分の両親にも胸を張って言えるほどに。
2つ年上だった奏太は、当たり前のように私の遊び相手になってくれた。
だから、寂しい思いをすることもなかった。
ただ、奏太のご両親も共働きではあったが、奏太も含めて、みんなで協力して家庭を築いていたのがすごく伝わってきて、たまに羨ましくもなった。
でも、仲間に入れてもらえて、一緒に笑い合える人がいるというだけでも幸せだったのは事実である。
そんな中、急な別れが来たのが10年ほど前のこと。
私が小学6年生になった頃だ。
突然、母から奏太たちが引っ越したことを告げられた衝撃は今でも忘れられない。
なぜ私には教えてくれなかったのに母が知っているのか、という苛立ちもあった。
そして、もう小学校高学年なのだから、そろそろ自立してねと冷たく言い放たれた虚しさは、とても大きなものだった。
それから私は、1番の理解者を失い、何をするにも心にぽっかりと穴が開いたようになって、孤独しか感じることができなくなっていた。
きっと先ほど零れた涙は、そんな私の今までの気持ちが溢れた結果だろう。
「今まで寂しい思いをさせてごめん。きっと辛かったよね。」
奏太は八の字に眉を下げて、私の涙を拭う。
せっかくの再会なのに、奏太にこんな顔をさせてしまったことが申し訳なくて、
返事をしないまま、つい顔を逸らしてしまう。
すると奏太は、私の気持ちを知ってか知らずか、唐突に屈託のない笑顔を見せて、私の地雷を思い切り踏んだ。
「また音羽のピアノが聴きたいなぁ。」
確かに私は幼い頃からピアノが大好きで、彼の前でもしょっちゅう披露していた。
彼がきっかけでピアニストになりたいと思うことができたし、彼が1番その夢を応援してくれていたのもしっかりと覚えている。
でも、今はもう弾けないんだ。
「もうピアノは辞めたの。」
私は淡々とした口調で彼に言う。
「…本当に?」
「…うん。」
彼は私の本音を探るように、じっと瞳を見つめてきた。
あまりの真っ直ぐさに気圧され、じわりと汗が滲む。
だが、その時間は長く続かなかった。
「そっか…。じゃあ、今から良いところに連れて行ってあげる。来て。」
思いのほか深く詮索されなくて良かった、と力が抜けた瞬間、彼は急に私の手を掴み、勢いよく歩き出した。
背中から伝わる気迫に少し圧倒される。
何もわからず引っ張られるしかない私は、流れに身を任せるしかなかった。