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第六話「信守の献策」(2)

「私は病欠中に謹慎処分でも受けたのですかな? 星井殿。卿たるこの信守が、国家の急に馳せ参じた。それが問題なのでしょうかな?」


 抜け抜けとそう言う信守に、他の禁軍諸将は返す言葉を失ったようだった。

 気まずさと予想外の展開に、唖然としたまま固まる彼らに代わり、


「着座されよ、信守卿」


 と星井文双が勧める。

 その彼でさえ、至近にいる帝がわずかに聞こえるほどだが、呆れとも堪りかねた怒りともとれる嘆息を漏らした。


 信守は無遠慮に宮中の新畳を踏み鳴らし、どかりと己の座へと腰を沈める。

 他の将にとってはおぶさっているようにしか見えない背後の錦が、この男のふてぶてしいまでの堂々たる振る舞いにはピッタリと合っている。


 そうした若造に、舐められるものかという意地もあるのだろう。


「ずいぶん遅いご到着ですな、上社卿」

 と、隣席の禁軍第三軍、三越充貞が皮肉を言った。


「病と届け出は出したはずですが」

「にしては、ずいぶんご壮健で。我らはつい仮病ではないか、気弱になられたのではないかと不安でしてのぅ」

「いやなに。わずらわしい俗世から離れたのが何よりの薬であるようですな。特に天下の朝議の場で嬉々として人をこき下ろす恥知らずどもを相手にせずに済むと、実に心安らぐ」

「何ィ!?」

「そっ、それは我らのことか!?」


 座を蹴って立つまでとはいかずとも、嘲られた朝臣たちは星井文双を除いて皆気色ばんで半身を乗り出した。


 今にも殴りかからんばかりに殺気と敵意を飛ばす彼らを代表し、禁軍第二の将、東動(とうどう)園君(そのぎみ)が彼へと詰め寄った。

 重臣とて、宮中での帯刀は禁じられてはいるが、もしそうでなければ斬りかかっていたに相違ない。


「おおかた自領で震え上がっていたのだろうが! そのような男こそ恥を知らぬ臆病者と言うのだ!」

「臆病者……まぁ、方々におかれては恐怖などないのでしょう。実にもならん頭の悪い軍議を繰り返していれば、一端の勇者を気取ることができる。勇ましい態度とは裏腹に前線にも出ることもなく密室に引きこもっていれば、恐怖など覚えないのでしょうから」

「……貴様ァ!」


 一の皮肉や罵声を受ければ、信守はそれを五倍にも十倍にもして言い返す。

 しかもその一々が正論で、相手の痛いところであり、帝を内心で喜ばせる痛快さを持っている。


「戦にも出ておらん軟弱ものに、我らの評定や前線の何が分かるか!」


 東動の恫喝に、ようやく信守は彼らの方へ視線を移した。つまり、今まで一度たりとも彼らとは目さえ合わせなかったのである。

 口の両端で嘲りを示したままに、信守は低い声で答えた。


「五日、天童雪新挙兵。攻城中の突如の横槍により味方の被害は騎乗の者を含めて五百」

「……は?」

「その後潰走する味方を天童勢が追撃し、さらに二百。それに姫の軍勢ならびに(おぼろ)陽神(ようしん)が同心。八〇〇〇に膨れ上がった敵はさらに二里進み、禁軍第一、第二、第三軍合計一五〇〇〇を邀撃。これを奇襲により半壊せしめる。禁軍の主だった将は各地で応戦する小領主たちを見捨てこの禁裏(きんり)へと逃げ帰る。その影響により、十日に平良(たいら)地方は降伏して同調。同じく十二日、真木(まき)城主、雲木(くもき)八角(はっかく)が離反して合流。十七日に江名(こうめい)府公の砂道(すなみち)木金(ぼくきん)が呼応。合計二〇〇〇〇に膨れ上がり、大軍になりて候。以降、寝返った領主たちに未だ抵抗を続ける各土豪を攻めさせつつ、主力一七〇〇〇を都に向かわせつつある。他の府公はいずれも静観の構え」


 呆然とする諸将の手前、誰に聞かせる風でもない、呟きにも似た調子で、続けていく。

 だが、彼がぼそぼそと続けていくうちには、帝が知りたくてしかたなかった後続の情報、おそらく意図して秘匿されていたであろう被害の全容が語られていた。


 ――信守は、ようわかっておる!


 帝は声に出さずに感じ入った。

 そも情報というものは、受け身でいては永劫、正確には掴みえないものである。

 要点の目当てをつけ、集中的かつ積極的に求めてこそ、はじめて得られるものだ。


「以上が私が上洛の途上に得た情報ですが。無論、それを承知ということはあと半月もしないうちに奴らが都を直撃しようことも、計算ずくでしょうな? でなければ、ただの間抜けだ」

「な、何を!」


 信守が告げた事実が、帝の総身に雷のようなものを奔らせた。


「もう良い、皆静まれ。なんのための朝議ぞ」


 その帝の静かな一喝が、何かと騒がしかった御前の間に静寂をもたらした。

 気がつけば、すでに夜は更けていた。

 春も過ぎたというのに寒々しい空気が、室内を満たしていた。


 これほどの長時間を費やして、貴重とも有益との思える結果は、微々たるものだ。

 それでも、その微小な収穫こそが、この天下の支配者にある決心をさせたのだった。


「……すでに深夜である。皆、改めて明朝に参内するように」


 帝の決議に、皆は一種の未練と、ある種の安堵を浮かべたような、複雑な表情で礼をして、起立した。


 だが、そのうちの一人、膝に手をかけた信守を「待て」と新帝は呼び止める。


「上社には特に言い聞かせておくことがある。一人、この場に居残るように」


 そう言い渡された信守は、怪訝そうな顔こそすれ、その言葉には従った。


 渋々姿勢を戻していく信守を、

「うろたえ者め、せいぜいお叱りを受けるが良い」

 と、彼の同僚が、子どもじみた捨て台詞とともに嘲笑する。


 彼らが去った時、その場には三人が残った。

 帝自身と信守は当然のこととして、さも当たり前のように、自分こそが帝の一部だと言わんばかりに正座して居座る宰相の存在が、帝には不愉快だった。


「星井文双、朕は二人と、申した」

「は? 左様でございましたな」

「分からぬか。汝も下がれ、と言ったのだ。文双」


 文双は、信じられないという目つきで帝を見返した。

 やがていつもの鉄面皮へと戻ると、何事もなかったかの如く、音も立てずに退出していった。


 今度こそ本当に、二人きりであった。


 信守は宙づりになったような己の境遇に、特別何かを感じているふうでもなかった。

 叱責を恐れている様子はなく、むしろ傲慢とも思えるほどに 御簾ごしの天下人を見返していた。


「……」


 帝は意を決して、おのれの手でその御簾をまくり上げて立ち上がった。


 わずかに目を開く禁軍第五の将。

 その彼の手前まで接近すると、互いの足が触れないかというところで膝をついた帝は、


「よく来てくれた」


 と、できる限りの感謝を込めて言った。

 それほどまでに、彼がこの家臣の到来に感謝していたのは、確かだった。

 だがそれ以上に、


 ――この男は、帝として命じるのではなく、一人の人として胸襟を開かなければ、本心をさらさないのではないか?


 という直感もあった。

 この男の、異質な才能なくしてはもはや王朝は滅ぶほかない。その気配を、玉座にいて肌身に感じていた。


「もはや頼りにできるのは卿のみである。この危機を脱するべく、力と知恵を貸してもらいたい」


 そしてそれは、帝としての己の生命を賭け金とした、藤丘(ふじおか)椙仁(すぎひと)の博打の始まりであった。

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