第八話「戦端」
「姫様、いや祭。君を覇者にする準備は整った」
敵の大軍を続けざまに打ち破り、勝利に湧く陣中で、少年はかの貴人の手を取っていた。
祭姫と天童雪新、二人は主従、盟主副盟主という関係の前に、誰よりも互いを想い合っていた。
「あ、あぁ。まるで夢のようだ! 雪新には感謝してもしきれぬ。これで、藤丘朝は蘇るのだ! 清く、正しい、万民が求めた幸福で、泰平な世の中が到来するのだ!」
十歳下の子どものように、目を潤ませてはしゃぐ少女と熱く手を握り返しながら、少年はウンウンと頷いた。
「では、軍議に行ってくる。ここまで来れば、今更語るべきこともないけれど、大人しくしていてくれ」
とても十代後半に対するものではなく、もっと幼い童子のあやし方であった。
手をにこやかに振っていた彼は、陣幕に入るなり顔を引き締めた。
「上社信守が動いたというのは、本当か?」
物見を遣った雲木八角の首肯が、連戦連勝の連合軍中に暗い影を落とした。
だが、そうした空気に抗うかのように、兄弟分とも言うべき猛将、朧陽神が声を励ました。
「上社信守なんて小勢だろ! しかも奴自身がもはや旧式の時代遅れだ! こっちには義兄者が……孟玄の黒獅子がいる! 『順門崩れ』では奴は笹ヶ岳で右往左往するだけだったが、この人は順門府軍の動きを手に取るように看破しきった! それだけでも、天童雪新が奴より優れている証明さ!」
「おいおい褒めすぎだよ」
義兄弟の熱弁に雪新はまんざらでもなさそうにはにかんだ。
謙遜はしているが、もちろんその自負はある。
挙兵に及び、彼は上社信守の存在を軽視も無視もしていなかった。
それでも、彼に勝てる兵と戦略は揃ったと思っている。だからこそ、雪新は兵を挙げさせたのだ。
しかし同時に、懸念される自軍の弱点は、彼の脳裏にあった。
主座にあって背を伸ばしながら、若き才人は居並ぶ盟友たちを見据えた。
「流石に信守は、正攻法では挑んではこないだろう。必ずや十年前と同様、我が軍を翻弄するべく奇策を講じてくるに違いない。……君たちに聞きたい。敵は、僕らのどのあたりを狙ってくるだろうか」
そう、天童雪新は意見を求めたが、既に彼は胸中に確信に近いものを抱いていた。信守出陣の報に触れたその時から。
そしてそのための布石も、既に用意してあるのだった。
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「マトモにやり合う気などない。敵の兵糧を焼く」
そう決意を発した信守の軍勢は、征服された旧天領、すなわち敵地奥深くに達していた。
だが攻落したといっても、この地方の諸勢力の動向は錯綜していた。
多くの領主が孟玄方につく一方で、恭順の姿勢を彼らに見せつつも動かない勢力あり。中立を宣言する者あり。そうした者たちが疑心暗鬼に陥って同士討ちを始める事態も起き始めていた。
中には旗幟を鮮明にして、反乱軍に根強い抵抗をしている者たちもいた。
とりわけ最東端、孟玄府本領にも隣接した知立氏の反抗は著しく、天童雪新でさえ手を焼いているようであった。
よって禁軍第五軍が彼らの領域に侵入しても組織的に妨害しようという敵は、皆無であった。それどころか、入り乱れる情報は、互いの本隊の位置や目標さえも霧の中に隠した。
だが、信守の目的が知れないのは、敵ならず、共にある味方までもがそうであった。
そしてそれは、彼が意図を明らかにしても変わらなかった。
旧禁軍第四軍や水樹陶次を除けば、首脳部の大半は彼と共に『笹ヶ岳の地獄』を抜け出た顔なじみの精兵である。
だが、その彼らでさえ、総大将の発言のは困惑を見せている。
幕下の困惑を楽しむが如く、信守は彼らをつらつらと眺めた。
「俺は妙なことを言ったか? 大軍相手に小勢が戦う方としては、常套の手段であろうに。自分たちが『順門崩れ』でされたことを、覚えていないわけがあるまい」
信守が言う通り、十年前の大戦で帰趨を決したのは、赤池勢の裏切りだけではない。
彼がまず手始めに撃破した御坂宮の水軍が、大量の兵糧を抱えていたことによる。
このため討伐軍は慢性的な食料不足に陥り、脱走者、投降者が相次いだ。
信守の見解に、異はない。
いやむしろ、朝廷屈指の怪人にしては、珍しくまっとうな戦略であったと言える。
問題は兵糧庫の場所。敵にとっての『御坂宮船団』が、一体何なのか、である。
「触里山砦」
と信守は手短に答えた。
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「……では、敵の狙いは我々の兵糧にあると」
若き天才、天童雪新は、そう主張して配下を狼狽させ、あるいは納得させた。
彼の参謀たる江名府公、砂道木金でさえ、八信ニ疑といった具合である。
「彼らが僕たちを破るには、この手段でしかありえない。そして、今もっとも兵糧を集中しているのは、あの場所だ」
机上に敷いた図面を示し、黒獅子は高らかに宣言した。
「敵の狙い、触里山砦にあり」




