第十二話「風祭康徒という男」(1)
樹治四十二年、午の月十日。
新帝即位より三月以上が過ぎようとしていた。
その治世の是非が定かならぬままに、このまま王都陥落は必定。
そう、思われていた。
だが、まさかの天童勢大敗に、その挙兵以上の動揺が全土を駆け巡った。
辛うじて虎口を脱した総大将、天童雪新は、防御機能の消失した山砦を捨て、軍をまとめて後退。
その兵力、未だ禁軍を上回る六〇〇〇。
だが本隊の半数をたった一戦にして、たった一夜にして喪った衝撃は、彼らのみに留まらなかった。
各地に派遣されていた彼らの別働隊、諸侯の軍は、主力壊滅の報、盟主討死との虚報を受け浮き足だった。
ある者が逃散し、あるいは軍をまとめて帰国し、あるいは主人たちの者に馳せ参じようとし、あるいは去就を決めかね、本来の任務に盲従しようとした。
とまれ、その陣容が薄まり、反乱軍の優勢は、劣勢に変わる。
息を吹き返した親朝派勢力は大小関わらず攻勢に転じた。特に国元の知立景経は反乱に加担した兄の軍を撃破し、反乱軍の本拠よりの輸送路を完全に遮断。
火や相次ぐ潰走によって、大半の物資を消失していた天童雪新の軍勢はさらに干上がることとなる。
反乱軍は合議により、これ以上の侵攻は不可と判断。連合の解散と撤収を決定。
孟玄府領国境、時目橋にて彼らを捕捉した禁軍第五軍は、渡河中にあった賊軍を横合いより射撃した。
河川を鮮血で染め上げたのは、味方の後背を守っていた雲木勢であった。
大将である八角は馬上より味方に引きずり下ろされた。馬を奪われて転倒したあげく、逃げ惑う雑兵に首の骨を折られて絶命した。
敏捷さが持ち味であった彼だが、その速さを助けていた小柄さに、最期は足をすくわれるはめとなった。
「……もうあと、二輪か。さて、そんな荷車で女帝もどきを乗せて、どこへ行こうというのやら」
その川を渡河する際、大将上社信守は死体を見下ろしてそう呟いた。
愉悦を感じているというよりは、むしろ苛立たしげであったという。
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本拠への道を途絶された反乱軍は、やむなく孟玄府中央、弁才寺なる、巨大な寺院に入る。
……否、まぎれもなくそれは堅城であった。
外周をくまなく水堀で囲み、その中央には深池を配置。
それに沿うように寄せ手が分散したところを、狡猾に設置された狭間や櫓が、三方より狙う。
最奥の本堂に姫を入れた後、屈強な僧兵と共に、決死の覚悟の生き残りが彼女と、彼女に付き従う雪新を守護する。
本来そこは、もし王都で変事があった際にそこから逃げてきた貴人を匿う防壁の役目があった。
ところが、実際逃げ込んできたのは、その官軍に散々に打ち負かされた賊徒の群れであった。
――禁軍に先んじてここを抑えたのは良し。だが、このままでは……。
触里山で上社勢に負けて以来、ことごとく後手に回る彼を見かねたのか。……あるいは見捨てたのか。
それは砂道木金は自身でもわかり得ないことであった。
「一度、わたしは本領に戻る。……まず援軍を連れてこなければ、話にもならない」
そう言った副盟主に、雪新は不安げに
「戻ってくるのかい?」
そう、尋ねた。
本人にとっては一抹の悪意も込めてはいなかっただろう。
それでも、相次いで友を失い、負けに負けを重ねて今に至った木金に、感情を抑えることはできなかった。
「っ! あぁ! 戻ってくるとも! だがそれまでにここが陥落していなければ良いなぁ!」
そう言い捨てるようにして、彼は麾下を率いて、隣接する江名府領へと撤退した。
途上、目視できる距離に信守の先遣隊を見かけた。
だが、こちらも、相手も、互いに意識はしていたが、刃を交えるということはしなかった。
禁軍は弁才寺へ、木金らは自領へ急がなければならない身の上だった。余計な戦闘で時を費やしているわけにはいかなかった。
江名勢の眼前を通過する敵は、
「なにをしても無駄なこと」
とでも忠告している風にも見えた。
大将の感じていたそこはかとない不安はともかく、江名勢は何事もなく、何者にも阻まれることなく、自らの祖国に帰還した。
国境の城に到達することができた。
……だが、
「なんだ、これは……なんなんだ、これはっ!?」
妨害はされなかった。だが城の塀、頭上にたなびく軍旗は、自らの家紋ではなかった。
丹の色に白丸。そして中央には三つ食い巴の紋。
風祭家筆頭家老、現府公の弟、風祭康徒の軍勢二七〇〇〇、江名領主要地点を占拠。




