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第十三話「外道の決断」(3)

 上社家の腹心、貴船我聞と入れ違いに参じた青年は、戦時に場違いなほどに涼やかな微笑を称えていた。

 それが旧孟玄府譜代一族という立場から交渉にあたっていた、水樹陶次であった。

 一介の浪人に過ぎない彼が、初陣にて一城を見事落としたという方は、景経の耳にも届いていた。


 気まずい空気の陣中にあって横顔を向ける信守に深々と頭を下げた。


「申し訳ありません」

 と。


 信守の顔の右半分の中、ギョロリ、と目だけが動いた。

 獣や猛禽のように鋭い眼光に怖じることなく、

「天童雪新公、再三の勧告にも応じません。すでに砂道公が討たれたこともお伝えしましたが、頑なに信じようとせず、童のようにわめき散らすばかりで」

「……親友の首を見せてやるというのはどうだ?」


 酷なことを、と末座の知立景経は心の眉をひそめた。

 内心の面白く無さが表出しないのは、この場合得というものか。

 己をそう納得させつつ、景経はそれとなく信守に伝えた。


「すでに江名府公の首は都に送られているとのことです」

「……そうか」


 己でも「何を馬鹿なことを」と思ったに相違ない。

 あっさり自身の考えを取り下げた信守の横っ面を窺うように眺めた。


 ――ここ一連の動向に精彩を欠いていた理由は、それか。


 手の中に余る浜納豆をザラザラと口の中に流し込み、濃い味を奥歯で確かめる。


 ――魔将上社信守だって、人の子というわけか。


 景経の中には蔑みの念はなかった。もし愛妻が夭逝(ようせい)などしたら、自分とて知略が十全に揮えるとは思えない。

 安堵したと言って良い。風祭ではなく、こちらについて良かったと。


 ――大天狗とは我ながら良く評したもんだ。


 景経は口腔を塩気で満たして思った。

 風祭康徒はなるほど朝廷さえも凌駕しかねないほどの強大な存在である。


 ――だが、いかんせん独自の理と利で動きすぎている。


 そして信守は、不遜な言動こそ悪評を呼ぶものの、その行動にはいちいち筋が通っている。


 ――とっつくなら海千山千の大妖怪よりも、人語と情を解する鬼だな。

 

 ふと、風向きが変わった。

 爽やかさを伴って、水樹陶次が進み出ていた。


「そして……府公はこうもおっしゃっておられた。『我らは断固として悪逆非道の現政権と戦う。最後の一兵たりとも。そして姫を守り通し、死すべき時はともに死ぬ』……と」


 次の瞬間、陣中にいた者たちは地獄の釜が開く音を聞いたような面持ちであった。

 景経も同じような心地で、その音が信守の喉奥からの笑声だと気づくのに、時が要った。


「……ともに、死するだと?」


 信守の双眸には、暗い火が宿っていた。

 この若き大将の胸中は、この時は容易に察することができた。

 そして彼に対する同情、これから怒りにまかせ行われるであろう力攻めへの心配を、将たちは思い思いに顔に浮かべていた。


 だが景経は、毒酒の如き髪色を持つ青年を、眠るような細めた横目で睨み据えていた。


「諸将、心配はご無用に。信守卿は既に胸中に一案を抱えておられる」


 顔の右半を歪めた信守に背を向け、陶次はうっすらと微笑んで幕僚達を見渡した。

 景経にならうような流れで、禁軍第五軍の将たちも陶次を見返した。

 その肉体に、雲の縫い目の陽光が天恵の如く降り注いだ。


「討伐されることなく放置された一揆衆の存在。先ほどの朝廷に対する一ヶ月の延長要請。平素の信守卿の言動におおよそ不相応な処置です。これを鑑みれば、おそらく手は一つ。願わくばこの陶次、その秘策の一助を担いたく思います」


 形式にのっとった一礼と共にそう願い出た陶次を、信守はしばし注視していた。

 首の向きを変え、視線を外し、


「そんなにやりたければ、やれば良い」

 という、投げやりな返答を陶次は甘受した。


「では、さっそく準備に取りかかりたいと思います。……良かった、これで無駄な人死にが出なくて済む」


 神仏の類のような、晴れ晴れとした笑みを浮かべて、陶次は退出しようとした。

 そのすれ違いざま、客将の智者は、握り拳の裏に口を隠しながら、



「ほんとに、天童様はそんなこと言ってたのかねぇ」



 とひそめた声で、陶次以外の余人に聞こえぬように呟いた。

 陶次が足を止める。

 美貌は景経に向けて微笑んだ。

 再び動き始めた陶次は、早々に陣中から去っていったのであった。

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