第十四話「地獄の音」(1)
村を捨て、近隣の山に籠り、要塞化して声高に反朝親天童を叫ぶ。
「絵に描いたような敵愾心と猜疑心と虚栄心の塊だな」
対となる山でそう評した上社信守に対し、景経は眠そうな目のまま口を半開きにした。
――そう考えてんならちっとは民の敵意を緩和させろよ。
その口からは本来そういった言葉が出るはずであった。
だが、うつろな表情の中に呆れを隠した。それを目ざとく察した信守はわざとらしく振り返り、
「何か言いたげだな、景経殿」
と尋ねた。
「……」
口をポカっと開けっぱなしにしたままの景経に、
「韜晦も大概にすることだ。貴殿が顔色をうかがう相手はもはやおらぬ。何しろどこぞの誰かが殺してしまったからな。誰とは言わぬが」
――死ねば良いのにコイツ。
若き臥龍がそう思わなかったかといえば嘘になる。
「……いえ、ただ今後の統治を考えれば、民の恨みを買うのは得策じゃないかと」
「別に統治をするのは俺ではない。本領から遠すぎるしな。朝廷の誰か、まぁ強いて言うなら俺に次ぐ功労者で、土地も近く、骨髄にまで達するであろう民草の怨嗟を飲むだけの才幹の持ち主。何より風祭府、桃李府の大国に挟まれながら、その圧力に潰されぬだけの名君」
細められた切れ長の瞳は、まっすぐに、当該する人物を射抜いていた。
「誰とは言わぬがさぞ大変だろうなぁ! 誰とは言わぬが」
コイツどついたろか、と景経は思った。
だが、腹を割るよう促されようともそれをあからさまに口にするような蛮勇は、生まれてこのかた持ち合わせたことがない。
なので婉曲に、かつ効果的に悪意を織り交ぜて、
「ならば水樹殿が適任では?」
と、この策の中心人物となった青年へとなすりつけた。
あの男に対し、幕下はともかく信守当人が面白からず思っているのはなんとなく肌で感じている。
それを承知で、かつ彼らの微妙な関係を察せないかのように彼を推した。嫌がらせで。
「上社卿が落とせぬ城を、新参かつ無名の浪人が落としたとあれば、余人がそうするよりも功や声望がより高まりましょう。となれば朝廷も無視できず、一番功の貴殿が推挙なされば、あるいは通るやも」
上社信守は対の山脈へと目を向けていた。
黒土の地肌が見え隠れする山では、そこに籠もる義士たちの気焔であるかの如く、紅葉が盛っていた。
今そこに、渦中の青年が単身で下山の説得に向かっている。
――しかしひょっとしたらあいつに煽られ、担がれたことにこの御仁は気づいているのかねぇ。
上社信守は、そこで再び景経を振り返った。
皮肉な笑みを、口の両端いっぱいに浮かべて。
いわくありげな歪ませ方をした目元を、やや開いた目で見返した。
「あ……もしかして、気が付いてます?」
「さてなんのことやら。……まぁ瑣末なことだろう」
信守は対山の説得の成り行きを一通り見守った後、踵を返して下り坂に足をかける。
「上社信守が誰かに利用されることも、それによって悪名を被ることも、今に始まったことではなくてな。まったく、おかげで迷惑をしている」
「…………してる方なんだ、あぁしてるんだ」
「そしてもはやそれを嘆き呆れる者も、諌める者も、もうおらん」
天は、如何なる差配でこの双子の山を作り上げたのか。
向かい側とは対照的にこの山には鬱蒼と木々が枝葉を伸ばし、庇のように鬼才を覆い影を作っていた。
「ただ、この悪性が招いた結果というなら、俺はそれを甘受する。今更己を偽れぬ。この性分による被る業を含めてこそ、俺の才の限界よ」
信守は歩を進めて下へ下へ、ためらいなく突き進む。
それを慌てて追おうとする景経の前で男は一度立ち止まり、振り返り、形ばかりの追慕を止めさせた。
「俺はまだ良い。だが、立身やら世の理やらに目を奪われ、己の内を顧みん者は見ておれんがな」
「……あの男は、気づいていない、と?」
景経は先とは真逆の質問をした。
別の人物を、対象として。
――水樹陶次は『それ』を自覚していないのか?
だが信守は同じように明確な返答をせず、下山を再開した。
「……あー」
景経は一度振り返り、その人物がいる山をもう一度見た。
見かけ上の温和さにほだされたか。陶次らしき長身の影に従って、数十人という人間が退去の準備を始めていた。
「言いたいことは色々あるけどさ」
と、誰にともなく一人ごちる。
「あのおっさんの相手、スゴイ疲れるわ」




