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第五話「乱ふたたび」(1)

「天童雪新(せっしん)?」

「はい。巷で著名な才人です」

「天童家ゆかりの者か?」

「……今の孟玄府公ですよ、父上」


 一汁一菜の朝食を囲む上社屋敷で、その男の名が挙がったのは、水樹陶次が寄宿を始めて一月のちのことであった。


 相伴に預かっていた上社家の重臣、貴船我聞が切り出したのがことのはじまり。

 彼は信守夫人の養父でもあった。朝早くから訪れたのは彼女への見舞いのためであったが、ある一大事の報告が本命のようであった。


 そこに挙がった名前が、家中の天童雪新だ。


 現孟玄府公である彼は、弱冠十七歳という、一集団の最高権力者としては異例の若さである。


 父親である章虎の死後、崩壊しかけていた政を立て直した麒麟児。こと軍略にかけては『かの信守卿の再来』との評判であった。


「……勝手に俺は故人にされているようだな」

「それだけ世の人は貴方を殺したがっているということではありませんか、父上」

「……若っ」

 いったん、そんな茶番で場が濁された。


 咳払いの後で、我聞の説明は続く。

 その麒麟児は今よりさらに幼少の頃、『順門崩れ』の布陣図を眺めるや、敵軍の意図、官軍の推移をことごとく言い当てた。

 周囲にいた歴戦の家臣もその才覚に舌を巻いて、


「もし十年早く生まれておられれば、順門崩れも今日の孟玄府の凋落もなかったであろうに」


 と感嘆したという。


 この『今信守』のそうした逸話に対する、本人の反応はと言えば、


「千里離れた土地で過去の戦を語れば、誰だって名将になれる。自分たちの出世に繋がるならば、家臣どもは十枚二十枚でも舌を巻くだろうよ。おべっかはタダだからな」


 という、辛辣なものであった。


「だが、天童家と言えば」


 と、信守は雪新よりも、黙々と朝食を口に運ぶ陶次に興味を持ったように話しかけた。


「お前の主家筋だったな、水樹」

「元、ですが」


 一応の礼儀として最低限の返答をかえした青年に、愉快げに目を細めながら信守は続けて尋ねる。


「それでどうだ? 自分の祖国が、旧主が朝廷に反旗を翻して、お前は今何を考えている」


「……父上ッ!」


 微笑してやわらかく黙秘する水樹陶次に代わり、怒号を飛ばしたのは質問者の息子の方だった。


「客人に対してあまりに失礼ではありませんか! 仮にも禁軍第五の将であるならば、それらしい振る舞いをなされたら如何です!?」

 余計な口を挟まれて、信守は興が削がれたように我が子を醒めた目で睨み返した。途端に朝食の座は白け、


「またか」


 といった具合にうんざり顏の我聞が、そのしかめっ面と視線で陶次へと縋る。

 葡萄酒色の髪に届くほどに肩を持ち上げた陶次はこの一ヶ月間、しばしば親子のなだめ役、緩衝のつとめを果たしていた。それにより家中の信をこの短期間で得たといってよい。


 それより以前は我聞が負っていた役割であったのだろう。四十そこそこという割には、その容貌は老けて見えた。白髪さえ入り交じっている。


「そうですね、私は実際に見てみないことには……むしろ、それに接した時に己が何を思うのかにこそ、興味があります」

「……ふん」


 つまらない返答につまらなさげに鼻を鳴らす信守に、陶次はさらに言い足した。


「判断するにはまだ情報が足りなさすぎます。まずこの挙兵が果たして真実か、讒言(ざんげん)か。万一真実であったとして、理由は? 最終目的は? 賛同者は? 動員できる彼我の兵力は? 将の質は? 何もかもをこの地から動かずして断じるのは、危険に過ぎるかと。……それこそ、『千里離れた土地で過去の戦を語れば、誰だって名将になれる』ではありませんか」


 ぴしり、と。

 場は一瞬白け、また先刻とは別種の緊張が周囲を包んだ。


 ――上社信守相手に嫌味を言い返せる人間がいるとは。

 と、一郎少年と我聞が見開いた瞳孔を向け合った。


 くつくつ


 遅れて聞こえてきた笑い声は、喉の奥、あるいは地獄の釜からでも絞り出されたような、ひとをひどく不安にさせるような笑いであった。

 信守のものであった。

 黒髪の生え際に手をやりながら、


「俺としたことが、まさか言葉尻をとられるとはな」


 く、くく。

 という呼気の連続は、目を細める水樹陶次の前で、断続的に続けられた。

 まるで笑うことそれ自体に飽きた、と言わんばかりに、表情の変化は一瞬であった。


「まぁ良いさ。都のうろたえぶりを見物するのも一興だろう」

「と、言うことは信守卿?」

「近々参内する。お前にも来てもらおう、水樹陶次。せいぜい、ガッカリするが良い」


 とてつもなく意地悪く、大人げない捨て台詞だった。

 それでも、帝が薨去以外で、はじめて信守が公務に出るという宣言ではあった。

 他者がどれほど言い含めてもこの三年間、出仕しなかった男が、みずから望んで都へ赴こうと、決意した瞬間だった。

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