第九話「悪鬼は獅子と戯れる」(1)
江名府公、砂道木金は理知の人である。
江名と孟玄は隣接するものの、これといった領土争いは起こっていなかった。また府公たち自身も、朧陽神、雲木八角らを含めて大層仲が良い。
天童の器、砂道の智、朧の勇、そこに雲木の諜報の網が加わり、若き社稷の四輪、四天王などと持て囃されている。
……もっとも、その四名いずれもが、王朝に反旗を翻したわけだが。
その知恵袋担当であり木金でさえ、朋友の確信には困惑の情を隠しきれずにいる。いわんや他の者は、である。
対する天童雪新はというと、それを払拭するような穏やかな光をその眼にたたえていた。その心根の暖かさを皆に配るようにあまねく見渡し、そして最後に八角に目を向けた。
「雲木、君の『網雲衆』は、僕たちに与した諸将がある風聞に動揺していると報告してくれた。曰く『僕らが彼らを捨て石とし、一路都を目指している』と」
はい、と甲高い声を弾ませて、少年城主は誇らしげに答えた。
四輪のいずれも、未だ二十にも満たない十代の若者たちであった。
それに、種と質は違えどいずれも美男であることは、周知の事実であった。
「そう、それこそが、信守が蒔いた種だ」
そうして狼狽する諸将に誠意を示すために、合力して彼らが抑え込む朝廷派の『悪人』どもを合力して成敗しなければならなくなる。
事実、彼らからの苦情や要請、あるいはそれらを確認という形で求めてくる彼らに、首脳陣も頭を悩ませていたところであった。
「だが、よく見て欲しい」
凸型の駒を要請先に配置していくと、あたかもぽっかりと、中央に空洞を作る形で味方は布陣することと相成った。
そしてその中央には、信守の目標と雪新が言い切った、あの触里山砦があった。
自陣の将から、軽く驚きの声があがった。
「……そう、つまり敵の戦略とはこうだ。各所の収拾と制圧に僕らが兵を分散させた隙に、彼らは手薄となった触里山を急襲、一挙に陥落させる」
木金ら居並ぶ諸将はもしそうなった場合の結末を想像し、表情を凍てつかせた。
いや、木金が慄然としたのは、信守の恐ろしい計略ではない。それを看破し得た雪新の洞察眼である。
「だから、当初は彼らの思惑通りに動こうと思う」
「なっ! それでは真実、我らの急所が敵にさらけ出されることに……」
「ただし、それぞれの手勢から三割、多くて半数だけだ。本隊は伏兵として、山砦付近にて待機する」
次いで雪新が配下の文官に命じて引っ張り出してきたのは、より詳細な、範囲を触里山の一里四方に集中した地図であった。
自然の要害として知られるこの城塞に続く道は、一本。
兵が五人ほど横に並ぶことができるだけの幅道の山道しかなく、その両脇は傾斜であった。
「でも、実際はこの坂というのは緩やかでね。登ろうと思えば登れる。けど、信守はあくまでこの一本道を使うさ」
訝る諸将に、彼は次のように説明した。
曰く、上社信守はその神速の用兵によって、『順門崩れ』を突破した。それこそが彼の最大の持ち味であり、わざわざ速度を落としてまで正規の進路から外れるとは思えない。
だがその一本道は、襲われれば退路は一つ。そこを塞がれては逃げ道さえ無い言わば死の道だ。
そこに、禁軍第五軍を封じ込めて、一気に包囲殲滅する。
それが孟玄の黒獅子と呼ばれる、若き天才の用兵策であった。
「……もし万一、彼が別の軍や兵糧庫を狙った場合は?」
参謀としての一応の務めとして、木金は懸念を率直に向ける。
「わざわざ決定打とならない部分に彼が兵を向けるとは思えないけど……その場合は守備隊が彼らを食い止めつつ、本隊が遊軍として彼らを背後から襲えばいい。それができる各勢の配置は考慮に入れているよ。敵は一丸とならなきゃ戦えないけど、僕らには分散してなお彼らと対するだけの戦力がある。そこは僕らの強みだね」
戸板に水が流れるがごとく、とは彼の弁のためにある比喩であろう。
滔々とつづられる彼の理に、皆が心酔し、敬服していった。
とりわけ過激にそれを表現したのは、義弟とも言うべき陽神だった。
「すげっ、すげぇよっ兄貴! これなら信守なんて一捻りだな!」
その賛辞をまんざらでもなく受け取った雪新は、ほう、と短く嘆息した。
「十年前なら、この程度の軍略で通じていたんだよ。だが彼の不幸は、時代の移り変わりに気がつかず、自分のかつての武名に奢ったところだね……気の毒な人だ」
一定の敬意と憐憫と、そして軽侮の表情を浮かべながら、雪新は何度も首を振った。
「……せめて、過去の偉人には、哀悼の意を」
切れるような仕草で胸に手を当てた雪新は、決意を新たにする。




