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思考機械は夢を見ない  作者: 垂平 直行
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第四章 ミカ 信じるべきもの

 思想犯罪捜査班のデスクにいつもの騒がしさは無かった。

 四人のうち二人がいなくなっているのだから、それも仕方が無いのかもしれない。

 

 ミカは机に肘を突いてぼんやりと宙を睨んでいた。

 

 隣の殺人課にも、すでに人はいない。

 すべては夕方に入ったある情報が原因だった。


『本日の深夜未明、地下空間にて武装集団が何らかの作戦を行うらしい』


 これは、ルナの行方を追っていた殺人課の刑事の一人が情報屋から聞き出したものだ。

 本来ならば情報の信憑性を疑って慎重に吟味すべきなのだが、武装集団の名前が『黒山羊協会』であるということがわかると、署内にいっきに緊張が走った。


 『黒山羊協会』がモンテロ殺害事件から始まる一連の事件に関与しているのは明白だった。特に、直近の事件では現場で銃火器を使った痕跡が見られているのも、この情報の信憑性を裏づけしていた。


 そのうえ、『黒山羊協会』は署内に侵入して被疑者を連れ去ったという疑いがある。警察としては何としてでも確保したい相手であった。


 すぐに対策会議が開かれ、特殊部隊の導入、殺人課の刑事も相当の武装をもって『黒山羊協会』を迎え撃つことが決定された。


 ミカやマークは今回の作戦からは除外されている。

 二人は殺人課の刑事ではないこと、脱獄騒動があったため署に人員を多く残しておきたいこと、もしものときの連絡役など、様々な理由がクレマンから語られたが、要するに体のいい厄介払いだった。


 クレマンも行ってしまい、ミカとマークはやることもなく取り残されてしまったというわけである。


「ほら」

「ヒャッ!」首筋に突然冷たいものを当てられ、ルナは声を上げた。「なんですかいきなり! ……コーヒー?」

「暇だからね。差し入れ」

「普通に渡してくださいよ……いただきます」


 プシュッと缶を開け、一口流し込む。

 缶コーヒー特有の甘ったるさが口のなかに広がった。


「まったく、待機なんて退屈だよね。こんなのだったら、さっさと帰らせてくれればいいのに」

「それで飲みに行くわけですか?」

「正解。ミカちゃん、わかってるじゃん」

「はあ。そのうち身体壊しますよ」


 そのように答えるミカも、待機という任務に満足しているわけではない。

 結局、マークとの捜査でもモンテロの足取りや『黒山羊協会』についての情報は掴めなかった。

 加えて、ルナが署から連れ去られたという事実が、ミカの精神状態を著しく不安定にしていた。

 先ほどから何度も無意識にため息が漏れてしまう。


「ルナっていう娘のこと、気にしてるの?」

 何気ない様子でマークが尋ねる。


「もしルナさんが『黒山羊協会』に連れて行かれたのだとしたら、それは彼女が署に来るきっかけを作った私のせいです」

「そうかな? 警察の警備を突破する相手だ。レイジのそばにいたとしても、いずれは同じ結果になったと思うけど」

「いや……レイジさんなら、きっとうまくやったと思います」

「おや、ずいぶんとレイジを評価しているんだね。本人に言ってあげれば喜ぶと思うよ」


 マークの軽口に、今は乗れる気分でなかった。

 頭のなかでは未だに葛藤が渦巻いてる。

 何が正しい選択だったのか。

 クレマンの命令を拒絶すれば良かったのか。

 レイジを信じ、ルナのことを黙っているべきだったのか。

 クレマンに報告する前に、もっとレイジと話し合うべきだったのではないのか。


 数多の仮定が頭のなかで浮かんでは消えていく。

 何が一番合理的で、一番良い結果を出せた選択肢だったのだろう。

 仮定の問いに意味は無い。すでにミカは選択を決定し、結果は出ている。

 意味があるとすれば、その結果何が起きるのかということだ。


(もし、『黒山羊協会』が本当に武装部隊を突入させて、警察が交戦するようなことがあれば、もし、そこにあの怪物が現れたら……)


 クレマンには作戦の中止を進言したが、まともには取り合われなかった。

 危険が迫っていると判断したら撤退する、とは言っていたが、実際に戦闘が起きてしまえば逃げる余裕などあるかどうか疑わしい。


 かといって、ミカにはそれ以上作戦の実施を止めることはできなかった。


 殺人課の面々の士気は高い。すでに四人の死者が出た事件でやっと手に入った重要な手がかりなのだ。まして、相手は警察を嘲笑うかのように署から被疑者を連れ去っている。いかに危険といえど、この好機を逃す手は無い。それに、彼らが悪魔の存在を信じるはずなどない。ミカがいくら言っても、おかしくなったと思われて終わるだろう。


 それでも、仲間が死地に行くのをむざむざ見送ったという事実に変わりはない。

 これがミカが行動した結果だとすれば、それは彼女が望んでいたものとはずいぶんとかけ離れていた。


「ミカちゃんは、なんで思想犯罪捜査班に入ったんだい?」

「へ?」マークから突然発せられた問いに、ミカは面食らった。「なんですかいきなり」

「いや、いつかは訊こうと思っていたから、いい機会だと思ってね。ほら、この部署って自分から志望しないと配属されないじゃん」


 たしかに、思想犯罪捜査班は『配属された者がすぐに転属を求める』、あるいは『警察自体をやめてしまう』ということが続いたため、現在では希望した者しか配属されないという噂があった。

 事実、ミカも思想犯罪捜査班を自ら志望して来ている。


「そんなこと知ってどうするんですか」

 睨むようにしてマークを見つめる。

「女の子がそんな怖い顔するもんじゃないぜ。別に深い意味は無いよ。ただ、ここに来る人ってだいたいみんな同じような理由で来るんだよね」

「同じような理由、ですか?」

「ああ。レイジみたいなのは特殊だね。だから長続きしてるのかもしれないけど。他はだいたい一緒。みんな、思想犯罪者――テロリストや危険思想保持者が憎くて来るんだ」


「ッ!」

 ミカの心臓がチクリと痛む。

「テロで家族や恋人を失った者、危険思想団体に身内を連れて行かれた者、まあ、理由は色々だけど、たいていはそういった連中が許せなくて、復讐するために来て、すぐにやめていく」

「どうして……」喘ぐようにしてミカは訊く。「どうして、すぐにやめていくんですか? 今回の事件の私みたいに、本物の怪物を見てしまったからですか?」

「それもある。たいていの人は怪異の存在なんて信じないで来るからね。本物を体験すると、途端に怖くなるんだ。でも、理由はそれだけじゃない。

 ――多くの人は自分が間違っていたことに気づくからさ」


「間違っていたことに、気づく?」

 マークの言葉の意味が、すぐには理解できなかった。

「そう。自分たちが否定していた神秘が、オカルトが、この世に存在していることに気づくんだ。それは同時に、自分たちが無下に弾圧し、嘲笑し、復讐を誓った相手の主張に、少なからず正しさがあったと知ることを意味する」


(相手の……思想犯罪者の正しさ?)

「ですが!」ミカは声を荒げる。「だからといってテロや犯罪が許されるということにはならないでしょう!」

「それはそうさ。どんな主張であれ、罪の無い人を傷つけていい理由にはならない。でもね、これまで一方的に自分が正しいと思っていた人間が、相手にも事情があり、主張があり、正当性があることを知るんだ。そんな相手を今まで通りに断罪するのは、よほど強い信念がないとできないことだ。迷いが生じるのも仕方が無いと思わないかい?」


「それは……」

 頭に浮かんだのはルナのことだ。

 交わした言葉は二、三言に過ぎない。それだけでルナの思想や人間性が推し量れるわけがなかった。


 それでも、考える。


 ルナは断罪されるような悪人だったのか、と。


 ミカに洋服を借りて礼を言う彼女。

 レイジのことを頼む、と真剣な顔で告げてきた彼女。


 彼女を一方的に裁く権利が、自分にあったのか。

 二人を隔てる明確な境界は、本当に存在していたのか。


(……ああ、私は今更になって迷っている)

 以前は躊躇いなどなかったはずだ。

 思想犯罪者は憎むべき敵であり、危険思想はこの世から消し去るべきまやかしだと信じてきた。

 そのはずだった。


「……私の両親と弟は,危険思想保持者に殺されました。私が十四歳の頃です」

 気がつけば、ミカは訥々と語り始めていた。


「父は議員でした。詳しい事情は覚えていませんが、危険思想規正法の制定のために精力的に活動していたのが襲われた理由だったと聞いています。

 危険思想保持者たちは真夜中に私の家に押し入り、父と母を銃で撃ちました。そのあとで、私と、八歳の弟のことも。逃げていくとき、奴らは家に火をつけていったんです。

 私たちはみんな即死ではありませんでした。苦痛が長引くよう、わざとそうしたのでしょう。両親は、私と弟を逃がすため、最期の力を振り絞って、燃え盛る家から私たちを外に押し出してくれました。その結果、私は一命を取り留めましたが、幼い弟は煙を吸い込んでいたこともあり、病院で亡くなりました」


「それが、警官を志したきっかけ?」

 ミカはこっくりと頷いた。

「今でも夢に見るんです。私に、両親に、弟に銃口を突きつける男たちの顔が。(わら)っているあの顔が……男たちは捕まりましたが、そんなことに意味はありません。両親も弟も、もう何もかも帰ってこないんです。

 だから、私は決めました。同じ目に遭う人をもう生み出してはいけない。危険思想を持つ人間を野放しにしてはいけない。その全てを捕らえる者になろうと、そう決めた……はずなんです」


 気がつけば、目からは涙がとめどなく流れていた。

 涙を止めようにも、自分がなぜ泣いているかが理解できない。

 頭のなかでは様々な感情が混ざり合い、激しく波立っていた。


 ポン、とマークの手が肩に置かれる。

「ミカちゃんは自分と同じように思想犯罪で苦しむ人たちを救うために警官になった。それは何も間違っちゃいない。もっと個人的な理由で……純粋な憎しみと復讐心だけで犯罪者を裁こうとする人間だってたくさんいる。それに比べれば、キミは立派なものだ」


「でも、私は今何が正しいのかわからなくなっているんです」

「それはキミが理屈で考えすぎているからさ」

「え?」

 唖然とした顔でマークを見る。


「キミは頭が良いから、理屈で”正しさ”を考えているんだろう。だが、そんなものはどうでもいいんだ。大事なのは、自分がどうしたいか。自分が何を信じたいかなんだよ」

「理屈じゃないなんて……そんなの危険思想保持者と変わらないじゃないですか」

「全てに理屈を求めることの方がおかしいんだ。人間は機械じゃない。自分の価値観くらい、好きに決めていいはずだ」


「ですが、選択することによって良い結果と悪い結果が生まれます。それはつまり、選ぶべき”正解”があるということでしょう?」


「ある程度はそうさ。だけど、人間は完璧じゃない。全ての選択肢を把握することも、それがもたらすことを完全に予測することもできない。TMだって同じだ。

 正解がわからない以上、選択することには失敗のリスクが伴う。要するに博打なんだ。どれだけを試行錯誤しても、失敗する可能性は残る。結果しか見ないなら、失敗した時点でそれは”正しくない選択”なんだろう。

 だけどね、人間は自分のあり方や信念を自由に決めることができる。それに基づいて選択し、仮に失敗したとしても、それは”正しい行いをした結果”だと納得することができるんだ」


「……そんなの詭弁じゃないですか」

「そうかもしれない。誰だって、失敗すれば後悔するし、反省もする。だからといって、いつまでも選択から逃げ続けることはできない。もちろん、より良い結果を出すために努力することには意味がある。だけど、それは自分自身の思いを無視していい理由にはならない」


「なら、私はいったいどうすればよかったんですか!」ルナは叫ぶ。「私はただ、事件を解決したかっただけなんです。レイジさんやルナさんを捕まえたかったわけでも、憎んでいたわけでもない! 私は……」


(レイジさんを裏切りたくなんてなかった……!)


「過去は戻らない」優しく諭すようにマークは語る。「どうすればよかったかなんてことはわからない。もしかしたら、はじめから正解なんてなかったのかもしれない。大事なのは、いつだって未来のことだ。ミカちゃん、キミはこれから何をすべきだと思う? 何を信じ、何をしたいと思う?」


 マークの問いを頭のなかで反芻する。

 この状況で、自分は何をすべきなのか。

 何を信じ、何をしたいのか。


「私は……」ミカは躊躇いながら、自分の思いに従って決断する。「レイジさんを、レイジさんの執念を信じます。ルナさんを追い続けたレイジさんなら、きっとルナさんを見つけられるはずです。私は……ルナさんを助けたい!」

「なるほど。それで、ミカちゃんはどうするつもりなんだい?」

「それは……レイジさんに会ってきます!」

 すぐにでも飛び出そうとするミカを、マークは慌てて止める。

「待ちなよミカちゃん! そのまま行ったって留置所はロックされて入れないよ」

「あ……」

「まったく、さっきまで散々ウジウジ悩んでいたくせに、やると決めたら考えなしに行動するんだから」

「でも、じゃあどうすれば……」


 マークは上着の内ポケットに手を入れ、一枚のカードを取り出した。

「留置所のドアと牢を開くカードキーだ。ちょっと拝借してきた」

「マークさん、最初から……」

「飛び回っているTMにはミカちゃんの顔が登録されているはずだから、中に入ったとしてもセキュリティが起動することはないだろう」

「ですが、留置所のドアを開いた時点で管理室に通知が行くのでは」

「そこは僕に任せなよ。華麗なトーク術で、管理室のみんなの注意を引いておくから」

 自信満々に笑うマークに、ミカは微笑で返した。


「マークさん、何からなにまで、ありがとうございます」

「良いさ。代わりに、今回の事件が片付いたらサラちゃんに僕のことを良く言っておいてよ」

「お安い御用です。なんだったら食事会までセッティングしますよ」

「本当かい!? よーし、俄然やる気が出てきたぞぉ。あ、あとこれ。レイジのTMと拳銃。きっと必要になるから」

「はい――では、行ってきます!」

 勢いをつけ、ミカは足を踏み出した。




 薄闇のなか、レイジは眠らずに座り込んでいた。


 とてもではないが、眠れる気分ではない。

 ルナの身に刻一刻と危険が迫っている。すぐにでも彼女を探しに行かなければならないのだが、単独で牢を抜け出すことは不可能だ。


(もう、俺にできることはないのか……ッ!)

 ギリッと奥歯を噛み締める。


 考える時間だけは膨大にあった。

 そのなかで、黒山羊の正体と『黒山羊協会』の目的について、ある仮説が生まれていた。


 だが、今やそれを確かめる手段も、伝える相手も存在しない。

 あるのは最早どうしようもないという無力感だけ。

 打ちひしがれながら、レイジはただ夜明けを待っていた。


 監視用のTMがレイジの挙動を確認するために牢を覗く。

 無機質な(レンズ)をレイジはギロリと睨み返した。

 TMは何の反応も示さない。

 問題が起きていないと判断すると、そのまま方向転換して次の牢へと移動を開始した。


 その時、異変が起きた。


 かすかな電子音、直後にドアが開く音がした。

(なんだ、こんな時間に?)


 侵入者を感知し、TMが一斉にドアの方を向く。

『対象を認証。ミカ・アマネ巡査。警戒を解除。巡回を再開します』

 TMから機械的な声音が発せられる。


「……ミカ?」

 突然の事態に、レイジは混乱した。

(どうしてミカがここに?)


 ミカはまっすぐにレイジの牢まで歩いてきた。

 レイジは呆けた顔のまま、ただその姿を眺めている。

 ミカがカードキーをパネルにかざすと、カチャリという音と共に鍵が外れ、牢が開いた。

「ミカ……お前、なんで……」

「話は後です。まずはここから出ましょう」

 ミカから手が差し伸べられる。


 一瞬の逡巡。


 レイジはその手を掴むと、再び立ち上がった。

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