第四話:その笑みは、酒に溶かして
水樹陶次は孟玄府の出身である。
かつては順門府の討伐の際、その軍奉行、すなわち戦の総指揮を任せられるほどの権威を持つ、皇族の府国であった。
だが、当時の府公、天童章虎以下多くの者がその戦いにより敗死し、生き残った者も、その指揮のつたなさの責任をとらされ、大減封の憂き目に遭った。
天童家譜代、水樹一族。
彼らもその煽りを受けて浪人となった一派であった。
十四歳の冬と十五歳の夏、両親が相次いで死ぬと、世間の荒波の中で陶次少年は苦学した。
何故、自分たちはこうも困窮しなければならなかったのか?
何故、大義と大軍を得た官軍が、順門府一国に大敗したのか?
あらゆる因果をひもとくべく、また己の助けとするべく、彼は多くを学んだ。
商都で下働きをして銭の物の流れを学び、戦場跡を練り歩き兵の動きを考察し、市井に交わることで人の心の働きを知った。
――そう、かんたんに人の心は操作できる。
自負は、彼の中にこの時芽生えた。
少ない言葉から、信守の歪んだ性根を読み取り、彼の歓心を買うことさえも、彼にとっては容易であった。
問いに関しては、未だ多くの解は得られないままではあった。
それでも真っ当な士であれば到底知り得なかったものを、吸収していった。
そうこうしているうちに、都で暮らす友人に招かれた。
曰く、
「近く都の旧家に仕官することが決まった。ついてはお前を推挙しようと思うのだが共に官途に就かないか」
と。
自分の才能を試してみたいという野心は、若い彼の中に密かに燃えていた。それを包み隠せる慎み深さ、自らを操縦する術さえも、知っていた。
決めるには、時間はかからなかったように思える。
たしかに道中、予想しえない苦難があった。
だがそれによって思いがけない知遇を得た。まさに災い転じて福となるとはこのことであろう。
――しかしながらどうにも、一言では表せない人物だな。
水樹陶次は声にせずそう評した。
そしてそれはこの人物に関わったすべての人間が抱く印象ではないだろうかとも思った。
――だが奇人というだけではない。
まず話を聞く姿勢からして違う。
一見適当に聞き流し、相づちを打っている風に見えるが、聞くべき要点、説明が不足している点に関してはそれとなく質問を返してくれるし、こちらが聞いて欲しい部分にも私見を述べてくれる。
しかもそれは、特別意識してやっている風はなく、おのずと身についているように思える。
「あまりそういう目はしない方が良いな」
「え?」
「他人に知った風に見透かされるのは、嫌いでな」
「し、失礼いたしました……」
それに、洞察力も鋭い。
気がつけば、夜になっていた。
運ばれてきた酒肴に手をつけながら、それぞれの正気を失わない程度の酒量を飲み干した頃であった。
「それで、貴殿はその例の任海とかいう友人の下に厄介になるのか?」
旅の土産とも言うべき四方山の話に、興味深く耳を傾けてくれていた信守は、ふと話の腰を折ってそう尋ねた。
「あぁ、いえ……それが私と行き違いで、任海是正は上役と共に任地へと行ってしまって……他に寄る辺もないので見物でもして、あとは著名な寺社にでも参詣した後、是正が戻ってくるまでまた旅に出ようかと」
「別に良ければここの一室を貸してやるが?」
それは、意外な申し出であった。
「えっ」と、知らず声が漏れ出た。
人の噂と言い、今までのやりとりと言い、誠実な人間とはとうてい思えない人物の、意外な好意であった。
感謝よりも戸惑いが勝る。
「しかし、よろしいので?」
「別に一人増えたところで当方に問題はない。それに、だ」
「それに?」
「禁軍の一将の、この有様を見て、今の朝廷がどれほどに堕ちた存在か。まぁそれを肌で感じるのも良かろうよ」
目はしっかりとこちらに定められたまま、悪性の男はその歪んだ横顔をこちらに向けた。
――やはり、一筋縄ではいかない……
一時の歓心を得ることはできる。だが深く彼を知り、奥深くに取り入るまでにはまだまだ時間を要すであろう。
水樹陶次は盃の中に、苦笑いを忍ばせた。
陶次「当時は若く、慢心していました」