出会い
――ごめん、シャロ。兄ちゃんここまでみたいだ。
俺は暗闇の中、そう呟いた。
「なっ……!?」バローズの声だ。声から伝わったのは動揺。
一体何が起きたんだ? 暗闇の中、俺はゆっくりと目を開けた。光のある世界で俺の目の前に立っていたのは、見知らぬ女だった。
長い髪を髪留めでまとめて、細い足なのにしっかりと地面を蹴っており、どこか神々しいオーラが出ている。
「なんだっ。てめぇ」
女はバローズが振り下ろした力いっぱいの棍棒を片手で止めている。
「見てて気持ち良くないねぇ。あんた。恥ずかしくないのか? こんな餓鬼んちょ一人に大の大人が集団でいじめてさぁ?」
「あぁ? てめぇには関係ねぇーだろう? それにこの餓鬼はただの餓鬼じゃね。こいつは差別対象だ。俺ら人間より格下の存在。殺そうが、ストレス発散に使おうが、誰も止めねぇ」
「ちっ。だからこの都市はダメなんだ。差別対象だの格下だの、そう言ったつまんない思想が出回ってるからこの都市の奴らは抜け殻見てぇにつまんないんだよ」
女は舌打ちをした後に、赤い感情を乗せた声を吐いた。
「ふん」バローズは鼻で笑う。「てめぇも本当は奴隷都市にこいつを売りさばくつもりだな?」
「はぁー」女は呆れた息を吐く。「んなのに興味ないね。私はただ、この腐った都市と闘った餓鬼が勇敢に思えただけさ」
「そうか。まあどうだっていい。俺に歯向かった事、後悔させてやるよ。さぁ、死ぬ前に名を名乗りな?」
バローズは棍棒に力をより込める。徐々に女の腕が押されていくのが分かった。
「ここ、見て分らないか?」女は自分の首元を指さした。
バローズは目を細くして女の首元を見つめる。
「首元に蝶の刺青。そうか。解ったぞ。お前、ノムだな?」
「せいかい」
「なら俺に歯向かった行動も理解した。この都市で少し頭のネジが飛んでるイカレた女で有名だもんな?」
「イ、イカレてる……!? ま、まあいい。他がどう言おうと関係ないからねぇ」
「残念だよ、ノム。同じ有名人としてこの都市を盛り上げて来たと言うのに、ここで一人仲間が消えちまうなんて」
「あんたと同じ部類にしないでくれるかな? もっさり髭の男爵さん?」
「ふん。死ね……!」
バローズが棍棒を叩きつけた。
砂煙が舞って状況が分からない。舞った砂煙が雨によって浄化されていく。そこには棍棒を地面に叩きつけたバローズの姿しかなかった。
「どこ行った!?」
バローズがそう呟くと、バローズの後ろで男の悲鳴が響く。一つ、また一つと苦しそうな男の声が空気に乗ってバローズの耳に届く。
バローズはすぐさま後ろを振り向いた。
バローズの視界の先にあったのは、先ほどまで会話をしていた仲間が倒れて行く光景であった。そしてその中心に華麗に立つ女――ノム――がいた。
「て、てめぇ。やってくれたな!」
バローズの声が周辺の空気をピリつかせる。そしてバローズは赤い感情に身を任せてノムに突っ込んで行く。
「無駄だよ」
ノムは華麗な動きで怒りの感情が宿った棍棒を避ける。その姿は上品に踊る踊り子の様だった。
バローズは鼻息を荒くし、棍棒を振る。しかしノムに当たる気配はない。
古い屋台が倒され、近くの家に棍棒が突き刺さる。バローズの怪力が常人以上だと証明するには十分だ。一撃でも当たったらひとたまりもないぞ。
バローズが力いっぱい振った棍棒を避けたと同時にノムが行動に移した。まるでノムを中心に渦が巻くように綺麗な一回転で回し蹴りを決めた。
「――フハハハハハ! 残念だったな。隙を作ったのはワザとだ」
バローズの鍛え上げられた太い腕がノムの蹴りをガッチリと受け止めていた。バローズは勝ちを確信して棍棒を振るう。
「残念なのはあんたの方だよ」
すぐさまノムは棍棒を避ける動きをして、振り下ろされたバローズの腕に乗った。そしてバローズの顔に蹴りを一発入れる。
「ぐっ……」バローズが一歩下がる。ノムは見逃さずもう一撃攻撃をする。
しかしバローズは余裕の笑みを浮かべている。決定打にはなっていない。それもそのはずだ。ノムの体は細い。脚も腕もとにかく細い。そんなノムから出される攻撃は、頑丈な筋肉を持つバローズを破る事が出来ない。
ノムが一度背後の俺を見つめた。「じゃあ遊びはここまでにしようか。餓鬼んちょの体力も心配だ」再びノムがバローズへと顔を向ける。
「ほぉ? やれるものならやってみな」バローズが突進する。
「発動せよ」ノムが拳を心臓に当てて呟く。
逃げろ。死ぬぞ。
バローズが両手で棍棒を握る。片手の時とは破壊力が桁違いになるのが判る。
「しねぇぇぇぇ!」
バローズが空気を切るように横に棍棒を振った。
ノムは微動だにせず、細い腕をスッと出した。
終わった。
俺はそう思った。いや、俺以外もきっとそうだ。この状況を見てる奴らならそう思うはずだ。
しかし現実は違った。ノムの細い腕に当たった棍棒はガラスが飛び散るように粉々に砕け散った。
「……なっ!?」
異様な光景に目を疑うバローズ。そのはずだ。この空間にいる奴ら全員が想像しなかった事が起きたのだから。
「終わりだ」
動揺が宿ったバローズの懐に入り、ノムが拳を押し付けた。それは先ほどまでのノムの攻撃とは格が違った。
ノムの拳がバローズの腹にめり込むと、バローズは十メートル近く吹き飛んで行った。続けてノムは、バローズが立ち上がる前に蹴りをお見舞いする。バローズはまたしても大きく吹き飛び、壁に激突する。
どういう事だ。誰かが呟いた。本当にどういう事だ。ノムの攻撃をものともせずに受けていたバローズがいきなり吹き飛ばされ血反吐を吐いている。形勢逆転というべきなのか?
「お、お前まさか……〝カプセル〟持ち……だな?」
「そうさ。わたしのカプセルは超怪力」
「クソッタレ。んな奴がこの都市に――」
バローズが喋っている時には既にノムはバローズの前に立ちはだかっていた。そしてゴキゴキと骨を鳴らし、手でバローズの顔を覆う。
「喋んなくていいさ。お前には選択肢をやる。ここで死ぬか、この場を立ち去るか。どっちがいい? 賢い選択を期待してるぞ?」
「……くそっ。覚えとけよ?」憎しみの眼でバローズがノムを睨む。フラフラな足取りでノムから距離を取っていく。「お前もだぞ。差別対象」バローズは血よりも濃い赤い感情で俺を睨んだ。憎しみという言葉では収まらない眼であった。
「ふぅ。よくあの状況で捨て台詞を吐けたもんだ」腰に手を当て、やれやれと一息つくノム。「って、忘れてた。おい、大丈夫か?」
ハッと顔のパーツを上に上げて、思い出したかの様に俺に近寄って来るノム。
ノムは俺の顔を力強い瞳で見る。「おい、安心しろ。私が助けてやる……お前ら。見世物じゃねーぞ。散った、散った!」ノムが辺りの人たちに牙を剥いて叫ぶ。
「……ロ」
口を開けるがうまく言葉が出ない。
「あぁ、わかった。今、私の家に連れて行くから喋んな。死ぬぞ」
「……ロ。妹が……」振り絞るように力のない声を漏らす。置いて行くわけには行かね。俺の事をあいつは待っているんだ。
俺はノムの服を掴んで、涙を浮かべて言った。
「妹が……いる。シャ……ロを置いていけねぇ……」
「妹がいるのか? どこだ。その子はどこにいる!?」
だんだんと声が遠のいて行く。水の中に落ちた様に辺りが暗く、音がだんだんと静寂に飲み込まれていくのが分かる。
俺は誰に助けを求めたんだ? あの女は誰だったんだ?
記憶が擦れたように曖昧になっていく。
シャロ。シャロ。置いて行かねぇ……。
意識がだんだんと俺の身体から抜けていく。必死に掴んだが、やがて俺は意識を手放した。
次の更新は水曜か来週の土日か。