会長の思惑
「2分~~2、3、4、5、6」
窓の外から円のラップタイムの読み上げが聞こえる。
元アイドルグループにいた為か? 澄んだ声だが声量が半端ない。、
そんな円の大声を聞きながら、俺は何故か薄暗い部屋にいた。
「ど、どうかな?」
ここは陸上部の部室内、現在会長と二人きりで顔を付き合わせている。
少し汗ばんだ会長から、汗と制汗剤の香りが漂う。
「うーーん、もうちょい……やっても」
会長の問いに俺は……指でそれを指し示す。
「え……で、でも」
俺がそう言うと、顔をほんのりと赤く染め会長の息が荒くなる。
「もうちょい強めの方が……」
「そ、そう……貴方がそういうなら」
俺のその言葉に、会長の手が激しく動き出す。
「……いいかも……最高」
俺の言葉に会長は、満足下に微笑んだ。
「はあああああ、終わった」
「ご苦労様」
会長は激しく書いていた陸上部の練習ノートをパタリと閉じると安堵のため息をつく。
そう、今、俺は会長と来週の練習メニューを作成していた。
「はあ、助かったわ、キサラ先生にダメ出しされて……」
「先生は陸上には詳しくないけど、身体に関してはプロ並みだからね」
「そう、秒単位で無駄を指摘してくるのよねえ」
会長は姿勢を崩さず美しい所作でペットボトルに入っているスポーツドリンクに口をつける。俺は椅子の背もたれに背中を預けて天井を見上げる。
「まあ、長くやっても良いことなんて無いからねえ」
練習は深く短く、だらだらとやっても良いことなんて無い。
勉強と一緒でいかに集中してやるかが大事。
「でも、こんな量で大丈夫かなあ? もうすぐインターハイ予選だし」
「それくらいの練習量なら問題無いでしょ?」
「そっか……ふう、多くても駄目少なくても駄目……そんなに言うならもう自分で作って欲しいわ」
珍しく会長の口からため息と愚痴が溢れる。
「まあ陸上に関しては素人だから」
「……ふーーーん」
「ふーーーんって?」
「随分とキサラ先生の肩持つじゃない? 今度はキサラ先生狙い?」
「は? ね、狙いってなんだよ?!」
「陸上部では随分と人気があるからねえ、貴方は」
「ええ?」
陸上部では……か。
「前は私のメニューに素直に従ってた子達も、今は貴方に聞いたのか? って確認してくる始末」
会長は少し悔しそうに手をヒラヒラさせる。
「そ、そうなの?」
「貴方の作ったダイエットメニューが、学校の女子達の間で裏取引されてるし」
「いや、だからあれは」
「女心を擽るのか上手いよねえ、私も昔は……ってこれはいいわ」
会長は何かをいいかけ、途中で口を閉じる。
「別に擽ってるつもりはないんですけど」
「それが目当てな娘は別にいいけど、灯にはちゃんとしてあげてね」
会長は唐突に灯ちゃんの話を振ってくる。
その真剣な目付きに俺は少しだけ動揺した。
「ちゃんとしてって?」
「振るにしても付き合うにしてもって意味よ」
姿勢正しく椅子に腰かけていた会長はそう言うと少し姿勢を崩して足と腕を組んだ。
「付き合うって……そんな」
「何か既に色々と決めてるみたいだし……」
「……」
「ここに戻ってくるってのは、そういう事なんでしょ?」
「まあ……俺には、これしかない……ですから」
「そうかなあ? 人間は馬じゃないんだから、走る以外に選択肢は一杯あるんだから、そんな事無いと思うけど、まあ意地は通したいわよね」
「呪いみたいな物です」
「そうね……それで、いつその呪いは解けるのかしら?」
「来年……と言いたいところですけど、とりあえず国体迄にはなんとかしたいですね」
「予選は7月か……後3ヶ月しか無いわよ?」
「まあ、ギリギリですねかね」
「のんびりしたからって良いとは限らないけど……大丈夫なの?」
「多分……」
これから少しずつ負荷をかけていく。
問題なければ夏までには全力で……行ける筈。
「期待して良いのかな?」
会長はもう一度姿勢を正し慈愛に満ちた顔で俺を見つめる。
出会った頃とは真逆の目で俺を見つめている。
その顔を見て俺は苦笑した。
会長にそんな顔をさせてしまった事に……。
「じゃあ、行きましょうか」
とりあえずここでのんびりしている訳にはいかないと俺は立ち上がる。
「……待って」
俺が扉に向かおうとすると、会長はそう言って俺を引き留めた。
そして……。
「え?」
会長は俺の前につかつかと歩み寄り、俺の前に立つとそのまま俺の頭を両手で掴み自分の胸に引き寄せた。
「大丈夫……私はちゃんと見てるから……どんな結末でも」
会長の甘い香りが俺の鼻腔を擽る。
甘い汗の香り……制汗剤の香り……そして会長の胸の感触が……感触……が。
「えっと……痛いんですけど……」
「あ゙?!」
『あ』に濁点がついたような声が頭の上から降ってくる。
「いや、感触が……痛いんで」
「ううううう、うっさい?! あ、貴方のダイエットメニューのせいでしょ?!」
「あーー」
それでか……。
「あーーーって言うな!」
「いや、まあ……そうなりますよね」
そう……そうなのだ。俺の作った冬のメニューは体力増強、筋肉増量、そして脂肪を落とす。この3点。
普通の女子ならいざ知らず、会長ぐらいのアスリートが真面目にこなせば、とことん迄削られて行く。
短距離にとって、脂肪は重りなのだ。
「せ、責任とりなさい!」
会長は俺を引き離すと、首を前後に揺さぶり真っ赤な顔で涙目で俺に訴えかけた。
「せ、責任って」
何でだよ?! てか、酔うからやめて……。
会長の腕の力を一身に受け、奇しくも筋肉増強の確認が出来てしまう。
そもそも会長の胸がちっぱいになった責任ってどう取れば良いんだよ?
円みたいに俺が手術費用を出すのか? なんのだよ?!
「インターハイ予選……これで勝てなかったら責任……取ってよね!」
会長は真っ赤な顔で、俺にそう言う。
「……いいよ、予選落ちしたら、なんでも言うこと聞くよ」
「い、今なんでもって言った?!」
「ああ」
「……もう、そういう所だけは自信満々なんだから」
わざとじゃ無い限り落ちる事は無い。
そして会長はそんな事はしない。
つまり、絶対に予選落ちする筈は無い……そう思いながら会長に背を向け俺は自分の練習メニューに満足しつつ部室の扉を開けた。
「最近スタート……合わないのよねえ……」
部室から出た俺の後ろから会長がポツリとそう呟く……。
そう……100m走の恐ろしい所……フライングは一発失格、その瞬間全てが終わるって事を俺は……失念していた。
え? フラグじゃ無いよね? 俺……なんでもって言っちゃったけど?!




