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話題メーカー

作者: 村崎羯諦

どうしたってもう、コミュニケーションは楽しい!

 結局人々が求めているのは、胸を打つようなCMでもなく、思わず口ずさんでしまうようなメロディでもなく、できるだけたくさんの人とできるだけ長い間おしゃべりできるような『話題』である。そのことにようやく気がついた広告代理店が、話題メーカーなるサービスを開発した。


 仕組みはいたって簡単。サービス登録者全員に、一定の頻度である話題が通知される、サービス利用者は一斉に、広告代理店が提供したSNS上でそのことについてあれこれと感想や意見を言い合う。それだけ。システムは話題の盛り上がり具合を監視していて、みんながその話題について飽き始めた頃合いを検知すると、すかさず別の話題を全員に通知する。参加者は新しく通知された話題についておしゃべりをする。参加者が飽きたらまたシステムが話題を提供してくれる。それの繰り返し。


 開始時は絶対にこけると思われていたサービスは意外というか当然というか、沢山の人に受け入れられた。利用する人が増えれば、それだけたくさんの人とおしゃべりできる機会が増えるということもあって、サービスはどんどんどんどん大きくなっていった。おしゃべりをするだけではなく、話題をもとに動画を撮ったり、お絵かきをするなどコミュニケーションは種類、量ともに拡大していき、それと同時にサービスの多角化というものも進んでいって、各人のニーズに合わせた話題とそれ用のコミュニケーションの場が提供されていった。例えば、アニメや漫画が好きな人向けの話題とか、アウトドアが好きな人向けの話題とか政治や経済が好きな人向けの話題とかエトセトラ。


 箇条書きされた話題さえあれば人々は満足するのだから、わざわざ沢山の労力をかけてCMやアニメを作る必要はなくて、想像しがいのある、おしゃべりのしがいのある属性とか設定だけを話題として提供しさえすれば、後は勝手にみんなが好き勝手に盛り上げてくれる。そのことを察した賢いクリエイターたちは一斉に話題メーカーに乗り込んでいった。作り手としてもわざわざ時間をかけて作品をつくる手間が減るし、十分に目の肥えてしまった受け手側も、コストパフォーマンスを考えれば、みんなとお喋りしたほうがよっぽど楽しいのだから、これ以上ないくらいにウィンウィンな関係ができあがっていった。


 そして、これは別に作品だけの話じゃなくて、外の分野にもどんどん拡散していった。でも、別にこれは当然といえば当然だった。娯楽や感動がなくても人は生きていけるが、コミュニケーションがなければ人は生きていけない。そして何より、どうしたってもう、コミュニケーションは楽しいのだから!



***



「結局コンテンツの中身は考慮されず、全てがコミュニケーションツールとしての価値でしか測られないのは間違っている。言葉を失ってしまうような作品も、深みのある音楽も作られることはなくなり、大衆に迎合した、中身のないパロディ作品だけが溢れかえっているのは病的でもある。瞬間的な享楽のみで満足する人々が増えてしまったことは人としての深みを失わせてしまいかねない。確かに我々は昔より退屈することは減ったかもしれないが、その代償として精神的な豊かさというものを失ってしまったのではないだろうか」


 A氏が意気揚々と主張すると、それに何人もの人間が「そうだそうだ」と賛同の声をあげる。しかし、A氏の主張に対して、B氏が反論を加える。


「しかし、コンテンツの良さというものも結局は各人の効用を最大化させるという点で正当化されるのであれば、結局、目的に達するための手段が異なるという違いしかないと言えるのではないだろうか。コンテンツの中身の良し悪しがコミュニケーションツールとしての良し悪しよりも重視されるべきという主張は客観的とは言い難く、ただ自分が気に食わないというだけという主観的な価値判断になっているのではないだろうか?」


 A氏はそれは違うと再反論を行う。


「あなたが述べる客観的という指標は得てして統計的手法に基づく数字的な指標に基づくものであって、それをすべてのコンテンツに対する評価基準として用いるのは間違っているの。さらに精神の涵養は毛づくろい的コミュニケーションによって実現するとは言い難く、未知なる感動によってのみ自己の精神を高みに近づけることができるのであって、コミュニケーションは短期的な効用を高めることはあったとしても、長期的に考えた時、結果的に我々は精神の成長という観点で効用を逸している。何をもって主観的とすべきかというのは議論の余地があるが、卑近な例をあげるとするならば、芸術の価値というものを考えた場合、コミュニケーションツールとしての価値を超えるような、コンテンツとしての価値を想定できるとしても不自然ではないのではないだろうか」


 A氏とB氏の議論を聞いていたC氏がここで自分の意見を挟む。


「A氏は各人の効用を最大化させることが最終的な目標であるということには同意している。ただA氏は

、どれだけ効用最大化できるかという点について、精神の成長?みたいなものを重視していて、それを実現できるのはやはり体験したことのないようなすばらしい作品に触れる必要があるんだと言っている?」


 C氏の質問にA氏は若干簡略化しすぎているきらいがあるが、大枠についてはC氏の言うとおりだと説明する。


「みんなは忘れたのか。子供のときに夢中になって見た映画やアニメを。興奮のあまりなかなか寝付けなかったその日の夜のことを。語り合うために好きになるのではなく、好きだからこそ、それを誰かと語り合いたい。その気持ちを、私は絶対に手放したくない」


 A氏がそうつぶやくと同時に、数多くの賞賛の言葉が投げかけられ、数多くの『いいね』が送られていく。議論の相手だったB氏は反論することもできず、何の反応もない。A氏が送られてきた『いいね』の数を確認すると、自己ベストを大幅に更新する数であることを知り、思わず顔がにやけていく。


 そして、議論が煮詰まったちょうどタイミングで、『現代社会』ルームにいるサービス利用者全員に、話題メーカーからの新しい話題が通知される。A氏はすぐさま、通知内容を確認した。次の話題は『原子力発電所』だった。


「次もまた、()()()()()()()()()話題だ」


 A氏は嬉しそうにそうつぶやくと、意気揚々と自分の主張をルーム上に展開していくのだった。

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