18.襲いかかる脅威
「まだ、騎士に成り立ての頃の、話だ」
グレゴリオはそう前置きし、遠くを見つめる。まるで目の前で過去の出来事が再生されているかの様に。
ジャンは口を閉じ、グレゴリオの次の言葉を待つ。待つしか、出来ない。
「遠征の途中、湿原を通らなければならなかったのだ」
* *
前日から細い雨が降り注ぎ、地面はぬかるんでいた。
霧雨はしっとりと確実に地を、人を濡らした。
そんな時、騎士団の遠征先は湿地を超えた先にあり、回避する道などなく、止むを得ず湿地を突っ切る事となる。
馬を駆り一気に抜けようとしたのが悪かったのか、元々雨で地盤が緩んでいたのか、今となっては分からないが、騎士団が湿地に入って暫くしてから轟音が響いた。
馬が暴れ、何人もの騎士が落馬した。
泥濘に落ち、暴れる馬に蹴られない様にと泥塗れになりながらもがく。
地面は揺れ、泥は生き物みたく口を開いたのだった。
「おい、なんだこれは!」
「くそ…!泥が重くて動けない!」
「地面が、地面が落ちているぞ!」
「動けるものは早くここから離れろ!」
阿鼻叫喚。
騎士の叫び声と、馬の嘶き。混じり合ってそれらはまとめて泥に飲み込まれた。
逃げ遅れたグレゴリオもまた、泥の中へと。
馬と仲間の悲鳴が遠くに聞こえる。
じとりと冷たい泥はじわじわと体温を奪う。
纏わり付く重みと冷たさは体力をごっそりと持ち去る。
口の中がざらつく。泥が入り混んでいた。
呼吸をしているのか、もうグレゴリオには分からなかった。
身体の震えは止まらず、思い通りに動かすことは出来ない。睡魔がグレゴリオを絡め捕ろうとしていた。
それは、永遠の眠りへの片道切符で。グレゴリオはそれを無理やり押し付けられていた。
眠ってしまいたい。でも、駄目だ。
此処で眠ると、二度と目が覚めなくなるだろうと理解していた。
死は音もなく忍び寄り、グレゴリオの首に手をかけてほくそ笑む。
町に残した恋人を、残しては死ねない。歯を食いしばった拍子に口に入り込んでいた泥を噛んだ。
『生きて帰ってきてね』
そう言って彼女が頬に触れた熱を覚えている。
死ねない、ここで死ぬわけにはいかない。
泥に埋められ、いつ救援が来るかは分からない。
水分を多分に含んだ泥をどかすには時間はかかるだろう。
それでも、グレゴリオは希望を胸に宿し、諦めない事で命を繋ごうとした。
それが今出来る最善なのだと、そう信じて。
けれども、迫りくる睡魔は容赦なくグレゴリオの意識を奪おうとする。一瞬意識が飛んだその時、轟音と共に身体が投げ出されるのを感じていた。
随分と長い間更新が止まってしまい申し訳ありませんでした。
スランプだったり、仕事や私生活でトラブルが起きたりでストックはあまりないのですが、放置期間が長引くほど書けなくなりそうな気がしたので更新再開させていただきます。