川島夕の月曜日(保健室)
「洋子先生、いるー?」
保健室のドアを三回ノックしてから入る。返事を待たずに入ったから、ノックの意味はないけど・・・・・・そんなことはこの際どうでもいい。
「あらぁ? 川島さん、どうしたの? また転んじゃった?」
なんだか、艶を含んだ・・・・・・っていうのかな? 独特の間延びした声と共に部屋の奥から、養護教諭の宇都木洋子先生が顔を出す。
洋子先生は凄い美人だ。
しかも、白衣に包まれた身体は抜群のプロポーションを誇っており、胸元を大胆に開けたシャツを着ている先生は、あだっぽいお姉さん風で男子だけでなく、女子も憧れている。
私はしょっちゅう怪我するので、保健室の常連でいつも洋子先生にお世話になっている。すっかり顔を覚えられてしまい、今では世間話をする仲だ。
「いえ、今日は古泉──君が突き指しちゃったみたいなんで、手当てしてあげてください」
「まぁ、大変。そこに座って、指を見せて?」
「・・・・・・はい」
か細く返事をした古泉は気のせいか、さっきより弱ってる気がする。
古泉を背もたれのない丸椅子に座らせると、洋子先生が纏めてある後ろから溢れた髪をかきあげる。
はぁ、綺麗だなぁ。
その仕草に見とれていると、洋子先生は薬品をしまった戸棚の隣から氷を取り出し、古泉の右手の人差し指に当てた。
「骨に異常はないみたい。とにかく、まずは冷やして、暫くおいてからテーピングしましょう」
「はい・・・・・・」
なるほど、アイシングかぁ。
昔、兄さんがバスケやって、突き指した時を思い出した。
あの時、兄さんも氷袋当ててたっけ。
にしても、古泉は本当にどうしたんだろ? めちゃくちゃ気分悪そう。ぐったりしてるし。
「古泉、顔色悪いけど、平気?」
「ん・・・・・・ヘーキ」
「いや、今にも吐きそうだけど、トイレ行く?」
「男子トイレに入る気か?」
「ドン引いた顔しないでくれる? 入り口まで送るって意味よ。入るわけないでしょ」
「そう、でもいい。別に、具合悪いわけじゃないから」
「そっ、ならよかった」
そう言いつつも、古泉は青い顔して口元を押さえている。
本人が嫌なら無理強いする気はないし、そもそもここ保健室だし。
一応、古泉の背中を擦っていると、棚から救急箱を持ってきた洋子先生が、
「川島さん、悪いんだけど怪我の記録簿に古泉の名前、記入してくれる?」
「はーい」
「いい、自分で書ける」
古泉がテーブルに置いてあった黄色いノートを引き寄せる。
黄色のノートが怪我の記録で、ピンクが病気──というか、体調不良を記録するノートだ。
私は黄色いノートにしょっちゅう名前を書いているが、ピンクのノートには書いたことがないな。って、違う違う!
私は慌てて古泉の手から黄色ノートを奪った。
「あんた、指怪我してるんだから、書けないでしょ。私が書いてあげる」
そう言って、プラスチックのケースに入った鉛筆を取り、古泉の名前を書こうとすると、古泉の奴がノートを引っ張った。
「な、なにすんの!? あーあ、ノートが・・・・・・」
鉛筆を当てたところで横に引かれたので、開いたページにはジグザグの一本線ができてしまった。
呆れて消しゴムに手を伸ばす。
「自分で書ける」
また古泉が言った。
「だから、その指じゃ──」
「俺は左利きだから、問題ない。鉛筆寄越せ」
「い・や!」
私は即断った。古泉の怪我には私にも原因がある。せめてこれくらいしないとね。
しかし、頑固古泉が一度や二度の拒否で引き下がるわけもなく、今度は嫌味ではなく「書く」「ダメ」の応酬が始まった。
「あらあら、二人とも保健室はケンカする場所じゃないわよぉ?」
テーピングテープを持った先生が真っ赤なルージュを引いた唇を弧にしてクスクス笑う。それから、
「古泉君、いくら利き手を怪我しなかったとはいえ、怪我した手じゃ氷は押さえられないでしょう? ここは川島さんに書いてもらって、ね?」
やんわりと古泉を説得すると、その手からノートを抜き取って私に渡してくれた。
古泉の奴、あっさり手放したな。やっぱ男子は洋子先生の魅力に抗えないのか。
受け取ったノートのジグザグ線を消して、項目を埋めていく。古泉の名前と学年、クラス、怪我の内容とその時の情況。その他諸々。
パパパッと書いている傍らで古泉は洋子先生に指を固定してもらっていた。なんとなく、その様子をチラ見する。養護教諭の先生だけあって、手際がいい。私、テープとか巻くといつも皺が寄っちゃうから、少し羨ましいかも。
そんなことを考えてる内にノートを書き終え、洋子先生に報告する。
「せんせー、書けましたー!」
「ありがとう。古泉君はもう少しここで休んでもらうから、川島さんは教室に戻ってもらっていいわ」
「はーい! って、もうこんな時間!」
気づけば始業チャイムまであと三分だ。まずい。着替えてる暇ないよ!
電光石火の如く保健室から去ろうとすると、
「俺も戻ります」
古泉が立ち上がって着いて来たではないか! 何やってんだ、こいつ。
「ダメダメダメンコ! はい座る! シットダウン!」
私は古泉の肩をガシッと掴んで、そのままぐんぐん押して、無理矢理椅子にカムバックさせた。
「おい」
「NONONO! まだ痛むでしょ? 休んでなさい。ほらほらほーら、椅子ちゃんもイケメンの尻に敷かれて嬉しい、きゃって言ってるし」
「椅子が喋るかよ」
「いいから休んでなさい」
減らず口の古泉に対し、とりあえず凄んだ。目に力を込めて、ヘビを目の前にしたマングースのようにじーっと睨み据える。
そしたら古泉が大人しくなった。
これでよし!
「さてっと、今度こそ戻ろっと、先生、古泉のことよろしくー」
「はーい」
今度こそ教室に戻ろうとドアノブに手を掛ける。
あっ! そーだ。大事なこと忘れてた。
「古泉、プリン忘れないでね~」
「チッ」
古泉の悔しげな舌打ちに不敵に笑い返し、保健室から華麗に退場。
勝った!
内心でガッツポーズをとり、ようやく勝利の余韻に浸るが、それも五秒後の始業のチャイムにより一刀両断されるのだった。