第三話:上社家の人々
家長の笑い声が、北の間にも響いてくる。
「あら、珍しきこと」
と、声を発したのは、その部屋の主であり、笑う男の妻であった。
信守の腹心、貴船我聞の養女であり、もとは卑賤の出ということだが、そういった背景を感じさせない気品があった。
「俺は、生まれて初めて聞きましたよ、あんな笑い」
やや呆けたように応じたのは、彼女と信守の息子であった。上社一郎であった。
母親の血を色濃く受け継いだ七歳の少年は、あどけなくも神秘的な美しさを持っていた。母を看病する男子の姿は、甲斐甲斐しく世話をする五歳ほどの童女のように見えた。
「お客人は、よほど気に入られたみたいね」
上社信守という男は、家族の情やらその将才を差し引いても、狷介で、偏屈な男である。
かつては大人しくも勤勉な好青年だったらしい。
それが、祖父鹿信の理不尽な死と処遇が歪めさせた。
あの男にとって人とは愛すべき存在ではなくなり、玩弄するものとなった。
命を賭して守るべき国家は嘲笑と冷笑の対象でしかなくなった。
そして我が子も……おそらくはそれらと同じ、嘲弄するだけの物なのだろう。
その男が、自らの家に客を招いた。
その男が、他人と会話らしい会話をしている。
まして談笑している。
我が子、我が妻にさえ、彼はまともな笑みを見せたことがなかった。
「気に入られた……つまりこの一郎は好かれてさえいないのですね。にわかに現れた客よりも」
「自分から話しかけないからでしょう? ああ見えて、心根は良い人よ」
どこがだ、と一郎は内心で鋭く言い返した。
「話しかけましたよ。何度も。でもあのひとはこっちの訴えにも鼻で笑うか、嫌味を言ってくるか。まともな対話にもなりません」
上社夫人は、ふぅとため息をついた。
なんで自分が子どもに実の父親との付き合い方を指南しなければならないのか。そんな風に言いたげな口の形をしていた。
「とにかく、仲良くしてあげなさいな。わたしも、もう」
語は、そこで途切れた。
代わり、夫人の咳音が室内の空気を割るように響いた。
母の背をややぎこちなく撫でながら、一郎は強張った微笑をまっすぐに向けた。
「だから、だからはやく良くなってください、母上。上社信守が真実、あなたの言うような善良な人であれば、それをこそ望むのですから」
なんとむなしい言の葉か。
一郎……後の上社一守は、この時から、力不足な自らと、そういう思いを植え付けた父を苦々しく思っていた。