一人で……
「寒くなってきたね、浸かろうか?」
円は僕の手を取ると湯船の中に導く。
旅先で元アイドルと混浴なんて、こんな気分でなければどんなに幸せで、どんなに恵まれた状態なんだろうか。
でも、今の僕にそんな余裕はない……。
円の執拗な誘惑に、僕の死への気持ちが揺らいでいる。
かといって、この後どうすればいいのだろうか?
そして、僕は一つの方法を思い付く。
円が寝た後に、あの薬を持って……そしてどこかでひっそりと……。
この宿だと、ここで死んだら円に迷惑がかかるから……。
「と、とりあえず……明日はどうする?」
「え?」
ぬるめのお湯に浸かりながら、僕は円を安心させるべく、明日の予定を問う。
「いや、ほら……まだその気にならないって言うか……だからもう1泊」
「えーー? そうだねえ、じゃあ一番北とか一番東とか?」
「ああ、良いかも……最北端でとか、なんか映画の世界だよね」
「ふーーん」
「え?」
「んーーん、なんでも無い、じゃあそろそろ出ようか」
「え? ああ、うん」
「そろそろご飯の時間だしねえ」
円はそう言うと僕の腕を取り、介助をしながら浴室を出る。
浴室入り口に置かれている棚から新しいバスタオルを取ると、円は僕に手渡す。
そして、そのままお互いに新しいバスタオルを手にして、部屋で着替えをした。
勿論、背中を向けていたので、円の裸は見ていない。
部屋の隣、個室に用意された豪華な食事を前に、僕は全く食欲が無い……。
でも食べなければと、円を安心させるべく、ご飯を無理やり詰め込んだ。
もうじき楽になれる、もう……これで余計な事は考えなくてよくなる。
僕の希望……僕の……最後の夢……。
ご飯を食べ部屋でゆっくりとくつろぐ。
円は相変わらず他愛も無い話を続けていた。
そして昨日同様に円が一緒に寝ようと言い出すかと用心していたが、今日は何故か大人しく「じゃあおやすみ~~」と言って早々に自分のベッドに潜り込んだ。
円も旅で疲れているのだろう……でも、これは千載一遇のチャンスと、僕もベッドで寝た振りを決め込む。
そして、2時間が過ぎた……隣から「スースー」と可愛らしい寝息が聞こえ始める。
僕はゆっくりと起き上がると、そっとベッドから降り円の様子を覗き見る。
円は枕を抱き締め、気持ち良さそうに寝ていた。
最後に彼女の可愛い寝顔を見れて、そして、彼女とこうやって旅が出来て、彼女と出会えて良かった。
そう思いながら僕は涙をこらえ、彼女を暫く見つめ、そしてそっと音を立てない様にベッドから離れる。
ホテルで用意されていた浴衣を脱ぎ、予め用意しておいた服を着ると、テーブルに置いてあった薬をポケットに忍ばせた。
音を立てない様に杖を持ち、僕は部屋の扉を開き廊下に出る。
シンと静まり返る廊下……僕は扉越しに部屋の向こうにいる円に言った。
「ありがと……」
できるだけ普通に、深夜の散歩に行くように僕はエレベーターに乗りロビーに向かった。
そして、ロビー脇にある自販機で水を買う。
ロビーには誰もいない、僕は誰にも見られる事もなく外に出た。
山あいの温泉街、都市近郊の温泉街と違いお店等は殆んど無い。
この時間では車も来ない。
暗闇の中、僕はゆっくりと進む……一応スマホは持ってきたが、万が一を考えて電源は入れていない。
場所を特定されたくないから……。
山の中に入るのは不可能、だけど出来るだけ人の来ない場所、そして出来るだけホテルから離れた場所を探しながら、暗闇の中をフラフラと歩いていく。
暫く歩いていくと、小さな川らしき場所にたどり着く。
そして小さな橋を渡り、その脇から草むらの奥にある林に入る。
そして、僕はそこでゆっくりと腰を下ろした。
木陰、草むらの上、道路からは完全に見えない場所……僕はそこでポケットから円の持っていた小瓶を取り出した。
「これで……終われる……」
ペットボトルの蓋を開け、小瓶の蓋も開く。
どれくらいの量なんだろうか? 二人分って考えれば半分飲めばいいのだろう……。
全ての準備を整え、僕は空を見上げる。
木の間から満点の星が見えた……最後の星空……。
そして暫く星空を見ていると今までの事が頭に浮かんで来る……。
これが走馬灯って奴なのだろうか? 走っている自分の姿、両親、妹、夏樹、小学生の時のライバル、陸上部の面々、会長、そして円……。
「あははは、そんなもんか……」
死ぬ間際に浮かぶ出来事が、顔がその程度しかない、僕はその程度の人生でしかなかった。
なのに……それなのに……。
ブルブルと身体が震える……すぐ目の前なのに、それで終われるのに……身体が手が動かない。
無理やりペットボトルを持ち上げ、口を付けようとするが、水が溢れて口に入らない。
怖い……怖い……怖い……怖いよ……。
涙がボロボロと溢れる、身体の震えが止まらない……。
怖い……これで全てが終わる……それが……とてつもなく怖い……死ぬのが……怖い。
妹の泣き顔、夏樹の呆れた顔、会長の怒っている顔が頭に浮かぶ……。
僕がここで死んだら、円に迷惑がかかる。
そんな言い訳が頭を過る。
「ち、畜生……」
中途半端、何もかも中途半端な自分、情けなくて、涙が止まらない。
結局僕は……死ぬことも出来ないのかと……泣き崩れる様にその場に倒れ込む。
「やっぱり、簡単には……死ねないよね……」
その声を聞いて顔を上げると、林の向こうから、白いワンピースを着た円が僕に向かって微笑を浮かべながら、そう声をかけて歩いて来る。
月明かりに照らされ、出会った時と同じ真っ白のワンピース姿の円は、本当に天使その者に見えた。